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この土地に限ったことでもなく、クヴラフワの樹木は種を問わず、どこでも萎びて弱っている。呪いの影響か、太陽光の弱さか。立ち枯れせずに森を形成している場合でも幹が痩せさらばえ、葉が抜け落ちて、樹冠が疎らになり、木漏れ日というには広く日が差すことになる。結局のところ日光自体が弱いので深い森らしい薄暗さは保たれているのだが。
ベルニージュとグリュエーは起伏を回り込むこともなくまっすぐに、病がちな森を一歩一歩踏みしめて突っ切る。葉群れが疎らなせいで森の向こうに隠れることのできない白い煙を目指す。
古くは魔性と交わる異種族が棲み、正統なる地上の主を称する人間を退け、故に多様な生物が生息していた森が、いまや生命の気配は限りなく小さくなっている。虫はしぶとく地面を這ったり、洞に隠れ潜んだりしているが、鳥獣の気配はない。
二人が森を通り抜けてたどり着いたのは一軒の家だった。村でも集落でもなく、山間部にあって、僅かに平らな狭い土地にぽつんと家が建っている。こぢんまりとしていて、古民家というほどの築年数ではないが、目を見張る風格を漂わせている。そして身動き一つとらず立ち尽くしている人影があった。
「すみませえん」と声をかけたのはグリュエーだ。
「それは案山子だよ」とベルニージュが人影の正体を明かした。
「口をきけない方の案山子だね」とグリュエーは負け惜しみを言う。
少なくとも害獣はいるということだ。しかし鹿や兎がいたとしても見向きもしないだろう貧相な畑で、案山子の着ている着物の方が色鮮やかで美味しそうなくらいだ。少し離れたところにある井戸の造りは悪くなかった。井戸枠の石積みは端正で、八角形の屋根には染み一つない白瓦が葺かれ、金物の鶴瓶に錆びはなく、綱は張り替えられたばかりで毛羽立っていない。獣除けの柵は申し訳程度の小ささだが掛けられた御守りからは睨みつけられているような視線を感じる。全体的には呪われた土地らしい荒んだ様子ではあるが廃れてはいない。目印にしていた煙は、小さく渦巻く火花を伴った不思議な焚火から上っており、そばで老婆が簡易な籐椅子に腰掛けて立ち去ることを恐れるように火を見守っていた。
「これは、どうしたことでしょう。村以外の人間なんて、戦争以来初めてよ。あなたたち、一体どこから来たの?」老婆は化粧のせいか若々しい見た目以上に老いた声で囁き、皴を伸ばして目を真ん丸に見開く。「魔法使いよね。あなたたちみたいな子供だけで旅をするなんて、とっても勇敢なのね」
「はじめまして。ベルニージュと申します。こちらはグリュエー。仰る通り、魔法使いで、勇敢に旅をしている者です」
老婆の膝に作りかけの編み物が置かれていることに気づく。ベルニージュならば一目でその内容が分かる素朴な保温の魔法が丁寧に織り込まれていた。
「あたしは閃電岩。あたしも魔法使いよ。まあ、耄碌した今じゃあ御守りを売るばかりのしがない老婆だけどね」
ジニほどの誤魔化しではないが、老婆というには自嘲が過ぎる。
ソヴォラはやおら立ち上がり、二人の客を見つめて小首を傾げる。「どうかしたの?」
ベルニージュとグリュエーはソヴォラに近づくことなく、口をきける方の案山子のようにその場に立っていた。
「正直に言って、警戒しているんです」とベルニージュが正直に話す。グリュエーはその隣で同意するように頷く。「クヴラフワやキールズ領の現状はご存じですか? クヴラフワ衝突のことは?」
「それはもちろん」ソヴォラは神の隠す秘密について話すように神妙な面持ちで語る。「クヴラフワ衝突というのはあの戦争のことよね? もう四十年になるかしら? 大混乱だったわ。シグニカの僧兵がやってきて、西からは大王国の戦士がやってきたらしくて、キールズの若者たちも駆り出され。でも庶民からすれば一体何と何のために戦っているのやら。あたしはずっと隠れ潜んでいたけれど、いつの間にか戦いが終わったわ。そういえば呪いの嵐があったでしょう? 最近は見に行っていないけれど、あれは無くなったの?」
「呪いの嵐――ワタシたちは残留呪帯と呼んでいますが――は今も渦巻いています」とベルニージュは答える。「ワタシたちはその呪いの嵐の向こうからやってきました」
