テラーノベル
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雨だった。
空はひび割れた鉛色で、FORSAKENの空間に沈む古い劇場のネオンだけが、じっとり赤く滲んでいる。
ノスフェラトゥは、一人でそこへ来ていた。
長いマントの裾を引きずりながら、静かな足音で廃劇場の奥へ進む。
その赤い仮面の奥の眼は、警戒していた。
……古代吸血鬼たちを虐殺して以来、ずっと追われている。
ストリガを含めた“真祖の系譜”。
裏切り者。
階層破壊者。
王殺し。
そう呼ばれて。
「……くだらない」
低く吐き捨てる。
若い吸血鬼を鎖のように支配し、人間を家畜として扱い、古臭い誇りにしがみつく古代種。
ノスフェラトゥは、それが嫌いだった。
嫌悪していた。
だから皆殺しにした。
だが――。
その代償に、居場所も失った。
吸血衝動は増す一方で、階層から外れた吸血鬼は補給も難しい。
飢えは増す一方だ。
その時だった。
劇場の舞台上。
誰もいなかったはずの場所に、“男”が座っていた。
赤いシルクハット。
真っ赤なスーツ。
足を組み、観客席を見下ろすように笑っている。
スペクター。
その瞬間、劇場の空気そのものが脈打った。
まるで建物全体が生き物になったように。
「……お前か」
ノスフェラトゥが低く言う。
スペクターは拍手した。
ぱち、ぱち、ぱち。
「素晴らしいよ、ノスフェラトゥ」
「同胞を皆殺しにしてなお、その目だ」
「飢えているね」
ノスフェラトゥの爪がぴくりと動く。
本能が警告していた。
危険だ、と。
この男は、吸血鬼とも違う。
もっと別の何かだ。
“生命”そのものを冒涜しているような存在感。
「……用件を言え」
スペクターはゆっくり立ち上がった。
舞台から降りる。
コツ、コツ、と革靴が響く。
「君を雇いたい」
「断る」
即答だった。
だがスペクターは笑うだけ。
「最後まで聞きなよ」
彼はノスフェラトゥの目前まで来る。
近い。
近すぎる。
なのに、ノスフェラトゥは動けなかった。
まるで蛇に睨まれた獣みたいに。
スペクターは仮面越しに頬へ触れた。
冷たい指。
「君、疲れてるだろう?」
ぞくり、と背筋が震える。
ノスフェラトゥは即座に手を払おうとした。
だが。
掴まれた。
ぐ、と手首を押さえ込まれる。
「……ッ」
「そんなに警戒しなくていい」
「私は君を否定しない」
「飢えも」
「欲望も」
「殺意も」
「全部、美しい」
ノスフェラトゥの呼吸が一瞬止まる。
そんな言葉を向けられたことがなかった。
吸血鬼たちは彼を“異端”と呼んだ。
怪物と。
だがスペクターは違う。
まるで。
最初から全部理解していたみたいに笑う。
「FORSAKENへ来い」
「終わらない宴を与えよう」
「終わらない欲望を」
「永遠の狩りを」
「君は、もう飢えなくていい」
ノスフェラトゥの赤い眼が細くなる。
「……代償は」
スペクターは口角を上げた。
「私に仕えろ」
沈黙。
長い沈黙。
その間もスペクターは、ずっとノスフェラトゥを見ていた。
観察するように。
味わうように。
やがて。
ノスフェラトゥが低く笑う。
「……私を飼う気か?」
「まさか」
スペクターは耳元で囁いた。
「君が、“自分から跪く”姿が見たい」
――ぞくり。
その言葉だけで、背骨に熱が走った。
屈辱。
なのに。
妙に甘い。
ノスフェラトゥは自分に苛立つ。
この男は危険だ。
精神を侵食してくる。
なのに、目を逸らせない。
スペクターはさらに笑う。
「試してみるかい?」
「君がどこまで耐えられるのか」
指先が、喉をなぞる。
吸血鬼の弱い場所。
そこをわざとゆっくり。
ノスフェラトゥの呼吸が乱れる。
「……っ、やめろ」
「嫌か?」
「……」
「嫌じゃない顔だ」
その瞬間。
ノスフェラトゥは反射的にスペクターの胸ぐらを掴み、壁へ叩きつけた。
轟音。
だが。
スペクターは笑っていた。
嬉しそうに。
「ははは……ッ、いいね」
「やはり君は最高だ」
ノスフェラトゥの牙が覗く。
「殺すぞ」
「できるかな?」
スペクターは逆に首筋を晒した。
「吸ってみる?」
「……」
「ほら」
完全な挑発。
だが。
近づいた瞬間。
ノスフェラトゥは気づく。
――この男、“血の匂いがしない”。
生物なのに。
生きているのに。
まるで“生命そのもの”だけが人型を取っているような異質感。
ノスフェラトゥが一瞬止まった隙に。
スペクターは彼の顎を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「契約成立だ」
「君はもう、私のもの」
その声は。
呪いみたいに甘かった。
ノスフェラトゥは振り払えなかった。
ただ、仮面の奥で睨みながら。
初めて、自分が“捕食される側”になった感覚を味わっていた。
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ゆゆゆゆ