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龍神に勝てると言った老人。奴はゆっくりと言葉を続けた。
「俺は、お前だ」
老人の言葉。いや、次の瞬間。その言葉は『老人』の言葉ではなくなる。
老人という曖昧なものじゃない。
俺は、次の言葉を、名前を一番良く知っていた。
そう。その名は、俺が、俺だけが知っているはずの名だった。
「俺の名前は、────」
奴の言葉に俺は目を見開いた。驚かざるを得なかった。
何故なら、その言葉は…
…俺の、前世の名だったのだから。
─────────────────────────
俺が、同一人物がこの場に二人居る。
そんな不思議な空間の答えは、老人の口からいとも簡単に返ってきた。
「俺は未来から来た」
まるで当たり前だとでもいうように、簡単に。
老人は答えた。
「未来から、来た?」
「あぁ、そうだ」
未来から来たなんて信じられるわけがない。デタラメだ。俺は確かにそう思っていた。
しかし、その気持ちとは裏腹。何故か俺の意識は老人の姿に釘付けになっていた。
「悪いが、お前に納得してもらう時間は無い。俺には時間が無いんだ」
老人は、そう言った。
そして、ゆっくりと言葉を続ける。
「俺は返しにきた。そう、ヒトガミの恩返しに来たんだ」
「恩返し?」
「また疑問形か。少しは自分で考えろ。ヒトガミの負担になるぞ」
老人の言葉に俺は息を呑んだ。
ヒトガミへの恩返し。まさに俺が今考えていたことだ。
その言葉が目の前の老人から放たれた。この事実、もしかして本当に?
「不安か、そうだな。なら、これを見せてやる。少しは自信になるだろ」
老人は薄く笑う。
そして、そのまま目の前の机に人差し指を置いた。
ただの机じゃない。頑丈な鉄製の机。
そこに老人は人差し指を置いた。
トンッ。
軽快に置かれた指先。その瞬間、驚くべきことが起きる。
恐ろしい事象。頑丈な机は音も立てずに粉々に粉砕された。
「は?」
俺は目を見開いた。
一瞬にして壊された机、切り刻まれた机。
何も見えなかった。原理が分からない。
魔術、なのか?それすら分からなかった。
「風を瞬間的に凍らせたんだ。風を固めて、見えない斬撃を作る。そして、飛ばした。簡単なことだ」
言葉と同時、老人は薄く笑っていた。
分かったことはすごく強いということ。
そんな強い老人。本当に俺なのか?
「少しは自信になったか?そうだ。お前はこれぐらいのことは容易に出来る。魔力があれば、もっと威力が……いや、その話は辞めておこう、時間がない」
老人は俯き、粉々になった机を見つめる。
その姿はすごく弱そうで。先ほどとんでもない魔術を使った人物とは似ても似つかなかった。
そんな老人。奴が唐突に質問を投げかけてくる。
「エリス。そうだ、過去に来たんだ。エリスのことが聞きたい。聞かせてくれないか?」
俺は、この言葉を聞いて不思議に思っていた。
エリスと俺はずーっと一緒なのに。老人はわざわざ俺にエリスのことを聞いてきた。
まだ老人の心情を断定は出来ない。
しかし、俺は感じていた。
奴の口ぶりは懐かしむようで、暫く会ってないから聞きたいと言いたげな声色だった。
少なからず俺にはそう聞こえていた。
(そうだ。まだ目の前の老人が俺と決まったわけじゃない。エリスとのエピソードを話して、老人の反応で判断しよう)
俺は、そんな作戦を立てる。
エリスを懐かしむ反応を見せたらコイツは偽物だ。
俺はエリスと離れない、絶対に。ジジイになっても愛するエリスと一緒に居る。これは絶対だ。
近くにエリスが居たら懐かしむ反応なんて見せるわけがない。毎日一緒に居るのだから懐かしむわけがない。
そんな推測。答え合わせは目の前の老人の反応。
よし、完璧な作戦だ。
俺は意を決して口を開いた。
「最近さ、エリスとエッチなことしたんだよ」
「……」
我ながら酷い第一声だ。
でも、俺がお前ならこれぐらい別に良いだろ?
