Envy 4
「どう? 美味しい?」
アリスはワイングラス越しにモートに優しく囁いた。周囲の人々も食事の会話でも静かだった。
「……ああ……」
「ああ……良かった。ここは私にとってとても大切な思い出の場所なのです」
外の銀世界はこの上なく粉雪が舞っていた。極寒の地となり、いそいそと過ぎ去る防寒具に身を包んだ街の人々もあまり見かけなくなってきていた。
昼間の12時半だというのに、空は薄暗く。寒さもこの上なく厳しいものになっていた。だが、針葉樹に囲まれたここ「ビルド」だけは大きな薪の暖炉とアリスからのモートへの気配りで心温まるひと時だった。
暖炉の明かりに照らされたモートの顔は、時折何かを言いたそうだった。アリスは、この後のことは、昼食のあとで決めると言った。モートは久しぶりに食べ物の味を堪能しているといった感じだった。
薪のはじける音以外は、人々の会話も耳に入らない。
アリスはこの席が一番好きだった。
窓際で、暖かい暖炉の近くをいつも取っていた。壁沿いには、ここホワイト・シティでは珍しい真っ赤な薔薇の花が所狭しと咲いていた。
不意に、モートが窓の外を覗いた。
アリスはそんなモートの美しい横顔をいつまでも見つめていたいと心の底から願った。
だが、……パンッ!
突然、何かの破裂した音が窓の外から数発鳴った。
レストラン「ビルド」の窓ガラスが一枚割れ、モートの座る席の床に銃による弾丸のような跡が無数にできたのを、アリスは目撃した。
アリスは急に血の気が引いてひどい眩暈がした。
心配して穿かれた大きな穴から視線を戻してモートの身体を見ると、シュッとモートが右手で胸の辺りで線を引くような素振りをしていた。
「大丈夫だ……。もう、片付いた」
モートは平然として静かな声で話している。
アリスは首を傾げた。
外からヒュウヒュウと鳴る。割れた窓から風の音と共に、少ない通行人の鋭い悲鳴も聞こえてきた。店内は割れた窓ガラスからの冷たい空気で、氷のような寒さが店中を襲った。だが、アリスは寒さ以外の得体の知れない恐怖も覚えた。
「……モート……さっきの破裂音は?」
「……ああ。三人だったよ」
「?」
「いや、一人は起きたようだ。……何人かは人間じゃないな。……今度は大勢で来てくれた」
モートは珍しく喜んだ声を上げた。
アリスは首を傾げながら、外の様子を窓から恐る恐る見てみると、向かいの建物の上からボトボトと何かが落ちてきている。それは、かなりの重さのある人間の身体の一部のようだと直感した。アリスはそれが首なのではと思えてきた。
外からなのか、得体の知れない寒さで店内の空気が全て凍てつく。けれども、更に急激に店内の気温があり得ないほど一斉に下がり始めた。今まで暖かかったはずのレストラン「ビルド」の店内は、まるで冷凍庫の中の最奥のような冷たさになった。
お客の中には、このとてつもない寒さから、すぐに逃げ出すような雰囲気が充満した。寒さからたまらず店を出るものや、外の悲鳴を聞いて不安から警察へ連絡しようと外へ出るものが現れだした。慌ただしく帰って行くお客をアリスは何気なく見つめていたが、アリスは不思議に思った。何故なら皆、一人残らず寒さとはまったく無関係なことを、小声でこぼしていたからだ。
それは「身体が無くなったみたいだ」「なんだかとても視界が狭い」「目の前が暗くなって前が見えにくい」などの恐ろしい声だった。
モートが「少し待っててくれ」と言い残して席を外すと、同時に辺り客の無関係な恐怖の声がパタリとしなくなった。
アリスは今になって一人取り残されている気持になったが。店内から外の銀世界へと出て行くモートの後ろ姿を少し悲しく眺めていた。
シンシンと降る雪の街からくる容赦のない寒さが窓から襲ってきた。アリスは身震いして、バラの香りのする壁のハンガーに掛けてあるロングコートを着た。心細いが、それでもモートが帰って来るまでここで待つことにした。
だが、内心アリスはこの時になって初めてモートが、善人だが、不思議で、とてつもない恐ろしい存在だと思えてきた。けれども、モートが折角のデートの最中に席を離れたことが同じくらいにとても悲しくなった。
アリスはモートの離れた席を見つめ。
自然に深い白い息を吐いていた。
外は相変わらずに、シンと静まり返った大雪の景色だった。それは、アリスの気持ちを更に沈ませることになった。アリスはがっかりして、せっかくの昼食を諦めようとしたその時。急にまた外が騒がしくなった。
外へと出ていったはずの客の悲鳴が次々と上がり、車や建物が破壊される音とクラクションのけたたましく鳴る音が木霊し。まるで、突如荒ぶる嵐がここホワイト・シティを襲ってきたかのようだった。