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沙織を追い返し、ひまりが泣き疲れて眠りについた後。
事務所の空気は、どこか重く、それでいて憑き物が落ちたような静けさに包まれとった。
俺は一人、居間のソファで煙草を燻らせとった。
和幸や若い衆も、今日ばかりは気を利かせて奥に引っ込みおる。
「………親、か」
指先を見れば、さっきドラム缶を殴った時の拳が少し赤うなっとる。
ひまりの母親を恐怖で支配して、無理やり縁を切らせた。
それが正しい「父親」のやり方かと言われれば、地獄の沙汰でも顔向けできん。
やが、後悔はあらへん。
子供を「金づる」としか見てへん連中に、ひまりの未来を渡すわけにはいかん。
「……う、うう……っ」
隣の部屋から、ひまりの苦しげなうな声が聞こえてきた。
俺は慌てて煙草を消し、忍び足で寝室へ向かった。
月明かりに照らされたひまりは、額に薄っすらと汗をかき、布団をぎゅっと握りしめて震えとる。
「……ひまり?…怖い夢でも見とるんか」
俺は枕元に腰を下ろし、大きな掌を彼女の額にそっと置いた。
母親に「一緒に帰りましょう」と言われたあの瞬間、ひまりの中にあった古傷が、また開きおったんやろう。
「…おじ、さん……行かないで…私、いい子にするから……」
寝言で漏れたその言葉が、俺の胸を鋭利なナイフで抉る。
結局、俺があの女を追い払っても、ひまりの心の中に残った「捨てられた恐怖」までは消してやれん。
俺は不器用な手つきで、ひまりの小さな手を包み込んだ。
そして、かつてひまりが俺にしてくれたように、小さな声で、呪文を唱えるように呟いた。
「……痛いの、痛いの、飛んでいけ」
ワシのような男が言うても、何の効き目もないかもしれん。
やが、せめてこの子の不安だけは、ワシが全部引き受けてやりたい。
「……ひまり。ワシはどこにも行かん。…お前が大人になって、ワシのこと『クソジジイ』って呼ぶようになるまで……いや、お前が立派な先生になって、誰かを救うその日まで……ワシは、お前の側におる」
俺が何度も何度も、その手を握りながら語りかけると、ひまりの表情が少しずつ和らいでいった。
握りしめられとった布団の手が解け、俺の指を弱々しく、だが確かに握り返してくる。
「…おじ、さん……っ?」
ひまりが薄っすらと目を開けた。
寝ぼけ眼で俺を見つめ、それから安心したように小さく笑う。
「……おじさんだ…あったかい」
「……ああ。……冷めんうちに、寝ろ」
ひまりは俺の指を握ったまま、再び深い眠りに落ちていった。
俺はその手を離すことができず、夜が明けるまで、ずっと彼女の隣で座り続けた。
◆◇◆◇
窓の外が白み始めた頃
俺は決意を新たにした。
いつか、ひまりが本当にワシの手を必要としなくなる日が来るまで。
俺は「汚れた盾」であり続ける。
たとえ、どれだけ過去の因縁に追われようとも。
「……はよう、ひまり」
目を覚ましたひまりが、朝日を浴びて眩しそうに笑う。
その笑顔を守るためなら、なんでもしてやりたいとすら思う。不思議なもんや。
#シリアス
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