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遥が背中に刺さる視線を感じながら、机に手を置く。椅子を引く動作さえ、何かを挑発するような音になって響いた。
けれど──
日下部のいない空席は、そこだけ異質な沈黙を纏っていた。
彼は、本当に来ていない。
遥がどれだけ教室のざわめきに慣れていても、
そこだけは、どうしても無視できなかった。
「なあ、アイツさ……もう学校来ないらしいよ?」
「マジで? やっぱやばいことしてたってことじゃん」
誰かが囁く。
教室のあちこちで、微かに言葉の破片が跳ねる。
《日下部、遥を庇って脅されたらしいよ》
《でも実際、庇う理由って……そういうことでしょ?》
《なんかさ、あのふたり、もう……って感じじゃね?》
──そう、分断は既に完成しつつあった。
ふたりは「セット」で見られている。
けれどその関係性は、もはや「気持ち悪さ」としてしか語られない。
遥は自分の指先を見た。
手は冷たい。けれど震えてはいない。
ただ、考えていた。
(俺が……全部、壊したんだろ)
あの屋上で、日下部が自分の肩を抱いた瞬間。
確かに“温度”があった。
でも──それを他人に見られた時点で、もう終わっていたのかもしれない。
あの瞬間に宿っていた優しさも、信頼も、
見た目を変えられて、歪められて、
ただの「罪」にされるのなら──
(だったら、最初から……)
そう思ったとき、ガラッと教室の扉が開いた。
「──日下部だ」
誰かが小さく呟く。
教室の空気が一瞬止まった。
遥が、反射的に振り返る。
そこにいたのは──
昨日までと何も変わらないはずの、日下部の姿だった。
けれど、何かが違った。
彼の視線はまっすぐに遥を捉えていた。
周囲の空気にも、噂にも、沈黙にも、微塵も動じない。
制服の襟元は少し乱れていた。手には、小さな傷跡があった。
──誰かと、何かがあったのは明白だった。
それでも、日下部は歩いてきた。
誰の視線も振り払わず、何一つ遮らずに、真っ直ぐ遥の席へ。
そして、遥の机に、そっと手を置いた。
言葉はなかった。
けれど、その行為は、言葉以上の宣言だった。
“ここにいる”
“まだ、終わってない”
遥は、息を飲む。
周囲がざわつく。
けれど日下部は、微動だにせず立っていた。
その静けさは、ひどく異質で──
だが、遥のなかで確かに何かを揺らした。
(……なんで、おまえは)
遥は目を伏せた。
感情が渦巻く。怒りでも悲しみでもなく、ただ圧倒的な、自己嫌悪。
なのに。
その隣で、日下部は変わらないまなざしでそこにいた。
──誰にも揺らされず、歪められず。
遥の世界が、ほんの少しだけ、音を立てて軋んだ。