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【異世界・転移した学園/外周・正門前】
門の“こちら”は学園の敷地。
門の“向こう”は、湿った土と濃い緑――異世界の森。
その森が、押してくる。
グレイウルフの群れ。
ただ大きいだけじゃない。毛並みの間から、黒い煤みたいな影が滲んでいる。
吠えるたび、口の奥で“別の声”が混ざった。人間の言葉のような、意味のない雑音。
さらに、森の影から――人の形が出た。
背広の肩。細い腕。女性のシルエット。
顔はあるようで、ない。全身が黒い“覆い”でできていて、端々に細い文字列が走る。
「……来たな」
リオが息を吐く。マスクの奥で、喉が乾く。
隣で、アデルが剣を下げたまま門前に立つ。
門を守る兵士たちが、槍と盾を構えて背後に並ぶ。
『聞こえる?』
イヤーカフから、ノノの声。いつもの早さ。必要な情報だけが落ちてくる。
『光系――治癒の系統、影に刺さる。たぶん“燃える”みたいに。』
『攻撃に転用できる。……普通の斬撃だと、影だけ残って、また張り付く』
「治癒、か」
アデルの眉がわずかに動く。得意分野じゃない、と顔に出る。
ヴェルニが肩をすくめた。紺の髪が森の緑に映えて、やけに目立つ。
「治癒? そんな地味なの、俺の担当じゃないだろ。俺は燃やす。吹き飛ばす。終わりだ」
自信満々に言い切って、前に出る。
黒い影の“背広”が、やけに普通の口調で言った。
「今日は寒いですね。――助けを呼びましたか?」
その直後、影の足元が“膨らんだ”。
獣の影と繋がっているみたいに、黒い煤が地面を這い、門へ向けて押し寄せる。
グレイウルフが跳んだ。
結界の膜にぶつかって鈍い音を立て、それでも爪で引っ掻いて裂こうとする。
リオが掌を前へ出す。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
細い光が走り、鎖になって獣の前脚へ巻きつく。
勢いが削がれ、土が跳ねる。だが――黒い影が鎖の上を“滑って”くる。
「……くそ、影だけ動く」
ヴェルニが口角を上げた。嬉しそうに。
「なら、影ごと壊せばいい」
「〈第四階位・風圧〉――『押し返せ』!」
突風が門前を薙いだ。
獣の群れが一斉に体勢を崩し、黒い影の“背広”もよろける。
その隙に、ヴェルニの手のひらが赤く光る。
「〈爆裂・第三級〉――『燃えて、砕けろ』!」
風と炎が重なり、門前の地面が一瞬“昼”になる。
爆ぜる熱。焼けた草の匂い。
獣が悲鳴を上げて転がり、影の一部が千切れた。
――だが、千切れた黒い煤が、また寄る。
文字列が絡み合い、元に戻ろうとする。
「しつこいねえ……!」
ヴェルニが舌打ちする。攻撃は効いている。でも“決め手”じゃない。
アデルが短く息を吐いた。
「……ノノの言うとおりだ。影を“焼く”必要がある」
「アデル、治癒なんて――」
ヴェルニが言いかけて、止まる。アデルの目が真剣だった。
アデルは剣を地面へ向ける。
門前の結界を維持しながら、もう一つの系統に手を伸ばす。
「〈治癒光・第一級〉――『光よ、痛みをほどけ』」
本来なら、傷を塞ぐための光。
それが今は、刃のように鋭い筋になって、黒い影へ落ちた。
ジュッ――と、音がした。
煤が焼ける音。文字列が弾ける音。
影の“背広”が、初めて表情らしきものを歪めた。
眠狂四郎
1,060
338
#魔法
こはる
598
上野文
9,938
「……え? 熱い、って……あれ?」
人間みたいに戸惑った声。
そのギャップが、逆に不気味だった。
門を守っていた兵士が、思わず息を呑む。
「治癒の光で……焼けてる?」
リオも目を見開く。
(治す光が、影を削る……?)
