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恋をした
その夏に恋をしていた
元貴のゴタゴタが動き始めるらしく、あれから数日後に二人は東京へ戻っていった。
それまでの間に、僕へのありったけの愛を囁き、二人の全てをこの身体に刻み込んで。
「出来るだけ早く終わらせるから。」
「俺も、仕事の合間に会いにくるからね。」
「全部終わったら、二人で迎えにくる。だから、待ってて。」
そう言って、彼らはまた駅の中へ消えて行った。
朝陽が煌めく中で僕は、二人がいる間に使った洗濯物を、庭に干す。元貴なんか、手ぶらで来たもんだから、全部僕の服を使っていた。
俳優として成功した彼は、だいぶ横柄な人間になっていた。ここに来た時は。だんだんと毒気が抜けていって、元の少しヒネた可愛い元貴になっていたけど。
いや、横柄というと、少し違うか。でもきっと、在宅で仕事をしていると言った僕なら、自分が愛を囁いて絆せばすぐに東京に連れて行けると、きっと何処かでそう思う傲慢さはあった筈だ。
洗濯物を干し終え、居間の奥の影に座って、はためく手拭いを眺めた。
『もう、思い出だけにはならないで。』
…よく言うよ、僕を勝手に思い出にしたのは、そっちでしょ。でもまあ、そうなることを、僕は望んでいた訳だけど。
ゆっくりと、気付かないほどにゆっくりとした、見えない速さで進んでいく時間に、あの頃僕は焦っていたんだと思う。
子ども会最後の年、僕は来年遠くの高校を受験するつもりだった。ただでさえ、中学生になって、小学生の彼らとはほとんど時間が合わない生活。これからは尚更に、というのは火を見るより明らかだった。
白雪姫の最後のキスシーン、僕は、元貴が近づく気配を感じながら、少し肘を元貴の手にぶつけた。バランスを崩して、抱きついたりしてくれないかな、なんて淡い期待をして。
結果は、僕の唇が赤く腫れるほどの、熱い、いや、痛いキスになった訳だけど。
でも、これで、きっと彼の記憶に、瞼の裏に、僕の影を焼き付けることができた。そう思うと、僕はとても満足だった。
滉斗の写真もそうだ。夏の定期公演の帰り道で、写真を撮ってとお願いした時、僕は彼への愛しさを目一杯に込めてレンズを見つめた。カメラを下ろした滉斗の顔が真っ赤で、すごく可愛かったのを覚えている。
それから、彼はカメラに熱中したし、僕を何度も撮ってくれた。
元貴から東京に行く、と連絡が来た時、僕は会いたい気持ちをグッと抑えて、忙しいから、とだけ返した。まだ、まだもっと、彼の思い出の奥深くに沈むまで、僕は"あの夏の涼ちゃん"でいなければ。簡単に会える人間では、これから芸能界に足を踏み入れる彼の心には届かない、そう思ったから。
その時ふと、滉斗の進路が気になった。何も連絡はないけど、もしかして彼の中から僕はもう追い出されてしまったのだろうか。不安になった僕は、すぐに滉斗に連絡を入れた。
電話越しの彼は、進路に悩んでいるようだ。堂々と役者への道を歩み始めた幼馴染へ少しの嫉妬を抱えて。
僕は、カメラを薦めた。滉斗の写真が大好きだと言ったその言葉を素直に喜び、写真家を目指し始めた彼が、とても愛おしかった。
そして、これで、カメラを手に取る度に、僕の影が何処かでチラついてくれたらいいな、と淡い期待も込めていた。
そうして、君たちは、いろんな傷を抱えて、ここに帰ってきたね。思い出の中の優しい僕に、縋り付いてきたんだよね。
その時が来たら僕は、目一杯に優しい笑みを見せよう、全てを受容しよう、全てを信じてあげよう、ずっと、ずっと、そう決めていたんだよ。
君たちが大切に放っておいてくれた"あの夏"を、僕はずっとここで、ずっと手元で、"その夏"として守り続けてきたんだ。
計画、悪巧み、裏工作、そんな大袈裟なもんじゃない。全て、少しでも彼らの中に僕の影が残ればなぁ、という淡い期待を込めて行動しただけ。
そういえば昔、白雪姫の脚本を書いた時、全ては王子の悪巧み、というお話にしたっけ。
溺愛して姫を閉じ込めた女王
悪巧みで姫を手に入れた王子
何も知らない無垢な姫
