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第四話
「笑ってる間に、夏は奪いに来る」
夏休みというのは、不思議な時間だ。
学校に来ているのに、授業は短くて、
廊下に立っているだけで「今日は何か起こりそうだ」と錯覚してしまう。
――その錯覚は、大抵、裏切られる。
「よっしゃあ! 今日は部室で映画鑑賞会だ!」
昼休み。
教室の真ん中で、春斗が謎のガッツポーズを決めていた。
「なんでそんなにテンション高いの」
美咲が苦笑する。
「だってよ、ホラーと恋愛映画どっちも持ってきたんだぜ?
女子が怖がって男子にしがみつく確率、約八割!」
「統計どこから来たの……」
「俺調べ!」
胸を張る春斗。
「却下」
即答だった。
「えええ!? じゃあ何すんだよ!」
「勉強」
「夏休みだぞ!?」
そんな会話を横目に、僕は机に突っ伏していた。
理由は、眠いからじゃない。
机の横に、彼女が座っているからだ。
「ねえ、恒一」
小声で囁かれる。
「この人、うるさいね」
「……それは同意する」
彼女は、くすっと笑った。
その笑顔を見るたびに、胸が締めつけられる。
だって――
この光景を、他の誰とも共有できない。
「恒一?」
美咲が、こちらを覗き込む。
「大丈夫? 顔色、ちょっと悪いよ」
「だ、大丈夫」
慌てて顔を上げる。
すると。
「……?」
美咲の視線が、一瞬だけ、
彼女が座っている“空間”で止まった。
心臓が跳ねた。
「……どうかした?」
「ううん」
美咲は首を振る。
「なんでもない」
でも、その表情は、少しだけ困惑していた。
――気づいた?
いや、そんなはずはない。
「……ねえ」
彼女が、僕にだけ聞こえる声で言う。
「今の、見た?」
「……ああ」
「少しずつ、なんだ」
彼女は、視線を落とす。
「“世界のほう”が、私に気づき始めてる」
それは、希望なのか。
それとも――
終わりの兆しなのか。
放課後。
「というわけで!」
春斗が、廊下で叫ぶ。
「今日は部室でダラダラするぞー! 強制参加ー!」
「強制って……」
美咲が苦笑する。
「恒一も来るよね?」
その問いに、一瞬だけ迷う。
彼女は――
首を縦に振った。
「行こ」
短く、それだけ。
部室棟は、夏の匂いが濃かった。
古い木の床。
扇風機の軋む音。
「うわ、暑っ」
春斗が窓を全開にする。
「ほらほら、飲み物配給だ!」
差し出されたジュースを受け取る。
その瞬間。
「あ」
美咲が声を上げた。
「一本、多くない?」
机の上には、五本のジュース。
僕、春斗、美咲――三人。
それに、後から来る予定の部員が一人。
それでも――
一本、余る。
「……あれ?」
春斗が首を傾げる。
「俺、四本しか持ってきてないぞ?」
空気が、僅かに揺れた。
彼女が、ゆっくりと手を伸ばす。
「……これ」
当然のように、一本を取る。
その瞬間。
カラン、と音がした。
誰も触れていないはずのジュースが、
確かに、動いた。
「……今、見た?」
美咲が、息を呑む。
春斗は固まっていた。
「……え?」
視線が、一点に集まる。
そこには――
半分だけ潰れた、ジュースの空き缶。
床に、転がっている。
「ちょ、誰か落とした?」
「触ってない……」
春斗の声が、珍しく震えている。
僕の背中に、冷たい汗が流れた。
「……ねえ」
彼女が、静かに言う。
「ごめん」
その言葉が、やけに重く響いた。
「私、前より……“触れる”ようになってる」
「……それって」
「存在が、強くなってる」
それは、喜ぶべきことのはずなのに。
美咲が、ゆっくりと僕を見る。
「恒一」
「……何?」
「今の、何?」
逃げ場は、なかった。
「……説明すると、長くなる」
「いいよ」
美咲は、真剣な目で言う。
「ちゃんと、聞く」
その時。
「おーい! 遅れたー!」
ドアが勢いよく開いた。
現れたのは――
伊吹 澪(いぶき みお)。
長い黒髪を後ろで結び、 無表情で、どこか達観した雰囲気の少女。
「……あ」
澪は、部屋に入った瞬間、足を止めた。
そして。
真っ直ぐ、彼女を見た。
「……やっぱり」
その一言で、空気が凍りつく。
「いた」
僕の心臓が、音を立てて跳ねた。
「見えて……るの?」
澪は、頷いた。
「完全じゃないけど」
彼女は、淡々と言う。
「あなた、“境界に引っかかってる”」
彼女が、少し驚いたように目を見開く。
「……見える人、初めて」
澪は、腕を組む。
「そりゃそう。
普通は、気づく前に忘れるから」
美咲と春斗は、完全に置いていかれていた。
「ちょっと待って……何の話?」
「幽霊?」
「いや、違う」
澪は、即答する。
「もっと、厄介」
彼女は、僕を見る。
「この夏、選択を間違えたら」
そして、はっきりと言った。
「誰か一人、確実に壊れる」
冗談には聞こえなかった。
彼女――
忘れられた少女は、静かに微笑む。
「だからね」
その笑顔は、あまりにも優しくて。
「ちゃんと、笑っていよう」
そう言った。
まるで――
笑っていないと、消えてしまうと知っているみたいに。