僕は王になりたてで、何をすべきかをよくわかっていない。
膨大に積まれた書類は、大宰相と大臣達が目を通して処理をしていく。処理がほぼ終わった後で「こういうことがあったのでこのように解決をした」と事後報告される。
僕の知らない所で勝手に進められるのは納得いかないけど、大宰相達の判断は正しい。今の僕に解決策を求められても、すぐには答えを出せない。これからもっと勉強をして国内のことを知って、民がより良い暮らしをできるようにしていかなければ。そのためにも一度、いろんな場所へ視察に行きたい。
そう思っていたら、朝餉を終えた直後にラズールが、しばらく留守にすると言い出した。
僕は口を拭いていたハンカチを机に置いて、隣に控えるラズールを見上げた。
「留守って…どこに行くの?」
「国の端にある村です」
「何しに行くの?」
「少し気にかかることがありまして…」
ラズールが言葉を濁して目をそらした。
ずっと僕の傍で僕を見てきたラズールは、僕の性格をよく知ってる。次に僕が発する言葉を察して目をそらしたのだ。
「僕も行きたい!連れて行って」
「それは…無理です。あなたは王になったばかりで、やらなければならないことがたくさんあるでしょう?」
「それは帰って来たらやるから。民の暮らしを知ることも、王の大切な仕事だよ」
「そうですが。俺はできる限りあなたの望むことを叶えて差しあげたい。しかし今回ばかりは無理です」
「どうして?」
「危険な目に合う可能性があるからです。近いうちに必ず連れていきますから、今回は大人しくここで俺の帰りを待っていてくれませんか?」
ラズールが再び椅子に座る僕の前で片膝をつき、僕の両手を握りしめた。
昔から、僕をなぐさめる時や褒める時、なだめる時には必ずこうして膝をつき両手を握りしめてくれた。
正面から優しい目で見つめられ、大きく温かい手で僕の少し冷たい手を握りしめられると、悲しい気持ちはやわらぎ、嬉しい気持ちは膨れ上がり、腹ただしい気持ちは小さくなった。
今も優しい口調で待っていてと言われては、僕は素直に頷くしかない。
「わかったよ。でもどれくらいいないの?ラズールが傍にいないのは嫌だ」
「俺もあなたの傍を離れるのは不安です。なるべく早く帰ってきます。俺がいない間は、トラビスにあなたの世話を頼みますので」
「わかった。気をつけてね」
「ありがとうございます」
ラズールが、僕の手の甲を撫でながら微笑む。
いつも怖い顔をしているラズールだけど、僕にだけ笑顔を見せる。不安を消し去ってくれるような優しい笑顔だ。
僕もラズールに微笑み返しながら、あることを考えていた。
ラズールが出て行ったすぐ後に、トラビスが来た。部屋に入るなり「なにか御用はありませんか?」と聞かれたけど、特に用はない。
見るからに機嫌が良さそうなトラビスに、僕は首を小さく傾ける。
「どうしたの?なにかいいことがあった?」
「えっ?なぜですか?」
「嬉しそう」
「えっ!そっ、それは…フィル様の世話を…あのっ」
「いいことがあったのなら良かったね。ところで僕は、今日は一日部屋で勉強をするから、特に用はないよ。だから自分の持ち場に戻っていいよ」
「いえ、そういうわけには参りません」
そう言って背筋を伸ばしたトラビスが、机を挟んだ向かい側に立ったまま動こうとしない。
僕は気づかれないように小さく息を吐いた。
トラビスに部屋にいられると、今からやろうと考えてることができなくて困るんだけどな。
僕はしばらく無言で机に置いてあった本に目を通すフリをしていたけど、トラビスを追い出す方法を思いついて勢いよく顔を上げた。
僕を見ていたトラビスが、少しだけ肩を揺らす。
「どうかされましたか?」
「ねぇトラビス、僕は王になったし、王として相応しい剣が欲しいと考えている。おまえが懇意にしてる鍛冶屋に行って、僕の剣を作るように頼んできてくれないかな」
「よろしいですよ。それならばフィル様も一緒に行きませんか?」
「いや…僕はまだまだ未熟だから、立派な王になるために勉強をしなきゃならない。早く民が安心できるよう努力しなきゃならない。だから少しの時間も惜しいんだ。おまえが僕に合う剣を代わりに注文してくれればいい。だめかな…」
僕は机の上で願うように両手を組んで、トラビスの顔を上目づかいで見つめた。
トラビスは一瞬戸惑ったような顔をしたけど、すぐに「かしこまりました」と頷く。
僕は「ありがとう。よろしく頼むよ」と言いながら立ち上がった。そしてトラビスに近寄り、背中に手を当てて押す。
「フィル様?」
「そうと決まれば早く頼んできて。僕にはどんな感じのものが合うかよく相談してきてね。あ、王都に出るならついでに、甘いお菓子も買ってきてほしいな。甘い物を食べると疲れが取れるから」
「ふふっ」
「なに」
「ずいぶん我儘を申されるようになりましたね」
「だめかな」
「いえ。どんどん言えばいいと思いますよ。今まで我慢してきた分も。他の者に言えなくても、俺には言ってほしいです。ラズールに言えないことでも、話してくれると嬉しいです」
扉の前でトラビスが振り返り、僕の肩に手を乗せる。その手を横目で見ながら、トラビスの手はリアムやラズールよりも大きいなと思った。
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