「はぁ、またか」
点数98点、クラス順位2位
「また、怒られる…..っ!」
なんでだよ、僕だって頑張ってるのに
1位の位置にある名前はいつも変わらない
いつも僕はその人を抜かせない
98点もクラス順位2位もどちらも母からすると価値がない。100点、1位じゃないと意味がない
いっつも言われていることだ
「もっと頑張れ」
何度そう言われたことか
「努力が足りない」
何度そう怒られたことか
いくら塾を掛け持ちしても無駄だった
あの2点はどうやっても埋まらなかった
どうやっても母の暴力は止まなかった
家に帰る道、いつもの公園
おれはある日、そこでタヒのうとした
塾を欠席して、ハサミを持って
でも、塾の人は親へ連絡を入れた
鬼の形相で母が迫ってきた
「何をやっているんだ」って怒鳴ってきた
その目には僕への心配は欠片もなかった
昔からいつもそうだった
俺には双子の姉がいた
だがタヒ産してしまったらしい
息子よりも娘を楽しみにしていた父は大激怒
さんざん母に暴力をふるった後に離婚した
僕が1歳になる前に母はシングルマザーになった
子供持ちでバツ1でタヒ産の経験あり….
そんな母に対する周囲の風当たりはどんどん強くなっていった
風当たりが強くなる度に母は世間体を気にするようになってしまった
僕が幼稚園に入園したらすぐ小学校受験へ向けて勉強を始めることになった
父から多額の慰謝料と毎年の養育費をもらっているため母は少々のパートだけでなんとかなった
その分僕に勉強を教えることができ、幼稚園以外の時間はひたすら勉強をする時間になった
その時から母はかなり変だった
だがその頃はそれが普通だと思っていた
小学校に入ったら次は中学校へ向けて猛勉強
塾に入り、友達と遊んだことなんてなかった
そもそも内気な性格の僕に友達はいなかったけど
まぁまだそのころは苦ではなかった
ただ少し孤独感は感じていた
小学校のテストでも惜しくも98点や99点ばかり
そのたびに母に失望される
そのうちに自分の価値が分からなくなっていた
100点じゃないと意味がないと刷り込まれた
「なんで100点じゃないの?なんであと1点がとれないの?やっぱり塾増やさないと?」
眉間に皺を寄せ、ため息を吐きながら母はいつもそうやって言う
その頃もそれが普通だと思っていた
中学校になると受験に向けてより厳しい勉強が始まった
だが周りはいつもなにかで盛り上がっている
みんなの話題についていけない孤独感は思春期の心に深く刺さった
自分の家の異常さに気づいたのもその頃だ
他の子はいつもショッピングモールとかで遊んでる、他の子はいつもゲームの話題で話してる
“え?自由に遊べる時間があるの?”
“放課後は遊ぶ時間だったの?”
僕にとっては衝撃で仕方がなかった
いつも兎にも角にも勉強の生活だ
でもそれが当たり前だったからとくに何も思っていなかった
当たり前じゃないと知ったときそれが一気に辛くなった
10点なんかを取ることにも、それを笑い話にできるとこにも僕は一つ一つが驚きだった
でもみんなのほうが楽しそうだった
みんなの方が充実していた
はっきり言って羨ましかった
僕はと言うと
なかなか100点が取れないからと塾が増えた
睡眠時間と食事の時間を削って塾に行く時間を作った
自習の時間も少し減らした分学校の休憩時間の勉強を増やした
それでも2点は埋まらなかった
母はどんどん厳しくなった
オール5の通知表を見たとしても
「テストの点が悪いじゃん」
と怒ってくるんだ
僕の気は滅入っていくばかりだった
高校生になると今度は塾を3つに増やした
食事の時間とお風呂の時間と睡眠時間を大幅に減らして時間をなんとか作った
家庭学習の時間には家庭教師も呼んだ
それでもあの2点は縮まらなかった
母はどんどん狂っていった
コメント
4件
努力してても報われないってめっちゃ悲しいな…