「樹。そうじゃないのよ。お父さんは私のことを想って守ろうとしてくれたからこそ、その選択をしようと思ったのよ」
「えっ・・・?」
「私の夢を叶える為に、この人は離婚するという形で家庭という負担を失くしてくれて、私を精神的に救おうとしてくれたの」
「どういうこと・・・?」
「私がきっとその時はまだ未熟でそんな覚悟も勇気もなかったのね。お父さんが好きで結婚したはずなのに、お父さんが会社ばかりの生活になって、その寂しさと共にまだデザイナーとしての夢を捨てきれなかった私は、きっとそんなお父さんが羨ましかった。なのに私は樹が大切で、樹との時間はどうしても守りたかった。だけど、子育てと妻としての寂しさとデザイナーとしての夢を諦めきれない気持ちが全部同時に自分の中で溢れてしまって・・・」
母親から伝えられたその過去の真実は、到底オレには想像出来なかったことで。
だけど、今までの母親を思えば、夢を捨てきれなかった気持ちはわかるような気がする。
ここまでのブランドにするまで、並大抵じゃない努力や想いがあったかがわかるし、きっと家庭を守り続けていたままでは、それは実現しなかったことだろうと思うから。
「それで、母さんは精神的に壊れそうになってしまってね・・・。これ以上一緒にいても苦しめるだけだと思って自由にしてあげたんだ。きっと私がどれだけ母さんを必要としても、その時の母さんはどうしようもなかった。母さんを悲しませる為に結婚したんじゃない。笑顔にさせたくて結婚したのにと私が後悔した時はもう遅くてね。もうすべてを手放して、母さんが笑顔になれる人生をまた一からやり直してほしいと思ったんだ」
それはあまりにも衝撃だった真実。
そして初めて知る二人の過去と想い。
母親のその辛さを抱えた過去と、これほど母親を大切に想っていた親父の過去。
それはあまりにもオレには大きすぎた過去で。
こんな親父知らない。
だから、今言った親父の言葉も、オレの知らない人の言葉のようで。
あの親父から出て来た言葉とは到底思えなくて。
だけど、紛れもない親父が口に出した言葉と想い。
それは今までちゃんと向き合っていなかったオレでさえもわかる親父の想い。
その言葉には、会社が大切だからなんて言葉は一つもなくて。
ただ母親に対しての想いが大きくて。
今のその言葉は同じ男として痛いほど理解出来る想い。
心から愛する人がいるからこそ、その想いがわかる。
そしてそんなにも母親が思い詰めていたことも同時に知って胸が苦しくなる。
多分きっと、母親のその苦しさは男である親父やオレには理解してあげられないことで。
だけど男として傍にいる大切な人をただ守りたくて・・・。
今のオレならその辛さも苦しさもわかる。
だけど、その当時まだ小さかったオレにはそんなの理解出来るはずもなくて・・・。
あの時のオレは、悲しんでいる辛そうにしている母親を、ただ守りたかった。
そんな悲しい想いをさせているのは親父のせいだと、あの時のオレはそう思うしかなかった・・・。
「私もそんな理由でお父さんを嫌いになりたくなかった。お父さんはとても尊敬出来る人で、私も樹も、家族をちゃんと大切にしてくれた人よ。だからこそお父さんへのその好きな気持ちも守りたくて、私たちは離れることにした」
そして母親も同じように、その時のことを振り返って思い出すかのように、切なそうに悲しそうにオレに伝える。
「オレ、母さんがそんな風になってたの全然知らなかった・・・」
オレは母親の何を見ていたのだろう。
小さいながらに父親がいなくなってオレが守らなければ、なんて思ってたくせに。
オレは何もわかってなかった。
「自然とね、あなたの前ではそんな姿は見せることはなかったから。でも実は私がどうしようもない時もホントはあってね。そんな時は、お父さんがあなたに心配かけないようにわからないように守ってくれてたのよ」
「えっ・・・」
「だから離婚してお互い離れることになった時、私がそんな状態だったから、樹は最初はお父さんの方が引き取ることになってたの。私がまた夢を叶える為に一人になって集中してその夢を追いかける方がいいだろうと。経済的にもお父さんのが当然余裕はあったし、本来ならそうすべきだった」
「オレが母さんに懐いてたから・・・。もしかしてオレが母さんの負担になってたってこと・・・?」
話を聞けば聞く度、オレが出来たせいで、母親の夢も親父への想いも親父との時間も、すべてを手放させて、邪魔をしていただけのように思えて苦しくなる。
せめて離婚する時に、オレが母親の夢を応援して離れていれば・・・。
「いいえ。そうじゃないわ樹。私が樹が必要だったの。私がお父さんに樹を引き取らせてほしいってお願いしたの」
「母さんはそれだけは絶対譲らなかった。何もかも自由にしてやろうと思ってたのに、それだけは大丈夫だからと」
「母さん、どうしてそこまでしてオレを・・・? オレがいない方が母さんは幸せになれてたかもしれないのに」
