テラーノベル
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朝、目が覚めた。
まだ身体は重くて、布団の温もりにしがみつくみたいに、指先だけが外へ伸びる。枕元に置いたスマホを手繰り寄せて、ぼんやりと画面を点けた。
特に見たいものがあるわけじゃない。ただ、何も考えなくて済むから。
SNSを開く。
流れてくるのは、知らない誰かの言葉ばかりだった。
誰かが炎上している。
承認欲求がどうとか、間違っているとか、正しいとか。 別の場所では、男女平等を巡って終わりのない言い争いが続いている。
スクロールする指は止まらないのに、心だけが置いていかれる。
(……なんで、みんなこんなに必死なんだろ)
ふと、そんなことを思った。
けれど、すぐにどうでもよくなって、また次の投稿へと流れていく。 同じような言葉、同じような怒り、同じような正しさ。
気づけば、息が少し浅くなっていた。
「……やだな」
小さく呟いて、スマホの電源を落とす。
静かになった部屋の中で、自分の呼吸だけがやけに大きく聞こえた。
目を閉じても、さっき見た言葉が頭の奥に残っている。
こんな朝が、何度も繰り返されている。
特別なことなんて何もない。
楽しいと思える瞬間も、どこか遠くに置き去りにしたまま。
ただ、ぼんやりと時間だけが過ぎていく。
「死にたいな」
ぽつりと、こぼれた言葉。
何度も口にしてきたはずなのに、どこか現実味のない響きだった。
本気なのか、そうじゃないのか、自分でもよくわからないまま。
それでも今日も、こうして目を覚ましてしまった。
結局、何も変わらないまま。
目を閉じても、さっき見た言葉が頭の奥に残っている。
こんな朝が、何度も繰り返されている。
特別なことなんて何もない。 楽しいと思える瞬間も、どこか遠くに置き去りにしたまま。
ただ、ぼんやりと時間だけが過ぎていく。
「死にたいな」
ぽつりと、こぼれた言葉。
何度も口にしてきたはずなのに、どこか現実味のない響きだった。 本気なのか、そうじゃないのか、自分でもよくわからないまま。
それでも今日も、こうして目を覚ましてしまった。 結局、何も変わらないまま。
その時、もう片方の隣のベランダが開く音がした。
金属がこすれるような、小さく乾いた音。
反射的にそっちへ視線を向ける。
(ああ、あの人か)
最近、引っ越してきたらしい隣人。
わざわざ挨拶に来たときは、正直ちょっと驚いた。今どき、そんな律儀なことをするやつがいるなんて思わなかったし、少し警戒もした。
けれど、今はそんなことを考える気力もない。
ぼんやりしていると、カチッ、と軽い音が聞こえた。 ライターの音。
続けて、気の抜けた声が落ちてくる。
「……あれ、切れちゃった?買いに行かなきゃじゃん…めんどくせー。」
その言葉に、少しだけ意識が引っ張られる。
(同じか)
自分と同じ、煙草を吸う人間。 ただそれだけの共通点なのに、妙に引っかかった。
手元を見る。 まだ使えるライターが、指の間に収まっている。
少しだけ迷ってから、口を開いた。
「…あの」
思ったよりも声が出て、自分で少し驚く。
「うぉっ、…ぁ、お隣さん?」
「はい…ライターあるんすけど、使います?」
一瞬の間。
それから、ぱっと明るくなるような声。
「え、いいんすか?」
「はい…今渡します。」
ベランダの仕切り越しに、体を少し乗り出す。
落とさないように気をつけながら、ライターを持った手をそっと伸ばした。
「ん、ありがとうございます。」
仕切りの向こうから、軽く礼を言う声。
すぐにまた、カチッ、とライターの音がして、
今度はちゃんと火がついたらしい。
少し遅れて、煙を吐き出す気配が伝わってくる。
「おにーさんも煙草吸うタイプなんですね」
不意に投げられた言葉に、肩がわずかに揺れた。
「えっ…ぁ……ま、まぁ」
自分でもわかるくらい、声が裏返る。
会話に慣れていないのが、露骨に出てしまった気がして、少しだけ気まずい。
けれど向こうは気にした様子もなく、淡々と次を重ねてくる。
「何歳?」
「21です。」
「…俺の方が年上か。俺、26」
「ぁ…そうなんですか」
