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「戦国時代」とは、なんと物騒な時代区分名称と思いませんか。
やられたらやり返す。
やられなくともやり返す──そんな時代といえばあまりにも大雑把な説明でしょうか。
実際のところ、各勢力ごとに交渉術が磨かれていったという側面もある時代です。
一方、紛争解決の手段として武力が大きなウエイトを占めていたというのも事実といえるでしょう。
各地を治める大名、領主同士はもちろん、親子・兄弟・親族のあいだでも「戦国」は見られます。
さて、本日解説するのは、とある有名な大名家のお話です。
はじめに今回のキーワードを発表しておきましょう。
「裏切り」。そして「執着」。
そうですね。前回までとは大きく様相の異なるキーワードです。
さらにディープな兄弟愛も忘れてはなりません。
「兄弟愛」ではありません。
「ディープな兄弟愛」と評して差し支えないでしょう。
前置きはこのへんにして、今回は戦国時代の名家・武田家のとある事件に隠された「ディープな兄弟愛」について解説します。
もちろん、いつものことながら「諸説あります」とお断りしておきますね。
武田信玄といえば、超がつくくらい有名な戦国武将です。
大河ドラマでも常連さんといえるでしょう。
この「信玄」というのは出家したあとの名前で、それ以前は晴信と呼ばれていました。
この晴信、二十一歳のころの話です。
かねてから折り合いが悪かったといわれる父親が駿河の国に出かけました。
その機をとらえ晴信が家督を継ぎ、信虎を追放したのです。
晴信による父信虎追放事件として覚えている人も多いでしょう。
信虎が弟の信繁を可愛がるあまり、廃嫡(跡取りの座から追われること)を恐れた晴信が父の追放を決断したというのが定説です。
信虎の独断専行の政治に重臣たちの不満が広がり、晴信を擁立したという側面もあるでしょう。
また、駿河の国の今川義元がまだ若い晴信を御しやすいと侮って手を貸したともいわれています。
歴史上のひとつの事件は、このようにさまざまな要因から成り立っているのです。
それが歴史学習の面白いところですよね。
さて、この講座は御存じのように日本史BL検定対策講座です。
なので、この武田信虎追放事件にもBL学的見地から説を述べたいと思います。
もともと確執のあった親子といいますが、はたしてそれだけでしょうか。
父を追放し武田家当主となった晴信、追放された父信虎──長男による父の追放劇と位置づけられている本件ですが、角度を変えてみることによって新たな可能性が浮かび上がってきます。
そうです。
ここに、第三の人物が介在するのです。