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1件
家の中が、少しずつ静かになっていく。
玄関で、桃が何度も振り返る。
「本当に寝てろよ?」
真剣な声。
茈も靴を履きながら言う。
「何かあったらすぐ電話しろ」
翠は、ソファに座ったまま小さく頷く。
「大丈夫。寝てる」
笑ってみせる。
ちゃんと、いい子の顔。
本当は、少し怖い。
一人になるの。
でも、それを言ったら
二人が無理するって分かってる。
ドアが閉まる。
カチャン。
鍵の音。
……静か。
しん、としたリビング。
時計の針の音だけがやけに大きい。
「……寝よ」
そう呟いて、ソファに横になる。
天井を見る。
でも、目を閉じると。
廊下の足音がよみがえる。
笑い声がよみがえる。
体がびくっとする。
「……寝れない」
胸がざわざわする。
このままじっとしてると、
いらないことばかり思い出す。
それに。
頭の奥で、別の声がする。
“何もしてない”
“休んでるだけ”
“役に立ってない”
ぎゅっと、指先が強くなる。
「……掃除くらいなら」
小さな声。
立ち上がる。
少しふらつくけど、平気な顔。
キッチンへ行く。
シンクを見る。
洗い物、少し残ってる。
「これくらいなら…」
水を出す。
冷たい感触で、少しだけ現実に戻る。
皿を洗う。
コップを拭く。
無心でやれば、考えなくて済む。
“怖い”も、“休んでる罪悪感”も。
洗濯機も回す。
ゴミもまとめる。
掃除機もかける。
少しずつ、息が荒くなる。
でも止まらない。
止まると、また考えちゃう。
“俺が壊れてもいい”って思ってた日々が、
まだ抜けてない。
役に立てば、存在していい気がする。
役に立たないと、いらない気がする。
空になった炊飯器を洗おうとすると、
急に、視界が揺れる。
あれ。
息が浅い。
胸が苦しい。
でも。
「もう少しだけ」
自分に言い聞かせる。
その時。
ポケットのスマホが震える。
びくっとする。
画面を見る。
──桃にぃ。
一瞬、指が止まる。
でもすぐ出る。
「……もしもし」
少し息が乱れてる。
桃の声が返る。
「寝てたか?」
翠は、ほんの一瞬だけ迷う。
それから。
笑った声を作る。
「うん、ちょっと」
シンクの水音が、後ろで微かに響く。
桃は、数秒黙る。
「……水の音、何」
その一言で。
翠の指が止まる。
言い訳、探す。
「え、あの……」
息が、乱れる。
心臓が早くなる。
見透かされてる。
「……翠」
桃の声が、低くなる。
怒ってない。
でも、鋭い。
「何してる」
沈黙。
数秒。
長い。
そして。
翠は、小さく言う。
「……ちょっとだけ」
声が震える。
「役に立ちたくて」
その瞬間。
電話の向こうで、桃が大きく息を吐く。
怒りじゃない。
痛み。
「お前、休みって何だと思ってる」
低い声。
翠は、ぎゅっと目を閉じる。
「……何もしないこと」
「違う」
即答。
「回復することだ」
翠は、壁にもたれる。
足に力が入らない。
「でも俺、何もしてないと」
声が震える。
「いらない気がして」
ぽろっと、出た。
本音。
電話の向こうが、静かになる。
桃の呼吸が聞こえる。
「……それ」
低く、静かに。
「まだ抜けてないな」
翠は、黙る。
震えが止まらない。
一人のはずだった家の中で。
やっぱり、無理してしまった。