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唇(くちびる)には、やわらかくて温かな感触。
やがて離れてしまうけれども、残る体温。
重いまぶたをそっと開くと、そこにあるのは杏葉の顔。
鏡で見るよりも整っていて、素直に 綺麗(きれい)だと思ってしまう。いや、可愛いっていう要素のほうが強いかもしれない。
長めのまつ毛がゆっくり動き、パッチリ二重まぶたの下にある瞳が杏葉を――いや、空太をとらえる。
「ねぇ、杏葉」
つややかな唇が開いて、 吐息(といき)が首にかかる。
「これって、成功なの?」
透き通った声で紡がれるのは、どこか懐かしさを感じさせる。
ただ、杏葉は――いや、空太は、すぐに言葉にするのが怖くて、でも間違いないと確信があって……
そっと、うなずいた。
恋愛*スクランブル
第1話 再会
目が覚めるのと同時に、ガバッと飛び跳ねるように起きる。ほぼ同時に 淡(あわ)いピンク色のパジャマを第3ボタンまで外して、自分の胸を覗き込む。
「うん……ある」
好きな色のパステルブルーのブラに、まだまだ成長の余地を残している(と信じたい)胸の膨らみが包まれている。
外したボタンはそのままに、乱暴にズボンを下着と一緒に引っ張り上げて覗く。
「うん……ない」
ゴムの効いたズボンと下着は、手を離すと乾いた音を出して体にフィットする。
三芳(みよし)杏葉(あずは)はベッドの上で大きく 安堵(あんど)の息を吐き、周囲を見渡す。
下着と同じ色味をした 爽(さわ)やかなパステルブルーのカーテンの隙間から光が射し、小学校の時から愛用している 整理整頓(せいりせいとん)された学習机を照らしている。
クローゼットの前に掛けてある制服は3度しか袖を通したことはなく、その出番を待っているかのよう。
「今日からお世話になるね」
赤いリボン、赤いチェックのプリーツスカートに合わせるのは 浅葱(あさぎ)色のブレザー。
「あっ! 忘れてた!」
朝起きてからの日課を思い出した杏葉は、自分の股間に優しく手を触れる。
「……って、さっき確認したばかりだし、当然だよね」
男性特有の膨らみを感じることなく、苦笑いする。
(もう、今更どうにかなると思ってないけど)
座ったまま大きく背筋を伸びして脱力する杏葉。
時間を確認すると、6時25分。セットしていた目覚まし時計よりも5分以上早い目覚めだ。
「さて、今日は入学式だし、早めに準備するとしますか」
杏葉はベッドを抜け出し、まずはカーテンを開けた。
「いってきまーす。入学式、時間間違えないようにね!」
杏葉は家の中に叫んで、外に飛び出す。
「杏葉ちゃん、おはよう」
ドアが閉まるよりも先に、おっとりとした声が届いてきた。
「おはよう、弥奈」
門戸の向こうにいる 寺久保(てらくぼ)弥奈(やな)は、杏葉と目が合った瞬間に満面の笑みを浮かべる。
「杏葉ちゃん、制服すっごい似合ってるよ」
「それ、この前も聞いた」
「だって、本当に似合ってるんだもん」
門戸から出て、きっちりと扉を閉めると、駅に向かって並んで歩き出す。
「弥奈も制服似合ってるよ」
「ほんとぉ!?」
弥奈は、好きな人に褒められたように、照れの混じった驚き声を上げる。
「これも前に言ったし、同じ反応されたけどね」
「いいの。だ~い好きな人には何度だって言われたいもん」
杏葉の手に、弥奈の細い指が絡んでくる。
「そんなものなのかなぁ。私は、何度も言われたら飽きちゃいそうだけど」
少し力のこもった弥奈の手に反応するように、杏葉は柔らかく握り返す。
「そんなものだよ~。女の子は好きな人からの言葉で、どんなことでもできるようになるの」
「私も、一応女なんだけどね」
「じゃあ、杏葉ちゃんも私の言葉でいっぱい元気になるんだね」
「そうかもね」
力強い弥奈の声色とは違い、杏葉はサラッと流すように相づちを打つ。
