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「明明は最近、随分と仙術の腕を上げてきたな。さっき練習を見たけど良かったよ」
「えっへへ〜。天宇兄さんも分かります?」
夕餉の時間。卓に料理を並べて食事の時間が始まった。
天宇は基本的に自宅に帰って食事をとるけれど、私が可馨の屋敷に通うようになってからは手が回らないので、ここ最近は夕餉をここで食べて、片付けまでしてから帰って行く。
卓を同じくするのは隣に座る天宇と、そして前には颯懔。別の卓では使用人の皆も一緒に食事をとっている。
颯懔だけ特別ということも無く、みんなと同じ品目。ただし、量が呆れるほど多いけど。
「お前の面倒を見てくれている可馨様んとこの弟子
、えーと、俊豪だっけ? そいつに練習付き合ってもらっているんだってな。成果が出てるよ」
俊豪に指摘されてから、焦らず丁寧に気を縒り合わせるように意識している。確かに速度は落ちてしまったけれど、次の術を出しやすくなってきたことは確かだ。これを繰り返して訓練すれば、きっと以前よりも良くなるって言う自信が出てきた。
俊豪はあれ以来、休憩時間になると私の特訓に付き合ってくれている。可馨も俊豪の修行になるからと言って快く場所を貸してくれているので、実践さながらの練習が出来るのが有り難い。
岩を相手にするよりもずっと効果的だしね。
「俊豪は助言が的確で分かりやすいし、教え上手なんですよ。自分でもメキメキ腕が上がっているのを実感できるから楽しくって」
「うん、今の明明は生き生きしてるよ。でも残念だな。約束の期限はあと明日までだろう?」
「はい、だから練習にはこれからも付き合って欲しいって、お願いしてみようかと思ってるんです」
俊豪は最初に会った時は偉そうな奴だなとか思ったけど、ひと月近く付き合ってみたらそんなに嫌な奴でも無かった。
私の予想通り、聞けば俊豪は元々お坊ちゃま。父親が有力な官僚で裕福な家庭で育ったらしい。
その頃の感覚がなかなか抜けず、人を少々見下し気味になってしまうのも無理はないのかもしれない。
「へえ……」
トンッ、と置かれた茶杯の音に、食堂が一気に凍りついた。颯懔から出る殺気に、一同がゴクリ、と唾を飲み込む。
「それなら明明、その俊豪とやらに弟子入りしたらどうだ? 分かりやすく指導してくれる師匠の方が、お主も良かろう。俺の指導『は』分かりにくいようだからな」
やってしまった……。
師匠の前で他の人を教え上手なんて言ったら、いい気はしないことくらい明らかなのに。
「あ、あの……私、そう言うつもりじゃ……」
「もう良い」
颯懔は席を立って出ていってしまった。まだ食事は半分以上残っている。
食堂に妙な空気が流れた。天宇が使用人の皆に「気にせず食べてくれ」と声をかけると、黙々と食事を口に運ぶ気配だけする。
「明明、後でちゃんと謝れよ」
「……分かってます」
こんなに不味い食事は初めてだ。
龍神様に嫁入りする日の朝餉だって、こんなに不味くはなかったのに。
無理矢理に、味のしないご飯を飲み込んだ。
◇◇◇
苛立ちが収まらず、乱暴に扉を閉めて自室へ入った。最近この部屋を掃除して整えているのは天宇。明明はほとんどの時間を、可馨の屋敷で過ごしているからだ。
それは明明が間違えを犯したからであり、その罰として可馨の屋敷で働いているからなのだが……。
明明から可馨の話を聞かせれても、意外な程に俺の心は揺らぐことはなかった。もっと動揺してしまうと思っていただけに、拍子抜けした程だ。
それよりも俊豪だ。
俊豪、俊豪、俊豪!!