「最近までさ、エリスが妊娠してて。その間エッチなこと出来なかったんだよ。だから久々のエッチでさ、彼女が恥ずかしがっちゃって。ルーデウス、顔見ないで!!!って顔真っ赤にして言われたんだ」
言葉と同時。話しながらニヤつく俺。
可愛さが天井突破してるんだよなぁ。
エリス、やっぱり最高なお嫁さんなんだよなぁ。
おっと、危ない危ない。これは老人の反応を見るための物だったんだ。エリスの可愛さ発表会じゃなかったな。
よし、そうと来れば老人の反応を見よう。
どんな反応してるかなっと。
ふぅーんという反応か。
懐かしいと上を向くか。どちらなのか俺は見極める。
そんな決意で向けた瞳。そんな俺の瞳に映ったのは、予想だにしない、出来ない反応だった。
「そうか、そうだったな。エリスは可愛いよなぁ」
懐かしむわけでも、当たり前と思うわけでもない。
奴は、老人は、この言葉をまるで独り言のように放つ。
「また、会いてぇよ。また、エリスの近くに居てぇよ」
瞬間、乾いた老人のシワが濡れていた。
焦点の合わない瞳をじんわりと濡らしていた。
潤む瞳。老人は、確かに、唐突に…
…泣いていたんだ。
懐かしみでも、怒りでもない。
老人の感情は『悲しみ』だった。
─────────────────────────
泣いた老人、悲しむ老人。
俺は、その姿に言葉が出せなくなる。
そして続く言葉、奴の言葉に俺は吐き気を催すことになる。
「死ぬんだよ」
「は?」
俺は疑問の言葉を挙げた。
しかし、俺は奴の言葉に聞き覚えがあった。
そうだ、あれはヒトガミの言葉だ。
奴にも同じようなことを言われたんだ。
「エリスだけじゃない。全員死ぬんだよ。お前は、エリスを、シルフィを、ロキシーを。大切な物を全部失うんだよ」
すごく重たい言葉。
思い知ることになる言葉。俺は、俺は何も考えられなかった。
信じたくない。その気持ちが溢れて止まらなくなって、俺は奴にこの言葉を放つ。
「嘘、吐くなよ。お前は強いんだろ?見ただけで分かるよ。めちゃくちゃ強いんだろ?じゃあ、なんで、なんで守れないんだよ。守れないわけないだろ!!!」
目の前の奴に、老人に嘘だと自白させるために。俺は全力で喋った。
しかし、俺の言動と裏腹、老人は笑う。
苦虫を噛み潰したように醜く笑う。
「そうだな。俺は強くなった。ヒトガミが言うには魔神ラプラスと同等らしいな」
「魔神ラプラス?え?七大列強の、あのラプラスか?」
老人は小さく頷く。
冗談には聞こえない。奴は本気だった。
でも、そんなに強くても『悲しみ』という感情は消えない。
「北神を、剣神を、水神を殺せるようになっても、何の意味も為さない。ただ虚しいだけだ。それは、俺が一番良く知っている」
老人は淡々と話す。
苦笑いのまま、淡々と。
詳しいことを聞きたい、聞こう。俺がそう思った時、老人が静かに声を挙げる。
「聞きたい気持ちは分かる。しかし、それは無理だ。最初にも言ったが俺には時間がない。詳しくはこれを見ろ」
そう言って差し出されたのは一つの日記だった。
所々汚れた日記。その日記には年季と共に魂が籠っていた。
執念に近い物を感じる。俺は、そんな風に思いながら日記を静かに受け取った。
重い。厚いわけじゃないのに、何故だかそう思った。
そんな俺を他所に、老人は、俺は、ゆっくりと言葉を並べ始めた。
─────────────────────────
この老人はエリスのために涙を流していた。
家族のために全力だった。
まだ確定じゃない。だけど、少なくとも、
俺にはコイツが『俺』に見えた。
「ヒトガミを信じろ。奴は俺の最大の恩人で、最後の味方だ」
「恩人?やっぱりヒトガミは味方なのか?」
「そうだ。奴は一人ぼっちになった俺をずっと励まし続けてくれたんだ」
目の前の人間。もし、この老人が俺なのだとしたら。
数十年、ヒトガミは俺に助言をしてくれるのか。
数十年間俺を助けてくれる。
そうか、やっぱりアイツは優しいな。
納得する心。しかし、俺には一つだけ疑問があった。
「あんたの口ぶり的に未来は不幸なんだろ?そして、選択は、言いたくないけど、家族を、ロキシーの子供を……殺したってことなんだろ?」
「……そうだ。俺が弱かったからな。それがどうした?」