「なんか今日はつれないなぁ。せっかく恋人同士で新たな門出を迎えてるっていうのに」
「うん、周りが聞いたら誤解する発言は気をつけようね」
「どこも間違ってないのに……」
弥奈は唇をツンとさせて杏葉とは反対側に視線を向ける。
今の光景を周囲から見たのであれば、仲の良い女子高生ふたりが手を繋いで登校中だと思うだろう。
だが、この杏葉と弥奈は友達や親友を超えた関係――つまり『恋人』というもの。
公言することもないので、わざわざ誰かに報告していなが、アブノーマルであることを杏葉は自覚していた。
「そんなにすねなくていいでしょ」
「すねてなんかないもん」
「すねてるじゃん」
「すねてない」
(こうなると、早めに機嫌きげんを取らなくちゃいつまでも引きずるんだよなぁ)
杏葉は自分にしかわからないため息をつき、キリッとした顔つきになる。
「今のは私が悪かった。弥奈からの言葉は嬉しいし、力になるよ」
「…………」
「気持ちを素直に伝えてくれるのは弥奈のいいところだし、私はそういうとこが好きだよ」
「杏葉ちゃん……」
捨てられた子猫のように、おそるおそる上目使いで杏葉を見てくる弥奈。
「私のこと、好き?」
「もちろん」
「誰よりも?」
「うんうん」
「うんは1回でいいんだよ?」
「うん」
杏葉は大きく首を縦に動かす。
「というか、私のこと信じてるんだったら、何度も試すようなこと言わないの」
「えへへ、ごめんね。ちょっとイジワルしたくなっちゃって」
弥奈はぺろっと舌を出し、それから微笑んだ。
「あっ、そういえば昨日なんだけど……」
すっかり機嫌を良くした弥奈は、弾んだ声でしゃべり続ける。
そんな弥奈の話を聞きながら、杏葉は別のことを考え始めていた。
(こうして弥奈と一緒に歩いているのって、なんか不思議な感じ)
杏葉は、入学式日和の青空に顔を向け、少し前のことを思い出した。
それは中学3年の秋のこと――つまり、約半年前のこと。
放課後の誰もいない教室で、杏葉は 執拗(しつよう)に男子生徒にせまられていた。
もちろん、この場合は恋人にならないかということである。
これまでも、何人かの異性に「付き合ってくれ」と交際を申し込まれたことはある。
だが、男と付き合うなど考えるなんて想像をしたこともなかった。それどころか、未来永劫男と付き合うなんて考える予定もない。
決して男が嫌いだからというわけではなく、むしろ男子生徒とは仲が良いのだけれど、杏葉の気持ちはYESと決して言えなかった。
「もういいよね?」
いたたまれなくなった杏葉は、男子生徒のわきを抜けて帰ろうとした。
だけど、腕を取られてしまい、前へ進めなくなってしまう。
「ちょっと、やめてよ……」
男子生徒の力は強く、指の跡が残ってしまうのではないかと思うくらいの痛みを感じた。
「えっ、えっ……?」
腕をそのまま壁に押し当てられ、せまられる。
「ちょ、ちょっと、やめて」
杏葉の声は震えていた。
抵抗しようにも体が言うことを聞かない。こんな 恐怖(きょうふ)を今までに味わったことなかった。
「ね、ねぇ……」
声が出すのがせめてもの抗い。
だが、それもむなしく、男子生徒は己の欲望で頭がいっぱいのようで全く反応してくれなかった。
(……ごめんね、杏葉・・)
手を体に伸ばしてくる男子生徒を見ることができず、もう現実から逃れることしかできず、杏葉はギュッと目を閉じた。
「なにやってるの!?」
パッと目を開いて後ろのドアを見ると、そこには弥奈の姿があった。
「女の子相手に、そうやって力づくで迫るなんて、どういうことなの?」
ギロリと男子生徒をにらみつける弥奈。
「寺久保さん……」
弥奈のふんわりとして内気な雰囲気しか見たことなかった杏葉は、思わず彼女の名前を口にしてしまう。
すると、弥奈は微笑みながら 一瞥(いちべつ)して、すぐに男子生徒に 軽蔑(けいべつ)の視線を向ける。