年齢差なんて大したことないはずなのに、なぜか距離を測られた気がして、曖昧に相槌を打つ。
「大学生?」
「はい…」
「どこの?」
「〇〇大学です…」
「へー、頭いいんだね。バイトは?なにしてんの?」
間髪入れずに続く質問。
「…何個か掛け持ちで」
答えながら、視線は煙の行方を追っていた。
空に溶けていくそれを見ていれば、会話から少しだけ逃げられる気がしたから。 けれど、そんな小さな逃げ道も、すぐに塞がる。
「名前は?」
その一言で、意識が引き戻される。
ついに、そこまで来たか…と、内心で小さく息をついた。 ご近所付き合いなんて、できるだけ避けたい。 深入りする理由もないし、する気もない。 煙草の火が、じり、と短くなる。
どう答えるか、ほんの一瞬だけ迷って
「……ヒマです。」
一瞬だけ間を置いて、そう答える。
口に出した瞬間、自分でも少しだけ変な感じがした。
「ヒマ…。」
向こうが、その音をなぞるみたいに繰り返す。
本当の名前じゃない。 苗字の暇を、ただ読み替えただけの、適当な逃げ道。
それで十分だと思っていたのに。
「……偽名でしょ。」
あっさりと、崩された。
「ぇ、ぁ…」
言葉が詰まる。 図星を突かれたときの、あのどうしようもない間が落ちる。
「ごめんねー?そういうの分かるんだわ…ちょっと危ない仕事してるから。すぐ嘘ついてるとか分かるんだよね。」
軽い調子で言うわりに、内容は重い。
「え、危ない仕事?」
思わず聞き返してしまう。 口に出してから、踏み込みすぎたかもしれないと気づいた。
そんなこと、普通は簡単に言うものじゃない。
「そうそう、あぶなーい仕事。どういうことしてんのかは、想像に任せるけど。」
くぐもった笑い混じりの声。
煙と一緒に、輪郭の曖昧な言葉が流れてくる。
冗談なのか、本気なのか。 判断がつかない。
「教えたくない感じ?」
軽い調子のまま、さらに踏み込んでくる。
「…まぁ、近所付き合いとかあんまりしたくないんで。」
少しだけ言い方がきつくなった気がしたけど、引く気はなかった。
これ以上、距離を詰められるのは面倒だ。
「そっか…じゃあ、別に教えなくていいよ。ヒマくん。」
その呼び方に、わずかに眉を寄せる。
「っ、くん呼び辞めてください。なんか…嫌です。」
「……あはは、ごめんごめん」
悪びれた様子もなく、軽く笑って流される。
やっぱり、この人は調子が狂う。
そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。
一定のリズムで鳴るバイブレーション。
バイトの時間を知らせるために設定したアラームだ。 現実に引き戻される。
「あ、バイトなんでもう行きますね」
少しだけ早口になりながらそう告げて、吸いかけの煙草を灰缶に押しつけた。
「ん、ばいばーい」
変わらない軽さの声が、背中越しに飛んでくる。 振り返ることはせず、そのまま部屋に戻る。
何個かのバイトをやっと終わらせて、気づけば夕方だった。
身体は重くて、頭もぼんやりしている。
一日をちゃんと終えた達成感なんてなくて、ただ消耗しただけ、みたいな感覚。
そのまま、いつも寄るコンビニに足を向けた。
自動ドアが開いて、冷たい空気が頬に触れる。
決まった動きみたいに、酒を何缶かカゴに放り込んで、ついでにカップラーメンも手に取る。
料理はできる。
けど、やる気がない。
それだけで十分な理由だった。
一通り選び終えて、レジへ向かう。
「……」
店員が、やけにこちらを見てくる。
バーコードを読み取りながらも、ちらちらと視線が泳いでいる。
(なんだよ)
少しだけ眉をひそめる。
「すいません、132番ください」
棚の奥にある煙草を指して言うと、
「ぁ、は、はい。」
妙に慌てた声が返ってきた。
(新入りじゃないよな…)
何度も会計してもらってる顔だ。
今さら緊張する理由もないはずなのに。
「えっと、お会計…1200円です。」
どこかぎこちないまま、金額を告げられる。
財布から金を取り出して、トレイに置こうとした、次の瞬間。
ギュッ
「…ぇ」
思わず、声が漏れる。
冷たい指の感触と、予想外の力。
一瞬、何が起きたのか理解できなくて。
視線だけが、ゆっくりとその手の先を辿った。
「すいません…よ、よく俺がシフトの時に来ますよね?」
