「まぁ、いきなりは難しいのは当然でござろうから、気楽にね。 三センチプラスでござるよ」
そう言って投げ始めた善悪だったが、全ての玉を投げ終え慮外(りょがい)の結果に言葉を失う事となった。
彼の目の前に立った幼馴染の体には、一球のピンポン球も付いていなかったからであった。
確かに時間を掛ければ、ある程度の成長は期待していた善悪であったが、まさかこれほど早く目に見える結果が出るとは思っていなかったのである。
呆気に取られている善悪にコユキが声を掛けた。
「先生、早くボールを拾って距離を詰めてやってみましょう。 何か掴めそうな感じなんですよね」
「えっ! 距離を、詰める? で、ござるか?」
驚いた事にコユキの方から前向きな発言が出た、しかもソーシャルディスタンスを無視するとも取れる内容でだ。
寺院の中とは言えマスクくらい装着した方が良いか、コユキのサイズのマスクがあるのか、と善悪が考えている僅(わず)かな間に、コユキはボールを拾い終えて再び声を掛けた。
「準備完了です。 改めて宜しくお願いします。 二メートルで良いですか?」
どうやら漸(ようや)くやる気スイッチがオンになったようだ。
だが善悪は生来、慎重な性格だ。
石橋を叩きまくって粉砕した後、最新工法で掛け直し、渡らずに無言のままそっと立ち去るタイプであった。
ゆえにここは刻む事を選ぶ。
「ま、ま、気持ちは分かるでござるが、いきなり二メートルは無茶しすぎであろ。 ルイ君一人分でござるぞ。 ここは安全マージンを取ってアンドレ一人分、切りが良い所で二メートル五十センチで手を打つでござるよ」
アンドレの身長は二メートル三十センチ弱、切りが良い所と言えるのか、そんな突っ込みを我慢したコユキはやや不満気味に五十センチ後方へ移動をした。
「では、行くでござるよ!」
全球投球終了。
コユキの体には十数個のボールが付いていた。
深刻な顔で考え込むコユキに対して善悪が声を掛けた。
「まあ、完全回避とはいかなかったでござるが落ち込む事は無いでござろ。 上出来でござるよ」
しかし、コユキは即座には答えずに、暫(しば)しの間を置いてから真剣な表情で善悪を見つめて言った。
「すみません。 もう一度投げて貰えますか? 試したい事がありますので」
言いながら自分の体に付着した球をバスケットに入れると、既に慣れた様子で散らばった物も拾っていく。
善悪もいつに無く真面目なコユキのムードに気圧(けお)され、無言で同様に球拾いをしていく。
仕切り直して投球を始めたのだが、今回は先程とは明確な違いがあった。
余裕で避けれると判断した場合の回避行動には、違いは見られなかったが、それ以外、ギリギリ当たるかどうかといった際どい球が迫った時、コユキが大きな声で言葉を発したのだ。
「三センチメートル!」
「!」
当たりそうだと善悪が判断したその球は、コユキの体を捉え(とらえ)る事無く、境内の奥へと消えて行った。
その後も、
「三センチメートル! 三センチメートル! 三センチメートル! 三センチメートル! ……」
避け切れそうも無いボールが自身に迫る度に、まるで自らへと注意を喚起する様に、その声は周囲に響き続けた。
「三センチメートル!」
何十回目かの声が響いた時、善悪が持つバスケットの中にボールは残っていなかった。
対するコユキの体には、ピンポン球は皆無だ。
「な、なんと……」
「やた♪」
善悪の唸る(うなる)ような呟きの横で、コユキはグっと拳を握りしめるのであった。
その後、当然の様に二メートルの距離でやりたがったコユキであったが、十球ほどで善悪に投球の中止を要求した。
その身には、既に数個のピンポン球が付いていた。
実の所、三センチメートルと声に出している間に、次弾が迫り、無言で避けた結果、躱(かわ)しきれなかった球である。
その姿のまま、境内に腰を落としたコユキは、両手の人差し指にチョンと付けた唾(つば)を自分の額につけ、ぽくぽくぽくぽく…… とやり出した。
因(ちな)みに座り方は胡坐(あぐら)である。
本当は座禅がしたかった様だが、正座と同様に無理だったのだ。
ややあって、はっとした表情で目を開いたコユキを見て善悪は淡い期待を抱いたが、すぐさま首を振りその思いを打ち消した。
――――いやいや、そう簡単にチ~ンとはならぬの。 まあ、ここまででも充分人間離れしている事でござる
「二メートルと言えば鶴田一人分であるからして、土台無理な話でござるよ。 そもそも、拙者もここまで近くでの回避は想定していなかったのでござる」
と、半ば(なかば)慰め(なぐさめ)とも取れる言葉を口にした。
対するコユキは周囲から球を集めてくると、
「先生、もう一度お願いします。 チ~ンが来たのです」
と善悪のバスケットに入れながら懇願したのだ。
善悪もチ~ンが来たのなら、と言う事で納得し、二度目の二メートルを始めるのであった。
「三センチ! 三センチ! 三センチ! 三センチ! 三センチ! 三センチ! 三センチ! 三センチ! 三センチ! 三センチ! ……」
結果は見事にクリアーであった。
そして完璧なチ~ンであった。
こうなるともう善悪も楽しくなってきてしまう。
まるで、なろうのチート物のインフレを体感しているような気分だ。
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