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渋るラズールと急かす大宰相達の間で困惑しながら準備を進め、翌々日の早朝に、僕はひっそりと王城を出た。軍服を着て腰に剣を差して。ドレスが入った荷物を馬に括りつけて。付き従うのはラズールただ一人。目立たないように現地に入るためだ。
そんなに急がなくともゆっくり出発すればいいと止めるラズールを、先延ばしにするのは嫌だと説得するのがとても困難だった。
それに断る理由はもう考えてある。それを示せば、クルト王子は絶対に断るはずだ。
出発前に話を聞きつけたネロが部屋に飛び込んで来た。「俺も行く!」と息巻いていたけど、王城で待っていて欲しいと頼んだ。もしも僕に何かあった場合、この国にとってネロの存在が助けとなる。そう僕が説明をすると、ネロはひどく不満そうにしながらも小さく頷いてくれた。
目的地まで、できるだけ休まずに進もうと考える僕の思いとは裏腹に、ラズールが頻繁に馬の足を止めて休憩をしようとすすめてくる。
僕はそのつど「疲れてない」と答えるのだけど、ラズールが止まってしまっては、僕も止まるしかない。ラズールに先を行ってもらわないと道がわからないからだ。
「ねぇラズール、これ何回目の休憩?早く行かないと」
「焦る必要はありません。卑怯な王子は、待たせておけばいいのです」
「もう…」
太い木の幹にもたれて動かないラズールを睨んで、僕はその場を離れた。落ち着かなくて休んでなんていられない。馬が水を飲んでいる湖の畔に行き、キラキラと光る湖面を見て目を細めた。
穏やかな湖面を見ていると、いきなりある情景が頭の中に浮かんだ。誰かと並んで美しい湖を見ている。こことは違う、どこかの湖だ。視界が動き、隣の人に向けられる。その人の顔は。
「…え、リアム…王子?」
僕の鼓動が激しく鳴り始める。
きっとこれは僕の記憶。僕がリアム王子とどこかの湖を眺めている。やはりネロが話していたように、城を追い出されてからリアム王子と一緒にいたのだ。その間の記憶がぼんやりとして思い出せないのは、死にかけたことによる後遺症なのかどうかはわからないけど。でも、リアム王子と一緒にいたことは確かだとわかる。
「じゃあ…リアム王子が…愛してくれてたの?そして僕も…彼のことを…」
「フィル様、冷えますのでこちらへ」
すぐ後ろからラズールの声が聞こえて、肩がはねた。激しく鳴っていた心臓が更に大きく鳴り、ラズールにも音が聞こえそうだ。
僕は振り向くと、差し出された手に手を乗せる。
「ほら、指先が冷たくなってますよ。まだ水の側は寒い」
「じゃあ早く進もうよ。動かないから冷えたんだ」
「わかりました。次の休憩で食事をとりましょう」
「うん…」
僕は動揺していることを気づかれないように目を伏せて、素直に頷いた。
国境近くの軍が待機する場所に近づくと、すでにトラビスが待っていた。僕とラズールが出発する半日前に、先に使いを出していたからだ。
トラビスが僕に走り寄り深く頭を下げる。
「フィル様、わざわざ出向いていただくことになり、申し訳ありません!」
「トラビス、顔を上げて」
「…いえ、あなたをここへ来させたくはなかったのにっ」
「おまえが謝る必要はない。最終的に僕が決めたことだ。それよりもどう?まだバイロン国に動きはないの?」
「はい。一度使者を送ってきただけです」
「そう」
僕は頷き、国境の方角を見た。
あの向こう側にクルト王子がいる。この後使者を送り、イヴァル帝国側へと来てもらう。無理だと言うなら僕があちら側へ行ってもいい。とにかく会って、クルト王子の口から断ってもらうのだ。
「フィル様、お疲れでしょう。俺の天幕で休んでください」
「ん…ありがとう」
僕が馬から降りるのを手伝い、馬の手綱を引きながらトラビスが言う。
すぐにでもクルト王子と面会をしたいと考えていた僕は、上の空で返事をする。
ラズールも馬を降りて、僕の後ろをついて来る。そして不満そうに呟いた。
「なぜおまえの天幕なのだ」
「俺の天幕が一番マシだからだ。フィル様をその辺に座らせる訳にはいかないだろうが」
「そうだが…」
「ラズール」
「…申し訳ありません」
今は仲間内で揉めてる場合じゃないだろうとラズールをたしなめる。ラズールは優秀なのに僕以外はどうでもいいという態度は改めてほしいと思う。
トラビスの天幕で休んでいると、レナードが来た。座る僕の前で片膝をつき、頭を下げる。
「フィル様、よく来てくださいました。体調はどうですか?疲れてませんか?」
「大丈夫だよ。ラズールが何回も止まるから休息は充分とれてるんだ。もう少し早く着く予定だったのにごめんね」
温かいお茶が入ったコップを両手で握りしめながら、僕はレナードに謝った。
「いえ、拒否の伝言を使者に伝えるだけでよかったのにと俺は思います。フィル様自らが来られる必要はありませんでした。クルト王子の方が格下なのですから」
顔を上げてキツい口調で言うレナードに、僕は苦笑する。
「でも僕は相手より年下の、即位したばかりの頼りない王だからね。国力もバイロンの方が強い。だから無下には扱えない」
「そんなことは…。それで、どのように断るのですか?」
「内緒。僕に任せて」
「はい…。では俺もついて行きます」
「うーん…、ラズールとトラビスが一緒に来ると言ってきかないんだ。レナードまで来たら軍の統制をとる人がいなくなる。だからレナードは残って」
「はい…」
先ほどの厳しい表情から一瞬で情けない表情に変わったレナードを見て、僕は小さく声を上げて笑った。