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お互いに気持ちを打ち明けた日――。
折角相思相愛だと分かったのに、絶賛生理中の日和美に信武ががっくりと項垂れたのは言うまでもない。
だが、日和美の方は、すぐすぐ信武と肌を合わせなくてもいいと言う安心感でふんわりと心が緩んだ。
幸い生理痛ももうないし、経血量だってピークは過ぎた。
一番の心配事だった愁いも、まだ聞きたいことはいくつか残っているものの、一応晴れた。
そうなれば慣れたもの。
日常生活を送るのに支障はないわけで。
睡眠不足と栄養不足だった身体は、何とか日中は気合で仕事をこなせたものの、帰宅すると同時に一気に色々求めてきて。
夕飯後、お風呂に入ったら余りに気持ちよくて湯船に何度か沈みそうになってしまった。
そんなこんなで風呂上り。
タオルを頭に乗せて二、三度手を前後に動かしただけの髪からポタポタと水滴を落としながらふらふらと眠気と戦っていたら、信武が帰宅してきた。
「おい日和美。寝るならちゃんと髪乾かしてからにしろ。風邪ひいちまうぞ」
荷物を置いて手洗いを済ませるなり「貴方はお母さんですか」と言うセリフを並べ立てる信武に、日和美はぽやんとした視線を投げかけた。
「信武しゃんのせぇれ寝不足らんれすよぅ? 責任取って下しゃい」
恨み節も語尾がふわふわと浮ついて、呂律が回っていないから、全然迫力がない。
「そりゃあ悪かったな。そんなにお前が俺のこと大好きでヘロヘロになるくらい思い悩んでくれてるとは思わなかったんだ。許せ」
ククッと楽し気に喉を鳴らして笑うと、信武が洗面所からドライヤーを手に戻って来る。
「ほら、責任取ってやるからとりあえず身体起こせ」
日和美の肩に軽く触れると、リビングに置かれたローテーブルにしなだれかかった日和美のすぐ背後に陣取って。
日和美がふらふらしながらもテーブルから身体を起こすと、大きな手で日和美のショートボブを柔らかな手つきでかき回しながらドライヤーを当ててやる。
ゴーという熱風とともに、日和美の短い髪の毛はすぐに乾いてサラサラになった。
「オイ、乾いたぞ。布団……」
ドライヤーをしている時から怪しかったけれど、日和美はますます眠気に勝てない様子で、信武が話しかけても目なんてちっとも開いていない。
信武はそんな日和美を見て、彼女の背後でふっと口元に小さく笑みをたたえると、眠りかけている日和美の足をローテーブル下から引きずり出して抱き上げた。
そのままつま先で器用に寝室との境の襖を開けると、日和美をそっと布団に横たえてやる。
「信武しゃ、ありあとぉ……」
恐らく「信武さん、有難う」と言ったのだろうが、最早ちゃんとした言葉にもなっていないのが、信武には可愛くて見えて仕方がない。
そもそも日和美がこんなにヘロヘロになってしまった原因が自分と萌風への嫉妬心からだと思うと、ぐったりしている彼女には悪いが愉快でたまらないのだ。
二度、三度日和美の頭をふわふわと撫でてから、薄っすらと開いたままの柔らかな唇に軽く触れるだけの口付けを落とすと、信武はグッと自分の欲望を押さえつけて立ち上がった。
日和美はまだ生理中だ。
抱くわけにはいかない――。
***
夕飯がまだだった信武がとりあえず何か食うもん……と思って台所へ行くと、アイランドキッチンの天板の上に皿が乗っていて、レンコンのきんぴらやおからの炒り煮、酢豚などがワンプレート料理になってふんわりとラップがかけられていた。
炊飯器は保温後四時間を現す「4H」を表示していて。
今の時刻から換算するに、日和美の帰宅時間の十九時頃に合わせて炊かれたご飯だと分かった。
それを茶碗によそって、プレートを電子レンジで温めたらいいだけにしてある心遣いが有難くて。
ラップがかかったままの皿を電子レンジに入れながらふと視線を転じたら、日和美も同じものを食べたのだろう。
今レンジに入れたばかりのプレートと同じ白い皿と、信武のとペアになった夫婦茶碗が綺麗に洗われて流しの水切りかごに立てかけられていた。
そう言えば、昨夜はそういう生活の気配が全く感じられなかったから、もしかしたら日和美は食事も喉を通らないくらい思い悩んでいたのかも知れない。
そう思い至った信武は、日和美にちゃんと萌風もふとの関係を話さねぇとな、と嘆息して――。
(あー、けどなぁ)
そうすると必然的に打ち明けねばならないことが芋づる式にズルズルと出てくることを思って、軽くめまいを覚えてしまう。
日和美は一連のあれこれを全部打ち明けた時、自分のことをどう思うだろうか?