アデルは結界を維持したまま言う。
「相手が“生き物”じゃないなら、治すのは“ほどく”になる」
人影が、もう一度笑うふりをした。
「今日は……寒……」
後方から、治療班の術師たちが駆けてくる。
鎧の隙間から白い光が漏れ、彼らは恐る恐る、でも確信を得た顔で詠唱を重ねた。
「〈治癒光・第二級〉――『灯れ』!」
「〈浄化・第一級〉――『煤を剥がせ』!」
光が重なると、黒い影は“耐えられない”みたいに縮む。
獣の背から煤が剥がれ落ち、グレイウルフの目が一瞬だけ“普通の獣”の色に戻った。
「ギャウッ――!」
獣は反転し、森へ逃げようとする。
だが、ヴェルニの風が逃げ道を塞ぐ。
「逃がさない。――俺の舞台で、勝手に退場するなよ」
爆裂がもう一度走り、獣の群れが散った。
最後に残った黒い“女性の影”が、くぐもった声で世間話を続ける。
「今日、寒くないですか……」
「みんな、帰ったら、何食べます……?」
言葉が途中で途切れる。
治癒光が触れた瞬間、煤がほどけ、文字列が空中でほどけて消えた。
門前に、ようやく“静けさ”が戻る。
兵士たちが盾を下ろし、深く息を吐いた。
先生や生徒が窓から見ていたせいで、ざわめきが門の内側から伝わってくる。
「……勝てた、のか」
誰かの声が震える。
アデルは剣を納め、門へ視線を向けた。
「門を開ける。中の人間を落ち着かせる。――ここで終わりじゃない」
リオが頷く。
マスクの奥で短く言った。
「……中に、ハレルがいる」
◆ ◆ ◆
【現実世界・臨時指揮車両/車内】
車内のモニターには、国内各地の速報が並んでいた。
転移現象。黒い影の目撃。市街地の混乱。
数字の列と地名が、まるで“同じ病気”が世界中に広がっているみたいに点滅している。
日下部のノートパソコンが、また勝手に鳴った。
薄い金属音。
《共有せよ》
《カシウス》
《首謀者》
《現在はこの世界に紛れている》
画像が数枚、続けて表示される。
銀髪。長身。整った顔。人間の輪郭をしているのに、視線だけが冷たい。
日下部が息を呑んだ。
「……これが、カシウス……」
城ヶ峰は一拍だけ画面を見て、次に日下部の手元へ目を落とした。
「……地図ソフト。お前のやつ、あれも来てたな」
言われた瞬間、ノートパソコンの別ウィンドウが勝手に立ち上がる。
白地の地図。座標。薄い光点。
そして――いくつかの点だけが、妙に“濃い”。
城ヶ峰が舌打ちする。
「木崎に聞く。……雲賀匠だろ、これ」
無線じゃない。スマホを取り出し、通話を繋いだ。
呼び出し音。短く切れる。
『……城ヶ峰? どうした』
「木崎。今、お前の同業者の雲賀匠が動いてる可能性が高い。
お前にも同じメッセージと画像、来てるか」
一拍の間。向こうで風の音と、人のざわめき。
それから木崎が、低く返す。
『来てる。……同じやつだ。画像も。』
「地図ソフトもか?」
『それは分かんねぇ。俺のほうは画像だけだ。
……でも、間違いなく匠だろ。こういう“嫌な手癖”、あいつしかいねぇ』
城ヶ峰は短く息を吐く。
「一度会う。地図の件も含めて情報を突き合わせる。場所を送る」
『了解。俺も、そっちに寄る。』
通話が切れる。
日下部の地図画面で、ふいに一つの点が強く明滅した。
その点の上に、薄い“円”が重なる。
狙いを付けたみたいな、丸いマーク。
日下部が思わず声を漏らす。
「……今、円がついた」
城ヶ峰の目が鋭くなる。
「……“近い”ってことか」
【現実世界・都内/繁華街】
木崎は人波の端に立ち、カメラを構えたまま息を整えていた。
さっきの電話の余韻が、まだ耳の奥に残っている。