あれは、全て僕だ。僕を形作る、僕の一部。僕の理想。
こんな僕を見たら、「涼ちゃん病んでる?」なんてまた元貴に言われちゃうかな。
ぼんやりそんなことを考えていると、固定電話が鳴った。ここにかけてくる人間は限られている。
「もしもし?」
『あ、涼架?お野菜送ってくれてありがとう。まだあのおじいちゃんあんなにお野菜下さるのねえ。また今度何かお礼しておいてくれる?』
「うん、わかった。」
『元気?』
「うん。…あのさ、いつになるか分かんないけど、僕も東京いくことになったよ。」
『あらそう!じゃあとりあえずこっち来てたらいいじゃないの。』
「ううん。迎えに来てくれるっていうから。それまでここで待ってるよ。」
『そう、そんな人がいたのね、だからずっとそこに残ってたの?』
「んー、まあね。」
『よかったじゃない。またいつか紹介してね。じゃあね。』
「はーい。」
電話を切って、思ったより親に突然の上京を受け入れられたことに安堵した。
そもそも、僕の両親はすでに東京郊外に引っ越している。完全に年老いてしまう前に、便利な所に移動しておきたい、そういう理由だった。
僕も一緒に来るか、と言われていたが、元貴たちが帰る前にここを離れるわけにはいかなかったので、ここに残ってリモートワークをする事に決めたのだ。
「あ、そうだ…仕事…。」
やるべきことを思い出して、僕は階段へ向かおうとする。
ふと、柱の記録に目が止まった。細かに刻まれた線と、それぞれの名前。僕はそれを愛おしそうに撫でる。
二人は、人の家に書いちゃって、って気にしてたけど、ここじゃなきゃ、意味がないでしょ。ここに、二人の記録が、記憶がある。それだけで僕は、優しい気持ちになれるんだから。せめて、ここに居てくれないと。
またね、と柱に語りかけて、僕は二階の自室へと向かった。
明かりをつけずとも充分に光を湛えた部屋に入り、エアコンをつけ、文机の上のメガネを手に取る。少しレンズの曇りが気になったので、引き出しの一番上を開く。メガネ拭きを手に取る際に、カサ、と手が当たった。使いかけのコンドームだ。
「ふ…こっちを見られなくて良かった…。」
あの夜、元貴たちに見せたのは、新品のコンドームだった。ローションを一人で使ったと言えば喜び、ゴムは練習に買ったと言えば眉を下げ、堪らないといった表情を浮かべていた。
いやいや、流石にそんなわけないでしょ。僕、三十二歳だよ。
元貴たちがそうであるように、僕もそれなりに、経験がある。流石にここではないけど、たまに仕事で東京へ行く際に、お誘いを受けることがあった。それに応えることで、今の僕の仕事が手に入っていると言っても過言ではない。
なんのことはない、全ては、仕事を得るため。そして、元貴のため。滉斗のため。
僕は、綺麗に拭いたメガネをかけ、メガネ拭きを使いかけのコンドームと共に引き出しにしまう。
あの夜、客間のエアコンが故障していた、は嘘。眠気がすごかったのは、本当。二人に会えるのが、自分の影が彼らの中にちゃんとあるのか、その答え合わせになる日が待ち遠しすぎて、前の夜あまり眠れなかったのだ。
夜ご飯をあまり食べなかったのは、その後の情事のため。二人が僕を抱くかどうかは分からなかったけど、念の為にってやつ。眠い体を引きずって、トイレでナカを綺麗にし、お風呂で後ろを解しておいた。そんな涙ぐましい僕の苦労を、あの二人は知らない。
知っていると思ってるのは、無垢でウブで純真な僕。それでいい。
パソコンを立ち上げ、作業の進捗を確認した。
「えーっと、どこまで書いたっけ。」
本棚の、元貴が出演したドラマのストーリーブックの隣に置いてある、資料ファイルを取り出す。パラパラとめくり、設定や細かなストーリーの流れを確認する。
まだ締め切りの指示はないけど、まあ書き進めていてもきっと大丈夫だろう。元貴も動き始めたことだし。
キーボードを叩き、いくつかのページを書き進めていく。その時、スマホが着信を知らせた。
「はい、もしもし。」
『あ、アル先生、お疲れさまです。』
「…先生はやめてくださいって。」
『あは、そうでしたね、すみません。あ、あの止まってた映画、なんかいけそうなんですって!』