そんなことを取り留めもなく考えて、無意識に吐息が零れ落ちる。
と、電子レンジが仕上がりの音楽を鳴らしてきて、信武は頭を軽く振って気持ちを切り替えた。
(ま、なるようにしかなんねぇだろ)
いずれにしても、信武は折角手に入れた日和美を手放すつもりはない。
そこだけはっきりしてりゃ、十分だろ……と思った。
***
「あ、そう言えば信武さん、『ある茶葉店店主の淫らな劣情』、読み終わりましたよ」
お互い好き同士のはずなのに、日和美の月のもののせいで今まで通り添い寝のみで悶々とした一夜を明かした翌朝。
そんな信武とは真逆でよく眠れたのだろう。すっきりとした表情でほかほかのクロワッサンをちぎりながら、日和美がニコッと微笑んだ。
今日の朝食は少し大きめのクロワッサンと、カボチャのポタージュスープ、目玉焼き、ハーブ入りソーセージ、サラダ……と言った、ホテルの朝食みたいなお洒落な洋食。
クロワッサンは日和美の職場近くにあるパン屋の人気定番商品を、昨日仕事帰りに買っておいたらしい。
それは、軽くトーストしただけでバターの香りがふわりと広がる、食欲をそそられる三日月パンだった。
ポタージュスープは、日和美があらかじめ一口大に切って蒸かしていたカボチャを冷凍庫から数欠片取り出してレンジで解凍した後、牛乳とコンソメを入れてミキサーにかけてから鍋で温めたものだ。
スープカップの中でふわりふわりと湯気をくゆらせるトロリとしたスープの表面には、乾燥パセリまで散らされているという憎らしさ。
それに加えてクロワッサン横。
美味しそうに軽く焦げ目の付けられたハーブ入りソーセージも日和美の手作りだと聞いた時には、信武は心底驚いて。
「あ。って言っても腸とか買えなかったのでラップに包んで蒸しただけの皮なしソーセージなんですけどね」
何でも豚ミンチに香草やスパイスを入れて一晩寝かせたものを、ラップに包んで蒸したものが冷凍してあったらしい。
それを取り出してレンジで温めてから、フライパンで焼き目を付けたのだと言う。
それだけでも十分なのに、キュウリやレタス、ミニトマトを添えたサラダに、目玉焼きまで付けてくれて……。
若いのに、日和美は本当に手際よく料理をする女性だなと改めて感心した信武だ。
その朝食を前に「いただきます」をして。
熱々のミルクティーを一口飲んだタイミングで、日和美が信武の本を読了したと報告してきたのだ。
「茶葉店の描写とかお茶についての雑学とか……お茶の淹れ方とか……すっごく丁寧に描かれていてびっくりしました! 信武さん、本当博識なんですね」
「あ? ああ。……まぁ、それなりに調べた……から」
ファンレターをもらうことは多々あっても、面と向かって読者から読了報告をもらうことは少ない。
寝不足なところへもってきて、慣れないことをされた信武は、何だか妙に気恥ずかしくなったのだけれど。
そんな彼の様子なんてお構いなしに日和美が続ける。
「萌風もふ先生も紅茶王子のお話を書いてらして……。あの時も紅茶について知らないことだらけで滅茶苦茶驚かされたんですけど……正直あの時と同じくらい感動しました! ……あと」
そこでゴニョリと口ごもった日和美が、ローテーブル越し、どこか窺うような視線を信武へ向けてくる。
「――?」