「ヒトガミの選択を選んで、俺が不幸になる。それはヒトガミを信じたらダメってことじゃないのか?」
「いや、そうじゃない。ただ、奴も失敗する。それだけのことだ。ヒトガミは自信が無かったから選択として俺に選ばせたんだ」
この言葉を聞いて俺は少し納得していた。
そうか、確かに。今回のアイツは助言じゃなかった。
それは自信が無かったからなのか。
ヒトガミはオルステッドに俺が勝てるとは思っていない。だから、踠きながらも俺が助かる方法を探してくれていたのか。
自信のないヒトガミ。奴は苦しんでいたから俺に『選択』という方法を取らせたんだ。
理解出来た。俺は奴に恩がある。
うん、そうだ。これぐらいは信じよう。それが俺に出来る恩返しだ。
「分かった。信じる」
「そうか、素直だな。よし、それで良い。二つ目はオルステッドを殺すことだ」
「最初に言ってたことだな。俺は本当に龍神を殺せるのか?」
「あぁ、間違いない。奴は最強だが、それには理由がある。そして、その理由はそのまま弱点になる。そこを突けば必ず殺せる」
淡々と二つ目を口に出す老人。
まるでヒトガミだな。助言を言う時の奴にそっくりだ。
説得力が出た。老人は最近までヒトガミと話していたのだろう。
口ぶりから推測出来る。
少しずつ理解し始めた状況。
よし、続きを聞こう。
「龍神を殺せる?あんたは龍神を殺したのか?」
ただの疑問だった。
普通の質問だと思った。
しかし、違った。
そう思った理由は老人の行動。
この言葉を聞いた老人は今までの落ち着きとは裏腹、途端に大声を上げる。
苦しそうに、指先を震わせて言葉を吐き出していく。
「龍神、龍神!俺は戦えなかったんだよ!戦えば、必ず勝てた。細切れに出来たはずだ!!!粉々にして、豚の餌にして。ロキシーと!シルフィと!エリスに!詫びさせてやったんだ!!!クソがっ、クソがっ」
老人は言葉と同時。
自身の髪をぐしゃぐしゃと掻いた。
そして、指先をこちらに向ける。
瞬間、俺は何かが来ると感じていた。
老人の指先に集まるのはとてつもない魔力。何かやばい。
何かを撃たれると俺は直感で感じ取った。
「ちょっと待ってくれ!撃たないでくれ。ここは俺の家なんだ、壊さないで欲しい」
「……悪い、そうだったな。取り乱した」
老人は指先を下に降ろし、一つ深呼吸をした。
取り乱した老人。俺は、その姿に唖然としていた。
龍神 オルステッド。最強はそんなに酷い奴なのか。
こんな風に取り乱してしまうほどのことを奴はするのか。
そして、もう一つ。俺は大きな疑問があった。
老人の説明にある穴。俺はそんな穴を突いていく。
「待ってくれ、聞きたいことがある。あんたは必ず龍神を殺せるって言ったよな?それは一人でか?」
「あぁ、そうだ。それが、なんだ?」
「いや、おかしいだろ。龍神は技神と魔神より強いんだぞ?それどころか、その二つが合わさった魔龍王ラプラスより強いんだぞ?そんなオルステッドにどうやってあんたが勝つんだよ」
これはヒトガミの言葉だ。
オルステッドは本気を出せば魔龍王より強い。
そして、もう一つ聞いた言葉。老人自身が言っていた言葉。
老人は魔神ラプラスと同等の強さということ。
もちろんすごいがそれでは勝てない。
最強 龍神には勝てないはずだ。
不安がる俺。そんな俺に老人はゆっくりと口を開く。
「そうだ、その通りだ。龍神は魔龍王に勝てる。だが、それは魔龍王より強いということにはならない」
「は?どういうことだ?」
「それが、奴の長所であり短所。突け入る隙だ」
意味が分からない。
俺は老人の言葉を待った。
「奴はこの世界をループしている。そういう呪いがある。だから、全ての敵の手の内を知っている。その状況は勝負になればとてつもなく有利だ」
なんだそれ。そんなこと初めて聞いたぞ。
世界をループする呪い。だけど、そうだな。それが本当だとしたら確かに自分が敵より弱くても勝ててしまう。
何故なら初見殺しが効かないのだから。
相手は自分を知らないのに、自分は相手を知っているという有利な状況で戦闘を始められる。
それは大きな強みだ。
そんな俺の思考。畳み掛けてくる老人の言葉。
「そして、俺は初見殺しの塊だ。覚えているか?ヒトガミの言葉を」
「ヒトガミの、言葉?」
「そうだ、思い出せ。学園で言われた言葉だ」
ヒトガミの言葉、助言か?