「……はい?」
状況が飲み込めないまま、間の抜けた返事が出る。
それでも手首を掴む力は弱まらない。
むしろ、少しだけ強くなった気がした。
「その、俺に気あるんじゃないかなって、…半信半疑で思ってましたけど…これでもう39回目だし…!す、好きってことですよね!?」
「……は?」
思考が追いつかない。
何を言っているのか、理解しようとすればするほど遠ざかる。 39回、なんて言葉だけが耳に残る。
(数えてたのかよ)
ぞわ、と背中に何かが走った。
「あの……手…っ、」
振りほどこうと少し力を入れるけど、相手の手は離れない。
「よ、良かったら!連絡先交換しませんか!」
一方的に押し込まれる言葉。
距離も、空気も、全部がおかしい。
「すいませーん。レジ、待ってるんですけど…まだです?」
後ろから、場違いなくらい気だるい声が割り込んできた。
聞き覚えがある。
振り返る。
「!、…イルマ…さん、」
朝、ベランダ越しに話した隣人が、そこに立っていた。
片手に商品を持って、面倒くさそうにこちらを見ている。 状況を一目で把握したのか、視線がすっと、俺の手首を掴んでいる店員の手に落ちた。
「……あー、それ、離した方がいいよ」
軽い口調のまま、けど少しだけ低くなった声。
「困ってんじゃん」
イルマさんが店員の手を軽く外して、なんとかその場を収めた。 強引でも乱暴でもないのに、不思議と逆らえない空気だった。 そのまま会計を済ませて、二人でコンビニを出る。
「すいません、…迷惑かけて」
歩き出しながら、ぽつりと謝る。
「全然大丈夫だよ。こういうのって結構ある感じ?」
相変わらずの軽い声。
「…男に言い寄られたのは、今回で初めてです。」
正直にそう答えると、
「へー…モテるんだ」
なんて、あっさり返される。
(モテる、のかこれ…?)
さっきの光景を思い出して、少しだけ眉をひそめた。 あれをモテるで片付けていいのか、よく分からない。
「仕事帰りですか?」
話題を変えるように聞くと、
「ううん。女の子と会ってた。」
「女の子…」
思わず、そのまま繰り返してしまう。
「まぁ、遊びってバレてビンタされたんだけどね。」
さらっと、とんでもないことを言う。
言葉の軽さと内容の重さが、まったく釣り合っていない。 ちらっと頬を見ると、確かに少し赤くなっていた。
「へ、へー……」
どう返せばいいのか分からず、苦笑いみたいな声になる。
(これが、いわゆる…)
頭の中で言葉が浮かぶ。
屑。
ぴったりすぎて、逆に何も言えなかった。
隣を歩くイルマさんは、そんなこっちの内心なんて気にもしていないみたいに、歩く。
「助けた代わりにさ、ヒマの家入っていい?」
「え…」
足が止まる。
さっきまで普通に歩いていたはずなのに、その一言だけで、空気が変わった気がした。
「助けたし、いいでしょ?」
当然みたいに言われて、言葉が詰まる。
(いや、よくないだろ)
頭ではそう思っているのに、うまく口に出てこない。
「…あ、あはは………」
乾いた笑いだけが漏れる。
視線を逸らして、どうにか誤魔化そうとする
助けてもらったのは事実だし、さっきの状況を思い出すと、強く断るのも気まずい。
でも、だからって家に入れるのは話が別だ。
目の前のこの人は、距離感がどう考えてもおかしいし。 危ない仕事だとか、平気で言うような人間だし。
(普通に、嫌なんだけど)
なのに、うまく拒否できない自分が一番面倒だった。
「へえ…結構綺麗にしてるんだね〜」
部屋に入るなり、遠慮もなく見渡しながらそんなことを言う。
「……」
返す言葉もなく、ドアを閉めた。
(入れたの、マジで失敗だったな)
頭の中で何度目かの後悔が回る。
「あの…女とか呼ばないでくださいよ?」
念のため、釘を刺すみたいに言うと、
「呼ぶわけないじゃーん。俺の事なんだと思ってんの?」
軽く笑いながら返される。
一瞬だけ間を置いて、
「……屑」
ぽつりと答えた。
「せいかーい♪危ない仕事してるやつは、だいたい屑だけどね。」
まるで褒め言葉みたいに受け取るその態度に、少しだけ呆れる。
(否定しないんだな)
むしろ開き直っている。