オレさえいなければもっと幸せになれていたはずなのに・・・。
「当然でしょ。私のお腹を痛めて産んだ、愛した人の愛する息子よ。あなたの存在があったから、私はそこからどんなことがあっても頑張れた。一人じゃないって思えたの。樹が常に支えてくれて応援してくれた。あなたがいてくれたことでどんどん私の想い描く夢が形になっていったのよ。私にとってあなたがいることが一番の幸せだった」
嬉しい・・・でも、苦しい・・・。
「オレが母さんの夢の邪魔をしたワケじゃなくて・・・?」
「そんなのあるはずないでしょ。お父さんも樹も私の夢を信じて応援してくれた。だから私は今夢を叶えてこうしていられる」
「樹。お前は母さんの夢にも母さん自身にも必要だったんだ」
オレが不安に思って聞いた問いかけに、母親もそして親父も当たり前かのように二人して即答してくれる。
「だけどね。私の我儘で樹には不自由させてしまった。あなたが私を助ける為に学生の頃からバイトして苦労かけないように応援してくれた。だからこそあなたにはちゃんとした将来を歩んでほしかった。だから、私の仕事も順調になり始めて、あなたが社会人になると同時にお父さんに樹を任せたの」
「母さんと私が離婚したことで、お前にはどちらにも甘えることをさせてやれなかった」
実際オレなんかが母親を守れるなんてことは出来なかったけど。
だけどオレを引き取ったことで母親に負担はかけさせたくなかった。
母親には仕事に専念してほしくて、邪魔をしたくなくて、オレはバイトを始めたり一人暮らしを始めたりして、自分の出来る限りのことをしていった。
だから何かあっても母親には言わず、オレ一人で解決したこともあった。
とにかく母親には心配かけたくない、頼りたくない、ただその一心で。
そしてオレは母親の邪魔な存在ではなく、誰より応援する存在としていたかったから。
「私が引き取ったのに、いつからか樹が大人になっていくにつれ、私の方が樹に甘えてしまって、今度は私が仕事中心になってしまった」
「それはオレが望んだことだから。オレはずっと母さんがデザイナー目指してキラキラしてる姿が好きだったし、夢を叶えようとしている母さんの力になりたかった」
それだけは守りたかった。
母親がずっと望んでいたその夢だけは絶対叶えてほしかった。
離婚した母親に、今度こそ幸せになってほしかった。
「ホントなら私があなたをもっと甘やかしてあげなきゃいけなかったのに・・・」
「でも確かに。いつの間にかオレ、誰かに甘えること出来なくなってたかも。母さんには甘えちゃいけない、オレが早く一人前になって頑張らなきゃいけないと思ってたし、心配かけてオレが負担になりたくなかった」
「そうね。樹はずっと私を応援してくれることで、自分のそんな欲も抑えてしまうようになった」
「だけどさ、やっぱりその反面、早くに離婚した二人を見てたから、オレは誰か他人に対しての愛情っていうのもわからなかった。正直ガキの時に離婚ってなって、親父が母さんを見捨てたんだと思ってた。だから母さんはオレが守らなきゃって」
だからオレは親への甘え方がいつの間にかわからなくなっていた。
そしてそれ以上に本当の愛情がどういうものかわからなくなった。
親に対しても、女性に対しても。
だけど、なぜかその頃から自分にとって母親は守らなきゃいけない存在になっていた。
離婚してからだ、そう思うようになったのは。
「樹。それは違うの。樹が私を嫌わないように、お父さんが悪者になってそう信じさせてたの。本当は私の我儘でお父さんは悪くないのに」
「私が頼んだんだ。樹の愛情は母さんだけが受け取ればいいと。お前にそう思わせることで、私がいなくてもその分母さんをお前がちゃんと守ってやってほしかった」
「だけどお父さんが私を守ってくれたせいで、樹は誤解してお父さんにも反抗的にさせてしまうことになってしまって・・・。そして、誰かを愛するという感情も奪うことになってしまった」
そっか。そういうことか・・・。
全部オレが・・・。
「母さんのせいじゃないよ。ただオレが結局ずっと大人になれなかっただけ。きっと、どこかでオレも親父のこと意識してたんだろうね。自分もさ、親父みたいになるのかなって。ずっとどこか投げやりになってて、誰かに対してそんな気持ちになれなかった。実際自分が誰かを幸せに出来るなんて思わなかったし、そんな未来描くことも出来なかった。だけど、実際は親父は母さんへの気持ちは変わらなかったなんてね。それどころかずっと離れていても守っていたってことか・・・」
一気に気が抜けた感覚になる。
この年齢までそんなことに気付けなかったなんて。
結局オレも本当の部分をちゃんと見ようとしなかったのかもしれない。
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