(匠……お前、どこまで掘ってんだよ)
その時。
横断歩道の向こうを、ふらふら歩く影が見えた。
スーツでも制服でもない。
コートの形だけ、OLっぽい。
なのに輪郭は煤で、表面に細い文字列が走っている。
顔は“それっぽい笑顔”を貼り付けているのに、目が空っぽだ。
「……寒くないですか?」
普通の世間話が、妙に綺麗な声で落ちる。
近くの人がビクッとして、逃げる。
逃げ遅れた誰かに、煤が指みたいに伸びる。
木崎がシャッターを切ろうとした、その瞬間――
城ヶ峰から送られてきた位置共有の通知が、画面の端に出た。
同時に、別の通知。
見慣れない地図のスクリーンショットが一枚。
《円がついた。そこにいるか》
木崎は一瞬だけ目を細め、前を見る。
OL風の黒い影。
そして、スマホ画面の地図。
その座標に、同じように“円”が重なっていた。
「……なるほどな」
木崎はカメラを構え直す。
逃げる人の流れと逆に、半歩だけ前へ出た。
(匠。お前、これを“撃てる”形にする気か)
黒い影が、また笑う。
「今日は、寒いですよね」
その言葉のまま、煤がじわりと濃くなった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/正門内・校庭】
鉄の門が、ゆっくり開いた。
外の森を見ないようにしていた生徒たちが、逆に“見てしまう”。
門前に立つ鎧の兵士。
光る術式。
地面の焦げ跡。
そして、さっきまで外で吠えていた獣がいないこと。
「……助かった、の?」
「え、あの人たち……本物の兵士……?」
「魔法……いま、光った……」
ざわめきは恐怖だけじゃない。
好奇心が混じる。英雄を見る目が混じる。
先生たちが前に出る。
声は震えているのに、必死に大人の顔を作っていた。
「あなた方は……どちらの、部隊ですか」
「生徒は中に避難させています。負傷者が――」
アデルはきちんと一礼した。
「王都イルダ警備局の部隊です。……説明できない部分が多い。
ですが、ここは“安全な場所ではない”。今は、生徒の安全を優先します」
その横で、ヴェルニが得意げに手を振った。
「安心しろ。俺はヴェルニ=シュナイダー。――まあ、英雄だと思ってくれていい」
「え、英雄……!」
生徒の数人が目を輝かせる。
先生が「静かに!」と叱るが、抑え切れない。
リオは、少し離れた場所へ下がっていた。
マスクのまま。視線を落とし気味に。
“見られる”ことを避けている。
その視線の先に、走ってくる二人がいた。
ハレルとサキ。
体育館側から、息を切らして――でも無事な顔で。
ハレルが、門前の兵士たちの中にリオを見つける。
一瞬で、顔が変わった。怒りでも恐怖でもない、ほどけるような安堵。
「……来たんだな」
リオは、うなずくしかなかった。
言葉にすると、喉が詰まる。
サキが、スマホを握りしめたままアデルを見上げる。
「……さっき、黒い影を“消す”みたいなことが……私のスマホで……」
アデルの眉がわずかに上がる。
「スマホ?」
ハレルが短く補足する。
「地図みたいなアプリです。黒い影にマークがついてて……押すと、円が出て――」
アデルは一瞬だけ、理解できない顔をした。
でもすぐに切り替える。今は“現象”を握るほうが先だ。
「……分かった。後で詳しく聞く。今は、全員を落ち着かせる」
校庭の空気が、ほんの少しだけ明るくなる。
門の外の恐怖が、一旦退いたからだ。
その時。
兵士のひとりが、アデルの背後から近づいた。
鎧の擦れる音が、妙に大きく聞こえる。
「隊長。――報告が」
アデルが振り返る。
兵士の顔は硬い。さっき勝った直後の顔じゃない。