ここのところ明明は、口を開けば俊豪の事ばか
り。
こうなったら一度、どんな奴なのか見に行ってやろうか。上手いというその指導方法を。
可馨が居ようがいまいが関係ない。
だいたい、明明が事を急ぐばかりに術のかけ方が雑になりがちなのは、前々から分かっていた。
敢えて何も言わずにいたのは、明明が自分自身で気が付くのを待っていたから。
寿命が尽きることを気にする必要もないのだから、時間をかけて学んでいけばいいと思っていた。
手取り足取り教えて貰っては、考える事を止めてしまう。不器用だからこそ何も言わない方がいい。その場限りの解決よりも、今後も長く成長して行くために最善だと思ってやっていたと言うのに。
「くそっ」
ダンっと拳で壁を突くと、壁にかけてある侵入者を報せる鈴が微かに鳴った。
この苛立ちは、自分の指導方法を否定されたからなのか。それとも――
「あの……師匠、私です。入っても良いですか」
扉の向こう側から明明の声が聞こえた。
食事の後片付けは、天宇がやるとでも言ったのだろう。頭を冷やす前に来てしまった。
「構わぬ」
様子を伺うようにゆっくりと扉が開いた。
明明はおずおずした足どりで部屋へと入ってくると、その場で膝を付いて頭を下げた。
「師匠、申し訳ありませんでした。二度とあの様な発言は致しませんので、どうかお許しください」
「さっきのが本心であろう」
「そうですけど、そうじゃなくて……。師匠の教え方が悪いだなんて決して思っていません。その……」
「可馨に口添えして、お主を可馨の屋敷に置いてもらうようにしてやる。そうしたら幾らでも俊豪と修行に励めるだろう?」
ああ。頭に上った血がまだ下りてこない。
明明を前にすると冷静でいられなくなる。
困らせると分かっていて何故止められないのか。
「私は……」
声が弱々しく揺らいだ。
「私は師匠以外の人の弟子になりたいと思った事は、1度もありません。師匠以上に心から尊敬も信頼もしている人は他にいません。どうか私をここに置いてください。お願いします」
泣いているのか、鼻をすする音が聞こえた。
こうなると分かっていたのに。女を苛める趣味等ないのに。重く息を吐いて自身を落ち着かせる。
「分かったから、顔を上げよ」
「分かったと言うのは……」
「許す。だからもう泣くな」
「あ……ありがとうございます!!」
泣くなと言ったにも関わらず、更に激しく泣き始めた。そんなに師弟関係を切られるのが怖いのか、と思うと嬉しい反面、何かが胸につかえる。
師匠と弟子。
明明を気にかけるのは大切に育ててきた弟子だから。俊豪のことも、恐らくはそういうことだ。
顔を拭くように、とその辺にあった要らない布切れを渡すと落ち着いてきた。
「師匠……。私、ちゃんと分かっています。師匠は私がきちんと成長出来るように見てくれているんだって。それが師匠のやり方だって。俊豪は教えてくれる人じゃなくて、その……友達で。切磋琢磨できる友達なんです。だから……」
まだ言うのか、この口は。
下がってきたと思った血がまた上ってきた。
俺はこんなに短気だったか?
明明の肩を掴んで引き寄せると、唇を重ね合わせた。
前回した時は艶本通りだったが、今は気持ちにそのような余裕はない。
欲しいと思うままに舌を絡め取り、唇を食む。
これではまるで、子鹿を貪り食う虎だな。
ただの虎にならないだけの理性は、まだあった。
離した唇を耳元に寄せる。
「嫌だったら右手を上げろ」
「はい……師匠」
「師匠じゃない。今は対等な関係だ。名で呼べ」
「え……えっと……颯懔様……」
恥ずかしいのか、明明は目を逸らした。触れている首筋が赤く、熱くなる。
明明に名前で呼ばれるのは久方ぶりだ。師弟関係になってからはずっと、「師匠」と呼ばれてきた。
兄弟子の天宇は師匠と呼んだり名で呼んできたりするのに、明明は頑なに師匠と呼ぶ。
それだけに、改めて名前で呼ばれたと言う事実が、俺を更に獣にした。
耳から首筋へ。
ゆっくりと下へ。
襟元へ手を掛けてずらせば、自分とは違う女の体。修行で鍛えているはずなのにふっくらとして柔らかく、力加減を間違えれば壊れてしまいそうな程に華奢だ。
明明はまだ手を上げていない。
手を滑らせると更に大きく襟元がはだけた。
今度は膨らみの先端部を食み、もう片方は手で触れる。
「ふっ……んん……」
薄紅色の口から、小さく声が漏れた。
――明明は女だ。
その事実を、弟子にした時に蓋をした。
絶対に異性として見てはいけない。
蓋を外してしまった今でも、明明に対する嫌悪感は生まれない。もっとその先まで欲しい。
熱に浮かされ、時々漏れ聞こえる甘い声に酔い、周りの音など何も聞こえないと思っていたのに。
――コンコンッ
玻璃窓をつつく音の後に、鳥がさえずる甲高い声が聞こえた。
タイミングの悪い奴だ。
「青鳥か」
一瞬で我に返ると、明明のはだけた襟を直してから窓を開けた。尾羽の長い瑠璃色の鳥が、窓の縁へと止まり報せを告げる。
『颯懔に告ぐ。西王母様がお呼びだ。明日、屋敷に参れ』
「承知した」
返事を聞くと青鳥は、くるりと向きを変えて飛び去って言った。
呼び出される時は大抵、面倒事がある時だ。
ため息を吐き出すのを堪えて明明の方を見ると、既に身なりを整えていた。
「えっと……私、明日も早いのでもう休みますね! おやすみなさい!」
逃げる獲物を追いかけたくなるのは男の性なのか。
出て行こうとする明明の手首を掴んで、ただ唇を重ねるだけの口付けをした。
「おやすみ」
しつこい男は嫌われる。
物の本にはそう書いてあった。
練習とは言え、もう一度触れたいという欲求を押し通すのは良くないだろう。
顔と言わず首まで赤く染めた明明を、ただ見送った。