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練習後。更衣室には、もう誰もいない。
ロッカーの扉が閉まる音だけが響く。
俺は、深く息を吐いた。
今日も、普通だった。
普通にトスを上げて、
普通に声を掛け合って、
普通に距離がある。
それが一番、きつい。
「じゃあ、俺先帰るね」
背後から、静かな声。
振り向く。
及川徹 がバッグを肩にかけている。
目が合う。
逸らされない。
でも、近づいてもこない。
その距離が、怖い。
――このまま、本当に離れていく。
足が、勝手に動いた。
「……待て」
及川が足を止める。
振り向く。
その一瞬で、もう無理だと思った。
腕を掴む。
強く。
「岩ちゃん?」
声が揺れる。
手を離せない。
離したら、本当に終わる気がする。
「……離れんな」
掠れた声。
自分でも情けないと思う。
でも止まらない。
「追わないとか言うな」
涙が、勝手に落ちる。
「触らないとか、守んな」
自分で拒否したくせに。
自分で突き放したくせに。
矛盾してるのはわかってる。
「怖ぇんだよ……」
腕を掴む手が震える。
「お前が本当にいなくなるの」
更衣室の空気が、止まる。
及川の呼吸が浅くなる。
「俺、無理だから」
涙が零れる。
止まらない。
「好きとか言われて、拒否って、でも離れられなくて」
声がぐちゃぐちゃだ。
「……離れないで」
やっと出た、本音。
及川の目が、大きく揺れる。
泣いてる。
自分のせいで。
でも、縋ってる。
「岩ちゃん」
震える声。
及川は、ゆっくりバッグを下ろす。
掴まれていないほうの手で、岩泉の頬に触れる。
今度は、逃げない。
「ごめん」
優しく。
「不安にさせて、ごめん」
額が、そっと触れる。
「俺が逃げてた」
正面から。
「好きって言いながら、信じさせる覚悟なかった」
岩泉の涙を、親指で拭う。
「でも離れる気なんて、一回もなかった」
その言葉が、胸に落ちる。
「俺は」
息が近い。
「岩ちゃんしかいらない」
今度は、迷いのない目。
逃げない。
笑わない。
ごまかさない。
「もうなかったことにしない」
ゆっくりと、顔を近づける。
一瞬、止まる。
拒否する時間を、ちゃんと与える。
目を閉じる。
今度は、衝動じゃない。
触れるだけの、静かなキス。
短い。
でも確かに、選んだキス。
離れたあとも、距離は近い。
「怖かったら、何回でも言う」
及川の声が低い。
「好き」
真っ直ぐ。
岩泉の喉が震える。
「……遅ぇ」
でも今度は、拒絶じゃない。
及川が少し笑う。
「うん。遅かった」
額を軽く合わせる。
「だから、ちゃんと追う」
その言葉は、もう逃げじゃない。
覚悟だ。
「離れない」
手で及川の制服を掴む。
今度は、拒絶じゃなくて。
縋るんじゃなくて。
選ぶみたいに。
「……俺も」
小さな声。
でも、はっきり。
更衣室の静けさの中で、
二人の距離が、やっと同じになった。