テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
人気のない資材置き場。
雨上がりの湿った土の匂いが、妙に鼻につく。
俺は沙織と、その連れの男を地面に放り出した。
「いった!!なによ、吾郎さん、これ誘拐よ!? 警察呼ぶわよ!」
「そうだよ、あんた、ただじゃ済まねえぞ!」
男が虚勢を張って喚きよるが、俺が眼鏡を外して懐の短刀をチラつかせた瞬間
二人の喉がヒュッと鳴って静まり返った。
「……警察?呼べるもんなら呼んでみぃ。育児放棄した挙句、ヤクザの事務所にガキを押し付けて金を無心した親と、それを受け入れたワシ……どっちが先にパクられるか、賭けてみるか?」
俺は地面に蹲る沙織の前に、ゆっくりと膝をついた。
「沙織。…ワシは、お前があの子を捨てたこと、責めるつもりはなかった。あの子を育てる器が、お前には無かっただけやからな。せやけどな……」
俺は沙織の顎をクイと持ち上げ、その虚ろな目を見据えた。
「金のためにひまりを利用しようとしたこと。……それは、ワシが許さん。あの子は……ちゃんと自分自身で、医者になるっていう夢を見つけてるんや」
「い、医者……?あんな子が?」
沙織が信じられんという顔で笑いおった。
その笑い声を聞いた瞬間、俺の右拳が、あいつのすぐ横のドラム缶をへこませた。
「子供の夢を汚れた口で笑うな」
俺の殺気に、沙織は悲鳴を上げて顔を覆った。
隣の男は腰を抜かして、ガタガタと震えとる。
「…これが最後や。ここに、あの子の親権を完全に放棄するっていう書類がある。……これに判を突け。そうすれば、今日までのことは水に流したる」
俺は和幸に用意させた書類を、二人の前に叩きつけた。
沙織は震える手でペンを握り、殴り書きのように自分の名前を書きおった。
あの子を捨てる時と同じ、あっけないほど軽い決断や。
「二度と、ひまりの視界に入るな。もし次があったら……ワシは、極道としての『牙』を、お前らの心臓に直接突き立てるぞ」
二人は車に飛び乗り、泥を跳ね上げながら逃げ去っていった。
静かになった空き地で、俺は一つ、深く息を吐いた。
「……兄貴。…これで、よかったんすよね」
和幸が不安そうに聞いてくる。
俺は眼鏡をかけ直し、空を見上げた。
「…ああ。…仮にも生みの親やし、ちょっとは母親と住みたいとでも言うかとは思ったが…ひまりのあの怯えた顔を見ただけで悟った。血の繋がりなんぞ、ただの呪いや」
事務所に戻ると、ひまりが玄関で膝を抱えて待っとった。
俺の顔を見た瞬間、ひまりは「おじさん……!」と駆け寄ってきた。
「…おじさん、 私、またどこかに行かなきゃいけないの……?私、ここにいたいよ…っ、おじさんと、みんなと一緒にいたい…っ」
泣きじゃくるひまりを、俺は力いっぱい抱きしめた。
極道の手、汚れた手。
やが、今はあの子を繋ぎ止めるための、唯一の鎖や。
「……どこにも行かんでええ。…お前の家は、ここや。…心配せんでも、ずっと一緒やで」
「おじ、さん……っ、うう…!ひっ、ぐ……っ」
ひまりの泣き声が、事務所の廊下に響き渡る。
俺はあの子の背中を、不器用な手のひらで何度も何度も、優しく叩き続けた。
血よりも濃いもんが、この世にはある。
それを教えてくれたんは、ワシの腕の中で泣きじゃくる、この小さな命やった。
「…よしよし。…もう大丈夫や」
俺はひまりを抱き上げたまま、事務所の奥へと歩き出した。
外はもう、夜の帳が下りようとしとったが、俺の心には、今までで一番明るい光が灯っとった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
#シリアス
17
134