セミロングの髪をドライヤーで乾かした百子は、すぐさま台所に向かってハーブティーを入れる準備をする。陽翔はカラスより少しだけ長い程度にしか風呂場にいないので、なるべく陽翔が上がってきたタイミングである程度冷めた物を出したかった。夏が本格的に始まったので、淹れたてのお茶は風呂上がりだと飲みにくいと踏んだのだ。
「ミントを新鮮なまま使えるって贅沢ね」
陽翔から許可を得ているので、百子はプランターのミントの葉を少しだけ摘んで、お湯を沸かし始める。その間に摘んだミントをザルに入れてきれいに洗い、ポットにミントの葉を入れて、お湯を注いで蓋をした。3分待てばできるのだが、先に麦茶が飲みたくなったので、冷蔵庫を開けて麦茶のボトルを取り出そうとした。
(あ……)
冷蔵庫には、百子が食べ損ねた夕食がラップに包まれていた。どうやら陽翔が入れてくれたらしい。それのお礼も話す前に絶対に伝えようと意気込む百子は、危うく3分後に鳴るように設定しておいたタイマーの音を聞き逃しそうになる。
(あんまり長く抽出したら渋くなっちゃうかも)
百子は緑茶や紅茶、コーヒーの淹れ方に凝ってはいるが、ハーブティーのことは専門外である。取り敢えずスマホで調べた通りに淹れているが、何せ生のミントで淹れたことがないので上手くできているかは自信があまり無い。
「そうだ、このミント食べちゃおう」
百子は麦茶を飲んでから、湯気の立つしんなりとしたミントの葉を箸でつまんで少しだけ手に取り、そっと口に入れる。熱いそれは噛むと程よい清涼感と共に爽やかな芳香が口いっぱいに広げるので、思わず百子は頬を緩める。これは病みつきになりそうだ。以前陽翔が淹れてくれたミントティーのミントをもそもそと食べていた理由もよく分かる。
「いい香りだな」
陽翔の声が耳たぶをするりと撫でたので、百子は声にならない叫び声を上げて飛び上がる。ミントをじっくりと味わっていたため、陽翔が近づいていた事に全く気づかなかったのだ。時々集中し過ぎて周りが見えなくなるのは百子の悪い癖である。
「うん、初めて淹れたけど失敗はしてないと思うの。お茶運ぶから先に麦茶飲んどいて」
麦茶の入ったグラスを指して、百子は二人分のカップとポットをお盆に乗せてリビングへと向かう。陽翔は入れてもらった麦茶を飲んでから温かなミントを口に入れて、しばしその清涼感を味わう。ミントの芳香が少しずつ火照った体と精神を和らげていき、陽翔はいくらか落ち着くことができた。
陽翔は百子の隣に座り、彼女の用意したハーブティーを一口飲む。心なしか自分が淹れたものよりも美味しい気がして、百子に感謝を述べると、彼女は赤面して首を振っていた。
「お茶淹れるのが好きなだけよ。でも、ありがとう」
陽翔は妹に増えすぎたミントを押し付けられた当時は渋々受け入れていたが、お茶にすると美味しいし、何よりも百子が喜ぶ顔が見れたとなると、妹に感謝せねばなるまい。そんなことを考えていると、百子が真っ直ぐに陽翔を見つめているのに気づいて、彼もまた目を合わす。
「東雲くん、おかずにラップ掛けてくれてありがとう。それとさっきは八つ当たりしてごめんなさい……嫌なこと思い出したのは事実だけど、それは東雲くんにぶつけるべきじゃなかったのに……」
しゅんとした百子に、陽翔は首を振って見せた。
「なんだそんなことか。別にいいぞ。それなら俺も悪かった。まだ元彼に裏切られて日も浅いのに、無神経なことを言っちまったし。お互い様でいいだろ」
陽翔がそう言って百子の頭を撫でる。指の間をさらさらとした髪の感触が滑ると思わず頬が緩んでしまう。
「そういえば百子の話したいことはそれだけか? まだ実家に報告するのに心配してることはないのか?」
百子の表情がさっと固まったのを見て、陽翔は自分の嫌な予感が当たったのだと悟り、ため息を押し殺した。
「……東雲くんにはお見通しなのね」
百子は鼻の奥がつきんと痛むのを感じて、思わず両手で顔を覆う。ここのところ涙腺の緩い百子は、話している途中でも目の奥が熱くなったりすることが増えている。話しながら泣くのが嫌な百子だったが、緩く首を振った。
(だめ……言わなきゃ伝わらない……)
百子の頬をぬるい液体が伝い、膝に置いた手も小刻みに震える。しかし彼女はそれを無視して少しずつ言葉を紡いだ。
「……私の、30歳までの、た、誕生日までに……相手が、見つから、なかっ、たら……み、見合い、させるって……」
陽翔はなぜ百子が先程激高したのかが何となく理解できた。同棲が失敗したことを報告することよりも、同棲して浮気されたのに、それをまだ両親に伝えられておらず、見合いをしろという言葉が追討ちのように感じられたのだろう。百子の誕生日がいつなのかは不明だが、裏切られた傷もまだ癒えてないというのに、見合いをしろと言われたのなら、感情が爆発しても何らおかしいことはない。だがこちらにだって考えはある。
「百子、別に見合いしたくないのなら、しなくても何とかなるぞ」
陽翔が隣で上擦った声でそう告げるが、百子は彼の言葉の意図が理解できずに目をぱちくりさせた。ついでに先程感じていた、胸が悪くなるような気持ちもどこかに行ってしまう。混乱した頭を落ち着けるためにハーブティーに口をつける。百子の誕生日は9月だ。2ヶ月の間にどうにかなるようなものでもなさそうなのに、何故彼はそんな安請け合いをするのか。それとも彼には秘策でもあるのだろうか。
「東雲くん、何か良い方法があるの?」
彼女の懸念を何とかしたいと思っている陽翔は、今日彼女に伝えたかったことを今ここで言うことを決意した。
「なあ百子、俺じゃ駄目か?」
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