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水が、滴っている。どこからともなく。どこへともなく。
空気は湿っていたが、温度はなかった。
感覚だけが先行し、肉体がそれを後からなぞっている。
踏み出す。
足音は響かない。床は灰色の鉄で、所々が腐食し、崩れかけていた。
周囲に壁はあるが、区切られた空間というよりも、**“無数の目に見られているような空洞”**という印象が近い。
前方。
崩れた金属と木材の山。その先に、何かがいた。
[ギィ…ギィ…]
何かを引きずる音。
それが何かを見るより前に、音が空気を濁らせる。
主は、しゃがんだ。
息は止める必要がない。そもそも呼吸という感覚は、まだ曖昧だった。
動きは静かで、機械的でもあり、有機的でもあった。
視界のすき間から、それは現れる。
ヒトの形をしている。
だが、それは明らかに「作られたもの」だった。
首が太すぎ、頭部は黒い布で覆われている。布には、釘のようなものが縫い込まれ、静かに揺れていた。
右手には長い金属フック。
左手は、異様に肥大し、肩から先が地面を擦っていた。
そいつは、音のする方へ首を傾けた。
そして──待った。
空気が止まる。
[キィ]
フックが壁を擦る。
金属が焼けるような音。
主は反射的に身を引いた。影の中へ滑り込む。
“それ”の視線が通り過ぎる。いや、視線という概念すら怪しい。ただ「気配」の濃度が変化していた。
主は動かない。
武器はまだ抜かない。
ただ、隙を読む。
“それ”は嗅いでいるようだった。
風がない空間に、空気を裂くような動作だけが残る。
静かだった。
だが──床が鳴った。
釘のついた頭が、こちらを向いた。
[カツン]
一歩。
[カツン]
もう一歩。
“それ”が歩いてくる。
ゆっくりと、しかし確実に。
まるで「音」を嗅ぎ取っているかのように。
主は跳ぶ。
体を捻り、天井の裂け目を蹴り、別の梁に滑り込む。
着地は無音。武器はまだ抜かない。
“それ”は、速度を上げた。
異様に長い足で壁を蹴り、主のいた場所へ一直線に迫る。
その動きは獣じみていない。むしろ、精密で制御された殺意。
刃が振り下ろされる。
通路が裂ける。
壁が、床が、粉砕される。
主は跳躍し、フックを避ける。
そのまま回り込み、ついに手にしていたものを抜いた。
武器は細く、黒く、歪んでいた。
刃ではない。だが、「切断する」構造だった。
動きは滑らか。刃のように。言葉のように。
敵の背中に、走るように切り込む。
釘布が裂ける。
それでも敵は止まらない。
反転。
左腕の重みに任せて、壁をなぎ払うように振るう。
主は滑るように下がり、壁を蹴って再び接近。
斜め下から、腹部に刃を滑り込ませる。
今度は貫いた。
空洞から、乾いた金属音が響く。何かが砕けた。
“それ”が膝をつく。
釘の音が、床に散らばる。
しばらくの沈黙。
主は、それを見下ろすこともなく、ただ武器を戻す。
塔の中で、音が止んだ。
だが、静けさは終わりではない。
「最初の敵」が消えたことで、この空間は次の構造へ移行するだろう。
階段の影が、主を飲み込む。
第一層、終了。