俺は頭を回した。
ゆっくりと、じっくりと思い出していた。
………
……
…ダメだな、思い出せない。
降参と言うように項垂れる俺。
そんな俺に老人は答えをくれる。
「俺のストーンキャノン。前世の記憶を活かしたストーンキャノン。それはオルステッドも知らない初見殺しだ」
「そうか、そういえば言ってたな。いや、ちょっと待てよ。オルステッドはループしてるって言ってたよな?なら、俺のことも知ってるんじゃないか?俺のストーンキャノンを龍神が使えなくても、バレていたら初見殺しにはならなくないか?」
俺は鋭い疑問を突いたつもりでいた。
使えなくてもバレていたら意味がない。
そんな疑問、老人は答えられないと思った。
しかし、奴は簡単に言葉を返してくる。
「そうだな、お前にヒトガミが言っていたことを話そう。俺は普通のループには居ないレアキャラらしい。詳しいことは俺にも分からん。だが、ヒトガミが言ったんだ、信用出来る」
「信じて、大丈夫なのか?」
「信じろ。逆に何故信じられないんだ?さっき信じると言ったばかりだろ」
確かにそうだ。
俺はヒトガミを信じると言った。
疑ってしまった、ヒトガミに失礼だったな。
「そうか。俺は龍神と相性が良いのか」
「あぁ、その通りだ。お前は龍神と相性が良い。奴は初見の技に対して異様に弱い。それが最強の弱点だ」
初見殺し。そうか、それが弱点なのか。
まぁ、弱点が分かったところで勝てるビジョンなんて浮かばないんだけどな。
でも、先ほどより絶望はしない。
それほど老人の話には『熱』があった。
俺の絶望を溶かす熱が老人の話にはあった。
「よし、良い目になったな。それは戦う目だ。俺には分かる。そうだな。そんなお前に、もっと詳しく話をしたかったが、もう無理だな。後は日記を見ろ。そこには今の貴様に相応しい、厳選した、最高の一手が書いてある」
「さっきからなんなんだ?時間が無いとか、もう無理とか。どういうことだ?」
「そのままの意味だ。気にするな」
気にするなって、そんなの無理だろ。
まぁ、良いか。後で聞けばいい。
老人が話し疲れて、ぐったりとした時に詳しく聞けば良いんだ。
だから、今は老人の言葉を聞こう。
「これで最後、三つ目だ」
集中して言葉を待っていた俺。
そんな時だった。瞬間、奴の焦点がブレた。
いや、ブレたのはこの瞬間じゃない。
今なら分かる。老人の焦点、それは最初からブレていたんだ。
奴は、老人は、無理をしていたんだ。
「ごふっ。ナナホシを、頼れ」
老人が言葉と同時に咳をした。
何かが絡まったような咳。老人なら普通にしそうな咳。
しかし、俺は驚いた。
それは、咳と同時に出た赤い物。
奴の口から出た赤い液体。
「血、吐血?」
「……やはり、俺の病は限界に来ていたか」
老人はそんな言葉を呟いた。
小さく、小さく呟いた。
病、病気。今、老人はそう言ったのか?
「病気、あんた病気なのか?ちょっと待ってくれ!今クリフを呼ぶ。アイツ、識別眼手に入れたんだよ。だから絶対に分かる。すぐに戻ってくる!」
取り乱す俺。そんな俺と対照的、老人は酷く冷静だった。
「ふっ、取り乱すなよ。今さら死ぬことなんて怖くない、俺を殺すのは病だけ。ヒトガミにも言われていたことだ」
この言葉と同時。
奴は、老人は笑っていた。
満足そうに笑っていた。
「もう、良いん、だよ。俺の役目は、終わったん、だから、よ」
所々区切られる言葉。
何かがおかしい、急速に弱っていく老人。
奴の身体はおかしかった。
ヒュッ……
瞬間、風が吹いた。
火照った身体に心地良い風。俺はそう思った。
でも、そう感じたのは俺だけだった。
「おい、おい!!!今、ローブの下、あんたの身体、内臓が」
「ふっ、見えた、か。そうだ、俺には、内臓が無い」
病に侵された身体と無くなった内臓。
そんな姿でも、老人は笑顔を絶やさない。
いや、絶やさないんじゃない。
老人は、きっと心の底から喜んでたんだ。
バタンッ
次の瞬間、老人の身体が床に突っ伏した。
椅子から崩れ落ちて、うつ伏せで醜く床に転げ落ちる。
「内臓が欠損している。そうか、欠損!それなら王級治癒魔術で治せる!!!」
近付く俺。
そんな俺の足元が泥に沈む。
「来る、な。病が、移る、だろ。もう、十分だ。俺は、やっと、ヒトガミに、恩を、返せた。それで、それだけで、十分、だ……」
