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月曜の朝。
環奈はデスクに座りながら、スマホの画面を何度も開いては閉じていた。
(優一郎さんから……連絡、来ないな)
特に約束していたわけじゃない。
けれど、先週末の穏やかな時間を思い出すたび、心がざわついた。
(もしかして……あれは私だけが楽しかったのかな)
そう自分を責めかけたそのとき、隣の席の先輩がぽつりとつぶやいた。
「そういえば、今日カフェの松村くん、いないんだってね。体調不良らしいよ。」
「……え?」
(休み?)
(……優一郎さんが?)
あの人が体調を崩すなんて、イメージがわかない。
けれど、ふと、週末の彼の顔を思い出した。
──ちょっと疲れてるような、そんな目をしていた。
***
夕方、環奈は勤務後、そっとカフェに立ち寄った。
スタッフに声をかけて、少しだけ事情を尋ねてみる。
「松村さん、たしか今日は……家で休んでますよ。熱はないけど、少ししんどそうで。」
「……あの、もしよければ、これ……」
環奈はコンビニで買ったハーブティーと栄養ゼリー、そして自分で焼いたクッキーを小さな袋に入れて差し出した。
「届けてもらえませんか?」
「もちろん!伝えておきます!」
「ありがとうございます……!」
環奈は礼を言って頭を下げると、そのまま帰路につこうとした――そのとき。
「環奈さん?」
声がして振り返ると、そこには、マスク姿の松村がいた。
「……え?」
「少しだけ、様子を見に来てて。……偶然ですね。」
(偶然じゃない。……でも、そんな偶然でよかった)
「……体、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと無理してたかも。週末、楽しかったから気が抜けたのかも。」
彼は冗談めかして笑ったが、その目は少しだけ赤く、眠たげだった。
「私……その、さっきこれ、渡そうとしてたんです。」
彼の手にそっと袋を渡す。
「……環奈さん、ありがとう。」
ほんの少し、声が震えていた。
***
近くのベンチに並んで座るふたり。
風が少し冷たくなってきていた。
「……実はね、ここ最近、またちょっと仕事のことで悩んでたんです。」
「え?」
「任される仕事は増えてるけど、たまに怖くなる。『これ、本当に自分にできてるのか?』って。」
「みんな頼ってくれる分、落ち込んだときに、誰にも言えなくなって。」
環奈は驚きながらも、ゆっくりと彼の言葉を受け止めていく。
(優一郎さんも……完璧じゃない)
「……私でよければ、言ってください。優一郎さんがしんどいとき、ひとりで抱えないで。」
少し震えながらも、まっすぐにそう言った。
「……ありがとう。環奈さんって、ほんと、あったかいな。」
彼の声は低くて、静かで、どこか弱々しくて――
その背中に、そっと触れてあげたくなった。
(守られてばっかりじゃなくて、私もこの人を支えたい)
(……たぶん、私……)
その想いに、名前がつきそうになって、ぎゅっと胸の奥が熱くなった。
けれど、まだその名前を口には出さずに、環奈は静かに微笑んだ。
「……早く元気になってくださいね。また、ハーブティー淹れますから。」
「うん、楽しみにしてます。」
ふたりの距離は、もう肩が触れそうなほど近くて。
それでも、ほんの少しの“ためらい”が、まだそこにあるのだった。
その夜、環奈はなかなか眠れなかった。
ベッドの中で天井を見つめながら、
昼間の優一郎の言葉が何度も頭の中で再生されていた。
「任される仕事は増えてるけど、たまに怖くなる。『これ、本当に自分にできてるのか?』って。」
普段は冷静で、余裕があって、
どんな時でも人に安心をくれるような優一郎。
(そんな人でも、怖くなるときがあるんだ)
そう思った瞬間、
胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(私は、ちゃんと気づけてたのかな)
***
次の日の昼休み。
環奈はコンビニでサンドイッチを買ったあと、
ふとスマホを開いた。
「……メッセージ、送ってみようかな」
悩んで、打って、消して、打って、また消して。
ようやく送信したのは、たった一文だった。
「お昼ちゃんと食べてくださいね。」
数分後、既読がついた。
返信が来るかどうかはわからなかったけど、それでも少しだけ安心した。
***
その日の仕事が終わるころ、スマホが震えた。
「ちゃんと食べました。ありがとう。環奈さんも、無理しないでね。」
(……ああ、やっぱりこの人、優しいな)
読み返しているうちに、自然と笑顔になる。
***
数日後。
松村は元気な顔でカフェに戻ってきた。
「環奈さん、お待たせしました。」
「おかえりなさい!」
思ったよりも大きな声が出てしまって、
恥ずかしくなった。
でも彼は、優しく笑っていた。
「……元気そうで、よかったです。」
「はい。少し休んだら、だいぶ楽になりました。環奈さんのおかげです。」
「……そんな、大したことしてないですよ。」
「いや、本当に助かりました。あのとき、話を聞いてくれて。」
そう言って、松村はカウンターから何かを差し出した。
「これ、お礼に。……前に言ってた、好きそうだなと思った本。」
それは、環奈が数週間前にふと話した“詩集”だった。
まさか覚えてくれていたなんて。
「えっ……これ、覚えててくれたんですか?」
「はい。“好き”って言ってた言い方が印象的だったので。」
環奈は、胸がいっぱいになった。
(私の、何気ない言葉をこんなふうに……)
***
その夜、環奈は帰宅してからページをめくった。
詩集の1ページ目。そこに、メモがはさんであった。
「疲れたとき、そっと開いてください。
あなたの心が、すこしでもあたたかくなりますように。
松村優一郎」
指先が震えた。
文字のひとつひとつが、優しい声で語りかけてくるようだった。
(こんな人、他にいないかもしれない)
(こんなふうに、私を気にかけてくれる人)
そして気づく。
(もう私は、きっと……)
名前のつけられないこの想いが、
ゆっくりと「恋」になっていく音が、心の中で静かに響いていた。
つづく
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