◻︎ばあさんの書き置き
震える礼子の手から、その手紙(?)のようなものを受け取って、そっと広げた。
赤や黒、紫でぐしゃぐしゃに何かが書いてあるけど、わからない。
花のような?人のような?
お絵描きを始めたばかりの子どもの絵のようだ。
「ごめん、わからないんだけど」
「こ、ここんとこ、これ…」
礼子が指差すところを見た。
オレンジ色でひらがなのようなものが。
「わ?れ?ち?ん?ごめ?い?」
さっぱりわからない。
「多分だけど、れいちゃんごめんね、と書いてあると思う」
「あ、うん、そうだ。れいちゃんごめんね、だ。どういうこと?いや、その前にちょっと待ってて」
私はキッチンへ向かい、お水をコップに入れてきた。
「飲む?それから落ち着いてから話して。ばあさんはうちのパパが今探してくれてるから」
「うん…」
ごくごくと飲み干して、深呼吸をする礼子。
「あのね、一年位前にばあさん、認知症って診断されて、半年くらい前から夜に勝手に外に出て行くようになったんだ…」
礼子の旦那さんはどこだか大きな商社に勤めていて、ほとんど日本にいない。
子どもは息子が1人いるけど、県外の大学だから離れて暮らしていて、お義父さんは少し前に他界したらしい。
「まえ、電話したときもそう言ってたね」
「うん、あの頃はまだマシだったんだよ、たまにだったし、大体行くところは見当がついたし。私のこともまだわかってた。でもだんだんと毎晩勝手に出て行くし、出られないように鍵をかけたら暴れるし、ついて歩くには毎晩はとても無理で…限界かも?って思うようになったんだ」
そう言われてみれば、襖や障子があちこち破れているし、縁側の掃き出し窓にはヒビが入っている。
「ヘルパーさんとかは?」
「頼んであるけど、ヘルパーさんが来てくれる昼間はおとなしくていい人なんだよ。寝てる方が多いし。でも夜になると訳分からなくなって、独り言をぶつぶつ言いながら歩き回ってさ。普段はもう私のことなんか認識してくれなくなってさ…。
徘徊するばあさんを無理にでも連れ戻そうとすると、まるで誘拐犯に襲われたみたいに悲鳴をあげて暴れて、近所にも迷惑かけちゃうし…」
「えー、ばあさん、礼子のこともわからなくなってしまったの?それはキツい」
結婚当初から同居してるけど…なんだかばあさんとは気が合うんだよね、って礼子は言ってた。
自分の両親は早くに亡くなったから、本当の母親みたいでうれしいって。
嫁だからあーしろ、こーしろとは言わず、どちらかというと友達みたいに付き合えると言ってた。
服やメイクも一緒に楽しんでるって、そんな嫁姑関係がうらやましいなと思ってたのに。
「とにかく、もう私が限界だったんだ…」
私は黙って礼子の背中をさすった。
今はそれしかできなかった。
「でも、それがどうして、殺したかも?なんてことになるの?」
しばらくの沈黙。
「軽蔑されるかもしれないけど…」
「しないよ、言っていいよ」
「…さっさと死なないかな?って思うようになった…」
「……そっか」
「外を歩き回ってどこかで死んじゃってくれないかなって、そんな怖いこと考えてしまう私ってどうかしてるよね?酷い嫁だよね?」
「それだけ追い詰められてたんだよ。でも実際殺してないでしょ?」
「そうなんだけど…。でもね、昨夜もね、夜中に出て行く気配がしたんだ、部屋の襖を開けるとチャイムが鳴るようにしてあるからね。で、いつもはまず引き止めるんだけど、昨夜は引き止めなかった。見つからないようにドアの隙間からばあさんが出て行くのを見てたんだ…」
「うん、それで?」
「このまま帰ってこなければいいとか考えてしまって…追いかけなかった…」
「それでも、さっき電話してきたじゃん?心配になったからでしょ?」
「そう。私、いつのまにかうとうとしてて、朝になってもやっぱりばあさんは帰ってきてなくて。部屋を見たらその、手紙みたいなものがあって…」
『れいちゃんごめんね』
「たまになんだけど、たまーに、ばあさん正気に戻る時があるんだよ。それはその時に書いたんだと思う。そして、昨夜も家を出る時は正気だったんだよ、さっき思い出したんだ」
「なにを?」
「いつもは左右不揃いのサンダルとか、裸足とか、とにかくめちゃくちゃな履き物で出て行くのに、昨夜に限って、靴箱から自分のお気に入りの靴を出して履いて出て行った、ちゃんと靴箱も玄関も閉めて。普段は全部中途半端でそんなにキチンとしてないんだよ」
「……それって」
私は言葉を失った。
「わかってて、自分からここを出て行ったんだと思うんだ、そして死に場所を探して歩き回ってるんじゃないかって、私に迷惑をかけてるからって」
「そうだね、そうかも…しれない」
「そんな風に考えて出て行くばあさんを、私は無視してたんだよ、これって殺したのと同じじゃん!」
「ちょっと待って、それはまだ違うから。絶対大丈夫だから、ね!話はわかったから、とにかく警察に行って探してもらおうよ、ね!」
ぷるるるるるるる🎶
ぷるるるるるるる🎶
礼子の腕を取って立ち上がろうとした時、私のスマホが鳴った。
_____パパ!
「はい、もしもし!」
『見つけた!見つけた!でも、怪我してるから救急車呼んだよ、これから付き添って病院行くから。病院が決まったら連絡するよ』
「ありがとう!」
「礼子、聞こえた?ばあさんいたって。怪我してるらしいけど、パパのあの様子ならそんなにひどくないと思うから。救急車が行く病院が決まったら連絡くると思うから、準備しとこ、ね!」
へたへたと座りこむ礼子。
「よかった…」
心からの安堵の声だった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!