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異能力も何もない、平和な世界線の中太です。馬鹿なこと話して、何気ない平和な世界すごしててほしい。
放課後の西日が差し込む教室。掃除当番を適当に切り上げた二人の小学生が、机を並べて座っていた。
ランドセルの横にぶら下げた給食袋が、時折窓から吹き込む風に揺れている。太宰治は、膝の上に広げたノートの隅に、脈絡のない落書きを描き殴っていた。隣では、中原中也が消しゴムのカスを指で丸めながら、真剣な顔で窓の外を眺めている。
二人に「異能力」なんて物々しい力はない。あるのは、明日の宿題への小さな憂鬱と、放課後の駄菓子屋へ行くための小銭だけだ。
「ねえ、中也」
太宰が鉛筆を回しながら、唐突に顔を上げた。その瞳には、子供特有の、純粋で残酷なまでの好奇心が宿っている。
「なんだよ、太宰。また変なこと思いついたんじゃねえだろうな」
中也は警戒心を露わにしながらも、椅子をガタつかせて太宰の方を向いた。この「相棒」が口を開くときは、大抵ろくでもない遊びの提案か、返答に困る哲学的な問いかけのどちらかだと知っているからだ。
「さっき、図書室で結婚式の本を見たんだよね。ドレスがふわふわでさ、なんだか滑稽だったよ。それでさ、ふと思ったんだけど」
太宰はニヤリと、どこか確信犯的な笑みを浮かべた。
「もし僕と中也が結婚したらさー、きみは太宰中也になるのかな?」
一瞬、中也の手が止まった。丸めていた消しゴムのカスが、机の上にポツンと取り残される。中也は顔を真っ赤にして、机を強く叩いた。
「あ? 何言ってんだ、お前! なんで俺が名字変えるんだよ! 中原治だろ、普通は!」
「ええー、中原治? なんだか急に画数が多くなって、書くのが面倒くさそうだねえ。僕は今の、シュッとした『太宰治』っていう名前が気に入っているんだよ。中也が太宰になれば解決じゃないか」
「解決じゃねえよ! 中原っていうのはな、俺のじいちゃんからずっと続いてる大事な名前なんだ。お前こそ、太宰なんて気取った名字、さっさと捨てちまえよ」
「ひどいなあ。中也は僕の名前を捨てるっていうのかい? これは愛の否定だ。僕は今、ひどく傷ついたよ」
太宰はわざとらしく胸を押さえて、ドラマの悲劇のヒロインのような仕草をしてみせる。中也はそれを見て、さらに顔を真っ赤にして立ち上がった。
「誰が愛だなんて言ったよ! そもそも、男同士で結婚なんてできるわけねえだろ、馬鹿!」
「あれ、中也。知らないの? 最近はそういうのもあるんだよ。僕たちが大人になる頃には、きっともっと普通になっているさ。それとも、中也は僕と家族になるのが嫌なのかな?」
太宰が少しだけ声を落とし、上目遣いで中也を見つめる。その表情に、中也はぐっと言葉を詰まらせた。
「……嫌だなんて、言ってねえだろ」
中也はバツが悪そうに座り直し、視線をノートの落書きへと逸らした。
「ただ……その、名前が変わるってのは、なんか落ち着かねえっていうか……。お前、本当に『中原』になる覚悟あんのかよ」
「覚悟、か。中也の名字をもらう覚悟……。ふふ、なんだかプロポーズみたいだね。いいよ、中也がそこまで言うなら、僕が『中原治』になってあげてもいい」
「『あげてもいい』ってなんだよ! 上から目線だな、お前!」
二人はしばらく、どちらの名字が格好いいか、どちらが家庭の主導権を握るかについて、バカみたいな議論を戦わせた。太宰は「僕は料理をしないから中也が作るんだよ」と言い、中也は「お前、洗濯物の畳み方くらい覚えろ」と説教を始める。
そんな会話の中に、一欠片の「どろどろとした感情」も、「家柄の重圧」も存在しない。ただ、夕暮れの教室で交わされる、明日には忘れてしまうような、けれど宝物のような他愛もないお喋り。
「あ、そうだ。中也、名字が変わるのが嫌なら、新しい名字を作っちゃうっていうのはどうかな?」
「新しい名字?」
「そう。『中原』の『中』と、『太宰』の『太』を取って……『中太』とかさ」
「……だせえよ。なんだよ中太って。どっかの定食屋の名前かよ」
中也が呆れたように笑うと、太宰も釣られて声を上げて笑った。
「あはは、確かに。じゃあ、いっそのこと名字なしにする? 僕と中也、ただの治と中也。それなら公平だろう?」
「お前な、戸籍ってのがあんだよ、この世には……」
中也が呆れ顔でツッコミを入れる中、太宰は満足げにノートを閉じた。
「まあ、いいや。どっちの名字になっても、中也は中也だし、僕は僕だ。将来、本当にそうなった時に、また考えようよ」
「将来なんて……。お前、本気で言ってんのかよ」
「僕はいつだって本気さ。中也とずっと一緒にいる方法を、今から考えておかないとね」
太宰がさらりと言ってのけると、中也は返事に困って、また消しゴムのカスを丸め始めた。夕日が二人の背中を長く引き伸ばし、影が教室の端まで届いている。
「……ま、お前がどうしてもって言うなら、考えてやんなくもねえけどよ」
中也の小さな呟きは、遠くで響く部活動の掛け声にかき消されそうだった。けれど、太宰の耳には、それはどんな誓いの言葉よりもはっきりと届いていた。
「決まりだね。じゃあ、お祝いに駄菓子屋で一番高いアイス、中也が奢ってよ。太宰中也くん」
「ふざけんな! まだなってねえだろ! っていうか、なんで俺が奢るんだよ、太宰!」
二人はギャーギャーと騒ぎながら、ランドセルを背負って教室を飛び出した。 廊下を走る足音が、木造の校舎に小気味よく響く。
そこにあるのは、入水心中も、親の猛反対も、組織の裏切りもない、ただの平和な放課後。
二人は並んで校門をくぐり、オレンジ色に染まった坂道を下っていく。 名前が何になろうと、彼らの世界は今日も、そして明日も、バカバカしいほど明るい光に満ちていた。
「おい、太宰! 走んな、転ぶぞ!」
「中也こそ、足が短いから置いていかれちゃうよ!」
「んだとコラ! 待て!」
二人の笑い声が、夏の終わりの空へと吸い込まれていく。 それが、この世界線における、彼らの「正解」だった。