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◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/外周・正門前】
森が、鳴いていた。
枝が折れる音と、腹の底に落ちる唸り声が、何重にも重なる。
正門の前――鉄柵の外側。
そこに集まっているのは、獣だけじゃない。
グレイウルフ。馬や牛より大きい、煤けた鉄の毛並み。
その肩から背中にかけて、黒い影が“まとわりついて”いる。
影の縁をよく見れば、青白い文字列が走っていた。血管みたいに。
「……来た」
アデルが馬を止め、剣を握り直す。
「門の前。ここで受ける」
リオはマスクの奥で息を吐いた。
(影が増えてる。獣の上に――“煤”が乗ってる)
横でヴェルニが楽しそうに笑う。
「やっと派手なの来たね。アデル、俺の出番――」
「黙って」
「冷たいなあ」
イヤーカフが、ちり、と鳴った。
『学園の座標、まだ揺れてる。門の外側、影の密度が上がった』
ノノの声は速い。必要な情報だけを、投げる。
『獣に乗ってるの、たぶん“煤”。噛まれなくても、触れられるのが危ない』
「触れられる前に、門から離す」
アデルが短く言い、剣先を地面へ落とす。
「〈大結界・第一級〉――光よ、門前に“壁”を重ねて」
淡い光が地面に染み込み、鉄柵の前に透明な膜が立つ。
一枚、二枚、三枚。薄い壁が重なって厚みになる。
次の瞬間、先頭のグレイウルフが跳んだ。
土を抉り、膜にぶつかる。
ドン、と鈍い音。
膜はしなり、しかし割れない。
獣が弾かれ、怒りの遠吠えが森を震わせた。
「ギャウゥゥ……!」
その背中の黒い影が、膜に触れた瞬間――
影の縁の文字列が、走る速度を上げた。増える。濃くなる。
「……煤が、結界を試してる」
リオが呟く。
ヴェルニが指先を鳴らす。
「じゃあ、結界の上から吹き飛ばす。派手に」
アデルが嫌そうに目だけ向ける。
「巻き込みはしないで」
「しないしない。たぶん」
「たぶん、は要らない」
ヴェルニが笑ったまま詠唱する。
「〈爆裂・混成〉――『風、炎、圧。ひとつにして、前へ』!」
風が渦を巻き、そこへ炎が芯みたいに刺さる。
次の瞬間、前方へ“爆ぜる風”が走った。
熱と圧が、獣の群れをまとめて押し返す。
グレイウルフたちが踏ん張る。倒れない。
でも、門へ寄る足が一歩分だけ戻る。
その隙に、リオが掌を前へ出した。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
細い光が走り、鎖の形になって一匹の前脚へ巻きつく。
獣が体勢を崩し、土が跳ねた。
影の文字列が乱れて、煤が一瞬“薄く”なる。
(効く。獣そのものじゃなく、上に乗ってる影が――)
だが、勝った、と思うのは早かった。
押し返された獣の影から、黒い“人影”が、ぬるりと抜けた。
サラリーマンみたいな輪郭。OLみたいな輪郭。
形だけが人間で、中身は煤と文字列。
それが、結界の前に立つ。
立っただけで、空気が冷える。
影が、普通の口調で言った。
「こんにちは」
「今日、寒くないですか?」
ヴェルニが一瞬、眉を上げる。
「……気持ち悪いね、それ」
アデルは笑わない。
「人のふりをして近づく。……厄介」
イヤーカフが鳴る。
『イルダ側で、光が効いた。イデールの光、煤を“ほどく”』
ノノの声が早い。
『今の影にも、たぶん同じ。結界で閉じて、光で削るのが良さそう』
「共有ありがとう」
アデルは短く返し、剣を上げる。
「門は守る。中へは――まだ入れない」
その言葉の直後、門の向こう――校舎の窓の奥で、悲鳴が上がった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館前・廊下】
体育館の出入口は、先生たちが机とマットで塞いでいる。
生徒たちは中に押し込められ、窓に寄りかけては引き戻されていた。
「外に……人がいる!」
「鎧……武器……なに、あれ」
「助けに来たの?でも、狼も……!」
好奇心と不安が、ぐちゃぐちゃに混ざる。
誰かが泣き、誰かが笑いそうになり、誰かが怒鳴る。
先生の声が何本も飛ぶ。
「押さないで!転ぶ!」
「前の子、下がって!壁際!」
「スマホは後!今は――今は落ち着いて!」
でも“落ち着け”は、もう効かない。
体育館の床で上履きが滑り、誰かが尻もちをつく。
倒れた子を起こそうとして、別の子がつまずく。
泣きながら名前を呼ぶ声が重なり、体育館の空気が一気に薄くなる。
廊下側でも同じだ。
逃げようとする生徒が出口に殺到し、机のバリケードにぶつかって止まる。
「開けて!」「外に出たい!」という叫びが上がるたび、先生が必死に腕を広げて塞ぐ。
「ダメ!外は危険!ここから出ない!」
「体育館の中へ!一度、全員中へ入って!」
押し返す力と押し出す力がぶつかって、廊下が詰まる。
その混雑の端で、黒い“制服”が立っていた。
学園の制服。
背格好も、生徒と同じくらい。
顔も見える。髪もある。
――なのに、足元の影だけが濃い。黒い煤が、床に滲んでいる。
生徒のふりをした“それ”が、体育館の入口へ近づく。
「……ねえ、体育、なくなったの?」
声は、あまりに普通だった。
