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エブリスタhttps://estar.jp/creator_tool/novels/26483第1話「『欲しい第一話:「『欲しい人材』という幻想」
「うちはね、“欲しい人材”を明確にしています」
そう言って、スーツの男は笑った。
その笑顔には、何ひとつ悪意がなかった。むしろ親切だった。
ただ、その笑顔の裏側にある「型」のようなものが、どうしても気になってしまった。
――“欲しい人材”とは、どんな人だろう。
就活サイトの特集を開くと、同じような言葉が並んでいる。
「主体的」「協調性」「柔軟性」「成長意欲」……
どれも“いいこと”のようで、どれも“便利そう”だった。
夏希は、カフェの窓際でその画面を見つめた。
スマホの明かりに照らされて、コーヒーの表面がうすく揺れる。
向かいに座る友人の奏が、ストローをくるくる回しながら言った。
「“柔軟性”って、結局“相手に合わせられる人”って意味じゃない?」
「まぁ、そうだよね」
「“主体性”って、“こっちの望む方向で動ける人”ってことじゃない?」
「……」
二人は笑った。冗談のつもりだった。
でも、その笑いが思いのほか、喉に引っかかった。
会社説明会のスライドには、
「私たちは人を大切にします」
「若手にもチャンスがあります」
「失敗を恐れずチャレンジを」
と、やわらかいフォントで書かれていた。
言葉のどれもが“いい”ように見えた。
けれど、そこには「異論」「拒絶」「停滞」が一切存在しない世界が描かれていた。
――都合に合わせてくれる“いい人”しか、受け入れない世界。
夏希は面接で、自分でも驚くほど“いい人”を演じていた。
質問に対して即座にうなずき、求められた価値観を、自然な笑顔で返す。
「御社の理念に深く共感しました」
「どんな環境でも柔軟に吸収し、成長していきたいです」
言葉が出るたび、何かが削れていく感覚があった。
だが、面接官たちは満足そうに頷いた。
「君みたいな人材を探してたんだよ」
――“欲しい人材”になれた瞬間だった。
帰りの電車で、吊り革を握りながら、夏希は車窓に映る自分の顔を見た。
「君みたいな人材」
その言葉の響きが、どうにも心の奥で鈍く響く。
“君みたいな”って、どんな?
“人材”って、誰?
反対側のシートに座る誰かが、小さな声で呟いた。
「“人”じゃなくて、“材”なんだよな」
たぶん、それは自分の心の声だった。
夏希は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
ほんの少しだけ、笑みが漏れた。
「“欲しい人材”って、つまり“扱いやすい人”のことじゃない?」
声に出してみた瞬間、
不思議と、胸の奥に風が通った。
第二話:「『いい調子』だけモテてる💧」
「やっほ〜! 今日もテンションいいね!」
カメラの向こうで、コメントが光る。
“いいね”の波が、スマホの画面いっぱいに広がっていく。
莉央は、笑顔を崩さない。
口角、声のトーン、瞬きのリズム。
全部、練習して身につけた。
“明るく”“ポジティブ”“元気をもらえる”
――それが彼女の「キャラ」だった。
けれど、画面の外側では、コーヒーの湯気が静かに消えていく。
朝から胃が重かった。
昨夜、友人の配信仲間が急に活動をやめたのだ。
「疲れた」
その一言を最後に、SNSのアカウントも消えた。
コメント欄には、誰も“それ”に触れなかった。
「また復帰してくれるといいね!」
「休むのも大事〜♪」
――“いい調子”を保つことが、最大の礼儀になっていた。
配信が終わると、莉央は笑顔のまま、カメラをオフにした。
モニターに映る自分の顔が、ふっと静まる。
唇の端が下がるのを見て、思わずため息が出た。
そのとき、スマホが震えた。
「今日の配信もサイコー!」という通知。
「莉央ちゃん、テンション落とさないでね!」
――優しい言葉。だけど、妙に重かった。
“テンションを落とさないでね”
つまり、“気分を乱さないでね”
つまり、“私たちの『いい空気』を壊さないでね”
そう読み取ってしまうのは、被害妄想だろうか。
でも、誰も“暗い話”を望んでいないのは知っていた。
画面の中では、“共感”よりも“共鳴”がモテる。
“わかる”より“楽しい”が優先される。
「ノリ」を外した瞬間、フォロワーは音もなく離れていく。
キャンセルでも炎上でもなく――ただ、静かに。
夜。
ベッドの上で、莉央はスマホを伏せた。
画面の明かりが消えると、部屋が少しだけ広くなった気がした。
“いい調子”の自分を、いったん降ろす。
深呼吸をして、ゆっくり目を閉じる。
――“いいね”が付くのは、“いい調子”だけ。
私がわかってれば、いいんだ。
この先“おかしなこと”に、させないから。
第三話:「『いい』よ。キミは“そのまま”で♪」
春の光が、カーテン越しに差し込んでいた。
ベッドの上で、美月はスマホを横に置いたまま、ぼんやりと天井を見ていた。
昨日、恋人の陽介から届いたメッセージが、まだ画面に残っている。
「ほんと、美月はそのままでいいよ😊」
やさしい言葉だった。
いや、やさしすぎて、少し怖かった。
“そのままでいい”という言葉には、
「今のあなたが好き」という肯定と、
「これ以上、変わらないで」という命令が、
いつも、紙一重で並んでいる。
陽介は悪気がない。
いつも笑って、何でも受け入れてくれる。
だけど、美月が何か新しいことを話そうとすると、
ほんの一瞬だけ、空気が凍る。
「え、それって前の美月っぽくないね」
「なんか最近、変わった?」
その一瞬の寂しそうな表情が、
「戻ってきて」と言っているように見えた。
美月は自分の髪の毛を指でいじりながら、
鏡の中に映る自分を見つめる。
柔らかいピンクのカーディガン。
ふわふわの前髪。
「ほんわり」「ゆるかわ」
そう言われると、褒められたような気がした。
でも最近、その言葉を聞くたびに、胸の奥がざわつく。
――“かわいい”って、誰にとって?
――“そのままでいい”って、いつまで?
夜、カフェでひとりノートを広げた。
書きかけの詩の断片が並ぶ。
そこに、小さく書き足す。
「変わることを、やさしく許せる世界でありたい」
書いた瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
まるで、長いあいだ着ていた服を脱いだように。
翌朝、美月は髪を少し切って出かけた。
街の風が、首すじにあたる。
いつもと同じ道なのに、光の見え方が違った。
駅前で、陽介に会った。
驚いた顔をした彼に、美月は笑って言った。
「ねえ、“そのままでいい”って言葉、
あれ、ちょっと返すね」
「え?」
「“そのまま”じゃなくても、いいよ」
そう言って、彼の横をすり抜けた。
春の風が、やわらかく吹いた。
“いい”という言葉は、
誰かを縛るものにも、誰かを解き放つものにもなる。
そして今、美月はようやく知った。
――“いい”は、他人の評価じゃなく、自分の温度で決めていいのだ。
💠
『いい』って、なんだろう?
それは、誰かの都合に合わせるためじゃなく、
自分の輪郭を静かに取り戻すための、
もうひとつの問いだった。