「くそっ!なんで、石の床に泥沼出来るんだよ。ちょっと待ってくれ!俺には、まだ聞きたいことが」
「はは、ははは、シルフィ、ロキシー。そし、て、エリ、ス。今、行くから、なぁ」
奴の焦点がどんどんとブレる。
老人は限界だった。魔神ラプラスと同等の男。そんな男の最後には到底見えなかった。
「あ……」
最後の最後。
か細い声が老人の口から溢れた。
刹那、地下室に言葉が広がる。
他人が聞いたらくだらない、そんな言葉が放たれる。
「エリ、スの、髪、相変わらず、きれいだなぁ」
その瞬間止まる、老人の震え。
奴は、俺は、その時…
…生命活動を終えた。
とてつもない拘束魔術。足場に作られた泥沼から俺はなんとか脱出した。
少ない魔力でとてつもない泥沼。俺とは精度が全く違う泥沼。
しかし、精度は違えど、その魔術は確かに俺の物だった。
俺の得意な泥沼だった。
奴の正体は確かに『俺』だったんだ。
そんな泥沼。俺が振り返り床を見ると、そこには泥で文字が書いてあった。
①ヒトガミを信じろ
②オルステッドを殺せ
③ナナホシを頼れ
複雑な文字もしっかりと書かれていた。
それほどの精度、老人の魔術は本物だった。
何も考えられない俺の頭。
その時だった。地下室の扉が勢い良く開かれる。
「ルーデウス!どうしたの!?大丈夫?」
心配そうに駆け寄ってくるエリス。
その腰に剣は無い。きっと、剣も取らず気付いてから最速で来てくれたのだろう。
俺を守るために、きっと。
「はい、何もありませんよ。ちょっと魔術を寝ぼけて使っちゃって、それだけです」
部屋には老人の死体は無かった。
というより俺が隠した。
老人の作った泥沼に咄嗟に沈めて、隠した。
だから、エリスには気付かれない。
「そう、なの?」
「はい、大丈夫ですよ」
俺は頑張って笑顔を作った。
なるべく明るい笑顔。でも下手だったのかな?
そんな俺を見たエリスが俺のお腹に腕を回してくる。
「ルーデウス?今日なら、私、一緒に寝てあげるわよ?」
そう言いながら、すりすりと俺のお腹に顔を埋めるエリス。
その姿は、離れたくないと言っているみたいで。
寝てあげるというより、寝たいと言ってくれてるように見えた。
でも、エリスごめん。
俺には、やらなきゃいけないことがあるんだ。
「エリス?ありがとうございます。でも、ちょっと今風邪気味みたいで、移しちゃうかもしれないので」
「んー、しょうがないわね。ルーデウスの風邪なら移っても良いわよ」
なんだそれ。
俺の風邪なら良いって、意味が分からないな。
風邪気味と言ったのに、さらに俺を強く抱きしめるエリス。
離さない、離れたくない。エリスはニコニコと幸せな笑顔をしながら俺に甘えてくる。
俺はそんな彼女の頭を撫でた。
サラサラとした赤くて長い髪。その姿を見た俺は、思わずこの声を漏らしていた。
「エリスの髪、綺麗だなぁ」
その時、俺はハッとした。
これは老人の言葉だ。奴の最後の言葉だ。
そうか。きっと、老人はこの光景を見ていたんだ。
エリスとの幸せ。そんな光景を奴は見ていたんだ。
「俺は見なきゃいけない。知らなきゃいけない」
幸せが壊れると言った老人。
俺には知る権利がある。いや、権利じゃない、これは義務だ。
俺には知る義務があるんだ。
俺は甘えるエリスの髪から手を退けて語りかける。
ちょっと真剣に、力強く。
「エリス?お願いします。一人にさせてください」
怒ったわけじゃない。でも、エリスは感じ取ってくれたようだ。
俺の真剣さを。
次の瞬間、甘えていたエリスが俺から離れる。
そして、腕を組みながら大きな言葉を残していく。
「ふんっ!分かったわよ!ルーデウス、私ベッドの上で待ってるからね!」
うん、待っててくれ。ベッドの上で待っててくれ。
ん?ベッドの上?なんでベッドの上なの?
混乱する俺の頭。
なぜか分からんが、当たり前のようにそうなっていた。
今日は忙しくなりそうだし、エリスの要望に答えるのはちょっと無理そうな気もするが。
話が拗れるのも良くない。ここは、そういうことにしておこう。
「はい、分かりました」
「ふ、ふんっ!風邪引いてるなら無理しちゃダメよ!」
ツンデレな心配を残し、離れていくエリスの背中。
俺は、その背中を横目にゆっくりと本を開く。
その正体は、最低最悪の日記。
そんな日記。想像以上の軌跡。
俺は、意を決して…
…老人の軌跡を辿ることにした。