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静かに下っていくロイヤルブルーのインプを、榊と一緒に並んで見送った。
数秒後にタイヤの派手なスキール音が耳に聞こえてきたことで、ダウンヒルが開始されたのを知る。
(いつ聞いても、自分の車から出てる音とは思えねぇんだよな。和臣くん、何本目のコーナーまで耐えられるだろう)
そんなことを考えつつ、隣にいる榊を見上げた。ここまで響き渡るスキール音に不安になったのか、両手を握り締めながら、心配そうな面持ちをありありと浮かべていた。
「大丈夫だ。アイツの運転技術は俺が保証する」
「橋本さん……」
「この日のために仕事が終わってから、ほぼ毎日走り込んで、誰よりもここを熟知してる。たとえ不測の事態に陥っても、雅輝ならいとも簡単にやってのけるからさ」
「運転が上手な橋本さんにここまで言わせるなんて、宮本さんはすごいんですね」
感嘆な声をあげた榊にレクチャーすべく、人差し指を立てて言葉を続ける。
「ああ。今日のメンツの中で間違いなく、一番の負けず嫌いだからこそ、絶対に格好悪いところは見せないようにするだろうな」
(もしかして和臣くんの可愛さを意識して妙に張り切っていたら、俺としては複雑だけど……)
「宮本さんが一番の負けず嫌い。そんなふうに、全然見えないですよね。ハンドルを握ると、人格が変わっちゃうみたいな感じですか?」
「いやいや、そうじゃねぇんだ。見た目と喋り方がおっとりしてるから、まんまと騙されるだけ。中身は頭のネジが吹っ飛ぶくらいにクレイジーで、情熱的なヤツなんだよ」
自分は宮本じゃないのに、なぜか胸を張って説明してしまった。
「へぇ、そういうところに惹かれたんですね」
思ってもいなかった榊のツッコミに、橋本の頬がぶわっと熱くなる。
「ぅうっ、ま、そういうことにしておいてくれ……」
「ちなみに、結婚しないんですか?」
「ぶっ! おまえは俺の親かよ。アイツと付き合いはじめて、まだ日が浅いっていうのにさ」
容赦なく繰り出される恋愛話に、頭の中がじわりじわりと混乱していく。
「でも結婚したいなっていう気持ちは、付き合いの浅さには関係ないかと思うんですけど」
「恭介ってば自分が新婚で幸せだからって、自慢しようとしてるだろ」
ここは切り返してやらなければと考え、新婚というワードを出して虐めてやることにした。すると、何を言ってるという感じを表すように形のいい眉毛を上げて、橋本を見下ろした。
上目遣いでその視線に合わせると、榊は優しい笑みを唇に浮かべながら口を開く。
「幸せに決まってるじゃないですか。よほどのことでもない限り、和臣が誰かにとられたりしないですし――」
「おまえも誰かに、ちょっかい出されることもないってな」
合わせていた視線を外して、榊の薬指にはめられている指輪を見てから、手前にある柵の下を見下ろした。木々の隙間からインプの青い色が、チラチラ見え隠れしていた。
(以前ならこの手の話題や恭介の指輪を見ただけで、胸の中が痛くてしょうがなかったのに、雅輝のお蔭で穏やかに話すことができるようになったな――)
「橋本さん、宮本さんに例のこと……」
「一応、口止めしてある。それに雅輝のあの運転中に、和臣くんがまともに会話ができるとは思えない」
橋本の名前を伏せて宮本が榊に告白したことは、それぞれ胸の内に秘めてなきものにしていた。過去のこととはいえ、自身の気持ちなど複雑な事情が入り組んでいるため、そのことを知っている宮本も和臣に知られないようにすべく、必死になって隠してくれるだろう。
「宮本さんにぞっこんですね。車でのやり取りを見ていて、いいなって思いました」
「……本当にいいなって思えるか?」
どんどん小さくなっていくインプに向かって、右手を伸ばしてみる。橋本の手をすり抜けるみたいに車体を横に滑らせながらコーナーを曲がり、やがて手の届かない場所に隠れてしまった。
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