「まだ、今なら引き返せると思うけど……どうするの?」
弥奈が言い終わるや否や、杏葉は腕の 束縛(そくばく)を感じなくなった。
男子生徒はチッと舌打ちをして、弥奈のいない前のドアから出ていく。
「三芳さん、大丈夫?」
「う、うん……」
平穏が戻ってきたと実感すると、杏葉は落ちるように座り込んでしまった。
心臓がドクドクと早鐘を打ち、手首についた赤い 跡(あと)は夢ではなく現実だと証明してくる。
「男子って、怖いんだね」
「力はあるくせに、その使い方間違っているんだよ。お子様って言うのかな」
明るい弥奈の声色は、空気を変えて和ませようとしているのを感じる。
「三芳さん、どこか触られたり、変なことされなかった?」
「うん、腕を強く握られたくらいで……」
「それなら良かった。良くないけれど」
柔らかく微笑んだかと思うと、一瞬にして鬼の形相になる弥奈。
「ふふっ……あはははっ」
「いきなりどうしたの? やっぱり変なことされちゃった?」
「ううん、寺久保さんが面白くて……」
同じクラスになってから半年以上、そして中学生活も部活動は引退して残すは受験勉強になってから、距離が近づいたふたり。
この件がきっかけとなり、この2週間後に杏葉は弥奈に告白されることになったのだった。
「緊張してきちゃったよ~」
「…………」
「杏葉ちゃん、聞いてる?」
「えっ? もちろんだよ」
自宅から駅まで10分歩き、電車に乗って6駅。そこからまた歩いて10分。
それが、今日から杏葉と弥奈が通う県立青葉高等学校への通学路。
弥奈の話を聞きながら 回顧(かいこ)していると、その道のりもあっという間だった。
「合格発表のときと同じこと言ってるよね」
「だって、友達できるのかなぁとか、ちゃんと勉強ついていけるかなぁって。杏葉ちゃんがいれば、友達はいらないけどね」
「そこはちゃんと作ろうよ」
地元で歩いていたときとは違い、ふたりの間にはほんの少し距離がある。
電車に乗る時に離した手はそのままに。仲良しの友達程度にしか見えないだろう。
これは、合格発表の日に決めたこと。
弥奈は恋人であることをオープンにしたがっていたが、杏葉は制した。
弥奈が嫌いだからというわけではなく、恋人であるならばもう少し周囲を気にして節操ある生活を送るべきだからと考えているからだ。
もちろん、初日からこんな関係を知られたら、友達ができなくなるかもしれないという 懸念(けねん)もあったが……。
「同じクラスになれるかな?」
「どうだろう。うちの中学からは、私と弥奈以外に4人だっけ? 誰かひとりくらいは同じになるんじゃない?」
「他の人はどうでもいいの。杏葉ちゃんと一緒っていうのが大切なんだから」
どこまでもストレートすぎる弥奈の表現に、杏葉は苦笑する。
「私としては、弥奈がちゃんといろんな人と仲良くしてくれるほうが嬉しいけどね」
周囲には身にまとっているのと同じ浅葱色の制服を着ている生徒たちが続々と同じ目的地に向かって歩いていく。
ほとんどが杏葉たちと同じようにパリッとした、少し袖の長い制服の1年生。
否が応でも、期待と不安に胸がいっぱいになってくる。それは周りの生徒たちも同じだろう。
「ねぇ、ちょっと、そこの仲の良さそうな女の子おふたりさん」
校門の目の前にやってくると、突然、背後から声をかけられる。
『仲の良い』『女の子』『おふたりさん』のキーワードは自分たちそのままを表現していると感じた杏葉と弥奈は、同時にピタリと立ち止まって振り返った。
「えっ……!?」
杏葉は時間が止まったように感じた。
「そんな、まさか……」
声をかけてきた男子生徒も目を見開き、驚きを隠せないでいる。杏葉も同じような表情になっているのだろう。
「杏葉……?」
杏葉は、自分の名前をこぼしてしまうのだった。
第2話へ続く