先生のひとりが、反射で答えかける。
「今は――」
その瞬間、制服の足元の影が、伸びた。
先生の靴へ、すっと触れようとする。
「……っ!」
先生が引いた。
引いた足元に、黒い煤が“置き土産”みたいに残る。文字列が走る。
生徒の誰かが叫んだ。
「影……!足の影が、変だ!!」
体育館の中が、爆発みたいに騒がしくなる。
「なにそれ!」
「こっち来る!」
「先生、後ろ!」
泣き声が増え、押し合いが強くなる。
バリケードの机がギシ、と鳴り、先生が肩で支える。
「みんな、座れないなら、せめて壁に!しゃがんで!」
「転ぶから走らない!走らないで――!」
けれど誰かが走ると、連鎖で全員が動いてしまう。
出入口が狭いぶん、恐怖は濃縮される。
“誰か”が中に入ってきた――それだけで、逃げ道が消える。
ハレルは前へ出た。胸元の主鍵が、熱を持って脈打つ。
「……そいつ、違う」
声が震えた。でも、言い切った。
サキが隣でスマホを握りしめる。指が白い。
その瞬間、サキのスマホが震えた。
画面に、通知が浮かぶ。
《使う際には》
《近くに主鍵または副鍵がないと》
《強制プログラムは動かない》
サキが息を呑む。
「……お兄ちゃん、これ……」
ホーム画面に、見覚えのない地図アプリがある。
開くと、黒い地図に光る点がいくつも浮かび、そのひとつに“マーク”が付いていた。
体育館の入口の近く。
まさに、あの制服影の位置。
ハレルが覗き込んだ瞬間、胸元の主鍵が明滅した。
熱が増し、光がチカチカと脈を打つ。
(鍵が、反応してる……だから、動く?)
サキは怖い顔のまま、でも逃げなかった。
制服影に少しだけ近づく。先生が止めようとするより早く、サキは画面をタップした。
表示が出る。
《強制退出させますか?》
《はい/いいえ》
サキの喉が鳴る。
「……はい」
押した瞬間。
床が、光った。
制服影の足元に、円が現れる。
ただの魔法陣じゃない。
円周に沿って、青白いプログラム文字列が無数に走り、
内側にも同じ文字列が格子みたいに組まれていく。
ハレルの主鍵が、眩しいほどの光を放った。
その光に呼応して、円が“起動”する。
制服影が、まだ生徒の口調で言った。
「今日、寒くないですか?」
「え、体育なくなるの、やだな」
普通の会話。普通の不満。
なのに声の奥が、妙に空っぽだ。
影の足元の煤が、円へ吸われる。
制服影の身体にも、青白い文字列が走り始めた。
皮膚の上に、コードみたいに。
「……あ、れ?」
声が、少しだけ揺れる。
それでも“ふり”を続ける。
「……ねえ、先生、宿題――」
言い終える前に、制服影は円へ沈んだ。
床が開くみたいに。溶けるみたいに。
最後まで人間の声の形を保ったまま、消えた。
体育館の中も外も、一瞬だけ静まる。
息を呑む音だけが残る。
そして、遅れて、叫びが戻ってきた。
「消えた……!?」
「なに今の!?光った!!」
「サキちゃん、何したの!?」
サキはスマホを握りしめたまま、震える声で言う。
「……私も、分かんない。でも……“鍵が近いと動く”って……」
ハレルは主鍵を握り、唇を噛んだ。
(父さんのやつ……?)
(いや、セラの言ってた“プログラム層”…?)
廊下の奥――窓の外で、門のほうから爆音がした。
獣の唸り声が重なり、人の声も混じる。
助けが来ている。
でも、間に合うかどうかは――まだ分からない。
◆ ◆ ◆
【現実世界・日本/臨時指揮車両・日下部の膝上】
日下部のノートパソコンが、勝手に鳴った。
通知音じゃない。機械の内部から鳴る、薄い金属音。
画面の隅に、見覚えのないメッセージが出ている。
《開いて》
日下部が指を伸ばす。
止める暇もなく、クリックした瞬間――
「……勝手に、落ちてくる?」
ダウンロードが始まった。
パソコン用の地図ソフト。
インストールが終わるより早く、画面が切り替わる。
黒い地図。
現在地の周辺に、黒い点が無数に灯っている。
点のいくつかは“人”の形のアイコン。
別のいくつかは、“転移地点”みたいに円で囲まれている。
日下部の背中を、冷たいものが走った。
「……これ、見えてるのか。今、どこで“出てる”か」
城ヶ峰が画面を覗き、顔色を変えないまま言った。
「共有できるか」
「……やってみる」
日下部が操作しようとした、その時。
画面の端で、ひとつの点が“増殖”みたいに増えた。
街の中。人が多い場所。
城ヶ峰が低く息を吐く。
「……間に合わない速度だな」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/外周・正門前】
結界の外側。
煤を纏った獣と、人影が、じわじわと距離を詰めてくる。
兵士たちは門の内側で槍を構え、結界の揺れを見て息を詰める。
結界の外へ出れば触れられる。
内側に入られれば、学園の中が終わる。
その足元――地面の影が、ほんの少しだけ動いた。
黒い、薄い破片。
手のひらほどの“煤”。
そこに、青白い文字列が絡まり、まるで筋肉みたいにうねる。
破片は、音もなく這った。
兵士の踵のすぐ後ろまで。
兵士は気づかない。
前の唸り声と、結界の揺れに集中している。
破片が、ゆっくりと持ち上がる。
人の指の形に似せた、黒い突起が伸びる。
――背中に、触れようとした。