ソヴォラの話が本当なら四十年間ずっとここで生きてきたことになる。呪われた土地で、たった一人きりで生き抜くのは肉体的にも精神的にも過酷なはずだ。キールズ領の呪いがどのような力なのかはまだ分からない。必ずしも直接的に命を脅かす呪いばかりではないが、戦局を有利に傾けるだけの力を期待された呪いだ。そのような土地にあって一人で生き抜く力を持つ魔法使い相手に油断はできない。
「残留呪帯……。キールズの外ではそう呼ばれているのね」ソヴォラは家の方へと足を向ける。「ともかく陋屋で良ければ歓迎させてちょうだいな。老いても魔法使い。いっぱしの好奇心くらいは残されているの。残留呪帯を越えて来なかった外の話を聞かせて?」
ベルニージュとグリュエーは躊躇いを踏み越えてソヴォラの後に続く。
情報交換を持ち掛けられたわけでもないが、ソヴォラに話を聞く前にクヴラフワの現状をできる限り伝える。そして二人の目的、クヴラフワ救済についても。
ソヴォラの家には実際以上の温もりを感じた。親しい者に抱きしめられるような心地よさがあった。外とは違う、暖炉の赤みある明かりは肌に溶けるようで、体の芯まで浸透する。木の壁や床、家具の親しげな色合い。まるで記憶にない故郷のように、歓迎する雰囲気がある。それは付け足されたおまじないの類ではなく、家を建てる段階から精密に組み込まれた魔術だ、とベルニージュには分かった。
そして二人の客を歓待する野菜たっぷりの羹の、魂を包み込むような心地よい香りに身を預ける。ベルニージュとグリュエーは案内された机について温かな器を、それが古く貴重な書物であるかのように大事そうに受け取る。その温もりにも安心させられるものがあった。
ただ唯一似つかわしくないのは暖炉の上に飾られた立派な剣だけだ。飾り気のない家、内装に反して、護拳に様々な宝石のあしらわれた豪勢な剣だ。一見ただの室内装飾にも見えるが、使い込まれた様子でなおかつ汚れても錆びてもいない。つまり常に手入れされているということだ。
「世界が終わったわけではないのね」二人の向かいでソヴォラは羹の中にいる誰かに語り掛けるように呟く。
大袈裟に聞こえなくもないが、ソヴォラがそれだけ孤独だったということだ。しかし安堵というには単調な響きだった。
「さっきの話、たった一人で住んでいるんですか?」とベルニージュは遠慮なく尋ねる。
「ええ、そうね、でも、いいえ。近くに端という村が、人里があるわ。だから一人とは言えないかもしれないけれど、でもあたしは拒まれているの」
「酷い。どうして?」
グリュエーの問いに困ったようにソヴォラは微笑む。「身内事で少し恥ずかしいのだけど。結婚に失敗しちゃってね。いわゆる庶民なりの政略結婚のようなものだったから、父を怒らせてしまったの。それでキールズ領に帰って来たんだけれど――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」思わずベルニージュが口を挟む。「それって四十年前の話ですよね? そのことを未だに根に持っているんですか? そのジョザ村の村民たちは」
そもそもこの老婆の父が健在だというのだろうか。
「そうね。村全体に迷惑をかけてしまったから。あたしも何度か許しを訴えたのだけれど、聞く耳を持ってくれないわ。帰りたくて帰りたくて仕方が無いのだけれど」
ソヴォラの瞳が微かに潤む、
異常な話だとベルニージュは思った。四十年前の、しかも戦前の話だ。婚家とて滅んでいるかもしれない。それを確かめる術すら無かったはずだ。
「グリュエーたちも拒まれないかな?」
不安そうにするグリュエーを慰めるようにソヴォラは明るい声で励ます。「大丈夫よ。四十年ぶりのお客様に面食らうかもしれないけれど、旅人を拒むような村じゃないわ。そこは変わっていないはず」
何故そう言い切れるのだろうとベルニージュは訝しむ。自身がこうして生きているからだろうか。しかしベルニージュは自ら否む。考え過ぎだ。
「ワタシなら拒まれたって何とかできるよ」
「ベルニージュの何とか出来るは手札が多すぎて怖いんだよね」
こんなことで切り札を切ったりしないよ、と言いかけたが聞きようによってはこれも怖がられる気がしたので喉の奥に引っ込める。