イルマさんは勝手に部屋の中を歩いて、棚の上に置いてあった小物を指でつついたりしている。 その背中を見ながら、なんとなく落ち着かない気分になる。 静かなはずの自分の部屋が、妙にざわついている。
「……何するつもりなんですか」
少しだけ警戒を混ぜて聞くと、
「んー?」
振り返った顔は、相変わらず気の抜けた表情で。
「別に。ちょっとヒマのこと知りたいなーって思っただけ」
軽く言う。
それが一番面倒だ、と内心で思った。
目的がはっきりしてる方が、まだ対処しやすい。 こういう、ふわっとした興味が一番厄介だ。
「……お酒飲みます?」
机の上に、買ってきた缶をいくつか並べる。
「助けてもらったのは、本当ですし。貴方が来てなかったら、酒も煙草も買えませんでした。」
一応の礼のつもりで言っただけだったのに、
「あー…お酒飲めないんだよね、俺。吐いちゃうんだ。」
あっさりと返される。
「……そうなんですか」
思っていたイメージと、少しだけズレる。
(こういうタイプって、飲んでそうなのに)
勝手にそう決めつけていただけだと気づいて、内心で小さく息をついた。
「だから、見てるだけで俺はいいよ。」
そう言いながら、イルマさんは迷いなくソファに座る。 自分の家みたいな顔で。 それから、隣をぽんぽんと軽く叩いた。
「ほら、座って座って」
「……」
一瞬、足が止まる。
(なんで、こんな流れになってんだよ)
断ろうと思えば、断れるはずなのに。
ここまで来ると、逆にそのタイミングを失っている。 小さくため息をついてから、ゆっくりと歩み寄る。 距離を少しだけ空けて、端に腰を下ろした。
「ほら、ヒマは飲もっか。」
そう言われて、勝手にグラスに酒が注がれる。
氷に当たった炭酸が、カチ、と小さく音を立てた。 手に持ったグラスを、少しだけ見つめる。
(まぁ……いいか)
喉は渇いているし、考えるのも面倒だった。
口をつける。
「んっ、ん…ん…」
一気に流し込むと、炭酸の刺激とアルコールの熱が、喉を通って落ちていく。
「おー、豪快に飲むねー。」
隣から、楽しそうな声。
グラスを置いて、小さく息を吐く。
(…ちょっと、強いかも)
でも、1缶くらいなら問題ない。 いつもそうやって、適当に済ませてきた。 視界の端で、イルマさんがこっちを見ているのが分かる。
「……そんな見ます?」
少しだけ眉をひそめて言うと、
「いやー、なんかさ」
軽く笑って、頬杖をつきながら続ける。
「ヒマって、酔ったらどうなるタイプかなーって思って」
その言葉に、少しだけ間が空く。
(どうなる、って)
正直、自分でもよく分からない。 ただ、 あんまりいい酔い方はしない気がする。
イルマ視点
「すぅ、すぅ…」
規則正しい寝息が、静かな部屋に落ちる。
「あーあ…人から注がれたお酒は、自分が買ったお酒とは限らないよ?ヒマくん。」
軽くため息をつきながら、そう呟く。
無防備すぎる。 少し揺すっても起きる気配はなくて、完全に意識は落ちているらしい。 膝の上に乗せたままの身体は、思ったより軽かった。
「さて…身分証明書はどこかなー?」
ひょい、と抱えてソファに寝かせる。 それから立ち上がって、部屋の中に視線を巡らせた。
生活感はあるのに、どこか整いすぎている。
(ちゃんとしてるタイプ、か)
そういうやつほど、隙がある。 棚を開けて、中を軽く漁る。
「あったあった…」
目的のものは、意外とあっさり見つかった。
指でつまみ上げて、内容を確認する
「……イトマ ナツ、ね」
口の中で転がすように名前を読む。 聞いていたターゲットと一致。 ポケットからスマホを取り出して、証明書の写真を一枚。 シャッター音が、小さく響いた。 そのまま、通話をかける ワンコールで繋がった。
(相変わらず、出るの早すぎだろ)
内心で少しだけ引きながら、口を開く。
「もしもし?…あぁ、そう。」
窓の外に目をやる。 夕方の光が、部屋の中に細く差し込んでいた。
「ちゃんとターゲットだってこと、確認できた。」
少しだけ間を置く。
「……あ?」
向こうの言葉に、わずかに眉をひそめて。
「俺は男には興味ねえわ。」
短く切り捨てる。
通話を終えて、スマホをポケットに戻した。
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