「そうですか。 」
『それで、◯日までに準備稿上げて欲しいそうなんですけど、いけますかね…?』
「大丈夫ですよ、結構書き進めてますし。」
『あ、そうなんですか?頓挫しそうだったのに。』
「んー、鈴木さんなら大丈夫って言ったでしょ?」
『ホントですね。まさか週刊誌相手に訴訟起こすとは思いませんでしたよ。』
「ね、実際どうなりそうとか分かります?」
『いやぁ、あれは無理じゃないですかね、雑誌側。多分早々に謝罪と訂正文出して和解じゃないですか。』
「うん、そうだよね、良かった。」
『ねー、これで世間も鈴木さんに同情的になるだろうし、好感度も上がって、ついでに知名度もアップで、結構いいとこ取りなんじゃないですかね。』
「映画の宣伝にもなるし、ね。」
『いやー、ありがたいですけどね、ちょっと。』
「あ、そうだ。ビジュアル撮影のカメラマンってまだ決まってないですよね。」
『そうですね。誰かいるんですか?』
「うん。名前だけ出してもらえるかな。」
『通るか分かんないですけど。』
「もちろん。」
『どなたですか?』
「えっとね、若井滉斗っていう、若い写真家さんなんですけど。」
『あー、知らないですね〜。』
「いい写真撮るんですよ。僕、彼の写真大好きで。あとで、その人の仕事の写真とか資料で送ってもいいですか?」
『あー、良いですよもちろん。じゃあそれも添付して企画書に付けときますね。』
「はい、よろしくお願いします。」
『こちらこそ、次の脚本も、期待してますよ!』
「はい、ありがとう。」
通話を終えて、僕は少し伸びをする。
僕の今の仕事は、実は"売れっ子"脚本家。江歩アルという名義で、ドラマや映画の脚本を手掛けている。
FRを文字って、エフ・アル。単純でしょ?
でも、パソコンがあれば作業はできるし、ここで元貴と滉斗を待ちながら仕事をするならうってつけだと思った。それに、頑張って売れ筋の脚本家になったら、当て書きしたいと言って元貴を指名して起用することだって出来たし。
僕の全ては、元貴のため。
僕の全ては、滉斗のため。
計画ではないけど、計算ではあったかも。
ここまで、僕の筋書き通りに進んでくれると、僕をここで支え続けてくれた"その夏"に心から感謝したい。
彼らを引き戻してくれた"あの夏"でい続けて、本当に良かったと思う。
ポコン、とメッセージの通知が来た。
『涼ちゃん、愛してるよ。』
『涼ちゃん大好き!』
元貴と滉斗から、頻繁に来るようになった、愛の囁き。
僕は、二人が可愛いと褒めてくれる、優しい笑顔を浮かべて、二人からの愛を眺める。
ああ、楽しみだなぁ。
元貴と一緒に仕事するのが。
滉斗に、仕事に入ってもらうのが。
きっと、僕ってバレちゃうな、どんな顔するんだろ。
二人の驚いた顔を想像して、クスクスと笑う。
僕は、スマホを机の端に伏せて、またパソコンに向き合う。
『夏の影』
太字で書かれた、映画のタイトル部分を映し出す画面を、指で撫でる。
僕は、彼らの中に居座った影だった。
夏になると、恋しい気持ちと共に伸びてゆく、影。
僕は、"その夏"の中に佇む、夏の影、そのもの。
「楽しみだなぁ。」
迎えに来るのを待つこの時間が
僕の計らいで二人と仕事が出来るこの計算が
夏の影でいられる最後の暑い季節が
「僕も、大好きだよ。」
コメント
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涼ちゃんの本棚、メメントモリとか入ってるのかなぁ ちょっと一気読みしたら目がチカチカしてきて頭に入らなかったです途中悪い人?いいひと❓涼ちゃんどっち?純粋じゃないじゃん!え売れっ子?!ええ?!!ってなってました雑誌のインタビューとか目ん玉チッカチカするもんで!😢😢😢後でもっかいよもう、、、
白雪姫の脚本が繋がってたり、全部💛ちゃんの手の内だったとは❣️ 良いですね、この💛ちゃんも好きです🤭💕
いいお話でした✨いいお話でしたよ?いいお話だったんですけど…ちょっとだけ笑ってしまったことをお伝えしてもよいですか?笑 あとがき楽しみにしてます🥰