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Side 誠
莉乃のぬくもりを感じながら、俺は自己嫌悪に苛まれていた。
元カレの話を聞いたとき、抑えきれなかった怒り。それは明らかに嫉妬だろうし、初めて抱いた感情だった。
「そんな過去の苦しい思い、俺が全部忘れさせてやる」
そう思ったら、つい口をついて出てしまった「キスしていい?」という言葉。
言うつもりなんてなかった。過去を打ち明けたばかりの莉乃に、こんなことを言うなんて最低だ――そう思った。
けれど、意外にも莉乃は俺の言葉を受け入れ、さらには彼女からキスをしてくれた。
そんなことをされたら、もう理性なんて保てなかった。
怖がらせたくない。大切にしたい。そう思っていたのに、触れた莉乃は華奢で、守りたくなる存在だった。
そして、鼻孔をくすぐる彼女の甘い香り。
どうしようもないほど、触れたいという衝動を抑えるのに必死だった。
あと少しでも進んでいたら、俺はきっと莉乃を怯えさせ、泣かせていただろう。
ここで踏みとどまれた自分を、今は少しだけ褒めたい。
でも――
この今の関係を思い出す。
莉乃は俺の彼女ではないし、俺のことが好きなわけでもない。
ただ、元カレ以来、初めて心を許せる男が俺だっただけなのだろう。
それに、以前の彼女の様子や話を思い返せば、俺のような男は莉乃が一番嫌悪するタイプのはずだ。
軽くて、軽薄で、適当な関係しか築いてこなかった。
そんな過去の自分が、今になって心底悔やまれる。
俺なんかが莉乃に触れていいわけがない。
こんな最低な自分が――。
それでも俺は、抱きしめた莉乃を離すことができなかった。
莉乃の体を抱きしめながら、さっきの話を思い出す。
あの男が、どれほど彼女に恐怖を与えていたか。
俺の想像以上に、深く傷ついていたことがわかった。
あまりに理不尽で、許せない気持ちが胸に込み上げる。
もっとその男の情報を知りたかったが、莉乃が今は話したくないだろうこともわかる。
そうなれば――
莉乃の親友である香織ちゃんから話を聞くしかない。
俺は弘樹に連絡を取って、橋渡しをしてもらおうと決めた。
そして――
また莉乃が作ってくれた夕食を食べ終え、俺は帰るかどうか思案する。
あまり眠れないと言っていた莉乃。
うぬぼれかもしれないが、さっきは俺の腕の中でぐっすり眠っていた。
もし、彼女の心配ごとが元カレに起因するものなら、俺がそばにいた方が安心できるかもしれない。
……もちろん、自分も一緒にいたいという気持ちを棚に上げているのは否定できないが。
キッチンで食器を洗う莉乃に、なるべく平静を装って声をかけた。
「莉乃、今日も泊まってもいい?」
彼女に不安がないのなら、俺がいることを迷惑に思うはずだ。
そう思いながら返事を待つと、莉乃はパッと表情を明るくし、どこか安堵したような笑みを見せた。
「でも……迷惑じゃない?」
俺の都合を気にする莉乃に、俺は小さく首を振った。
「酒もゆっくり飲みたいし。莉乃が迷惑じゃなければ」
あまり気にさせないように言うと、莉乃は冷蔵庫からビールを取り出してくれる。
「私は迷惑じゃないよ」
少し照れたようにそう言った莉乃が可愛くて、強く守ってあげたいという気持ちが溢れてくる。
その後、交互にシャワーを浴び、少し暖色系のルームライトに包まれた落ち着いた空間の中で、俺たちは映画を見ていた。
「久しぶりに見ると面白いな」
ほとんど仕事ばかりをしていた俺は、もう何年も映画を見た記憶がなかった。
そんな俺の言葉に、莉乃は驚いたように俺を見た。
「いつも休日は何してるの? 彼女とかと見ないの?」
何気なく聞いたのだろうが、莉乃に彼女がいると思われていることに、俺は心の中でため息をつく。
確かに、パーティーの同伴などで女性に連絡させたり、会社にいきなり来たこともあったし、そう思われても仕方ないとは思う。
「見ないよ。家にも行かないし、俺、人を家に入れないから」
彼女はいない。今は莉乃としか会っていない。
そう伝えたい気持ちはあるが、それを言えば彼女が身構えてしまう気がして、否定だけはしておきたくてそう口にする。
「彼女はダメで、私みたいに友達ならいいの? あっ、友達って思ってもいい? 部下だからダメかな」
莉乃の的外れな言葉に、やっぱりそうかと思った。
莉乃にとって、俺のポジションは所詮その程度なのだろう。
“莉乃だからこうしている”──そんな風に思ってもらえないことが、寂しくて、虚しくて、けれどどうしようもない。
恋愛要素のある映画を、なんとなく気まずく感じながら見終えると、俺たちはそれぞれの部屋の前で立ち止まった。
「おやすみ」
笑顔で莉乃に言われ、俺は少し悩みつつも、莉乃の方へと歩み寄る。
「眠れそう?」
そっと瞳を覗き込めば、莉乃の瞳が揺れるのがわかった。
「たぶん」
その曖昧な言い方に、俺は言葉を続ける。
「一緒に寝る?」
ドアノブに手をかけていた莉乃の手が止まり、身体の動きも止まるのがわかる。
「でも、何もできないのに……誠はいいことないでしょ?」
あくまで俺のことを考えた言い方に、俺は少し苦笑して莉乃の頭にポンと触れた。
「俺はかまわないよ。一緒に寝よう」
それだけを言うと、俺は莉乃の手を引き、部屋へと入った。
けれど、やはりソファではなくベッドとなると、お互いに少しだけ緊張している気がして、俺は明るく声を発した。
「さっきの映画、続編あるんだろ?」
そんな俺に、莉乃もうなずくと、クッションを一つベッドに置いてくれた。
そして、「どうぞ」と手で合図をする。
そんな莉乃が可愛くて、俺は笑いながらベッドへと寝ころんだ。
そんな俺に、少し距離を取るようにして、そっと莉乃もベッドへと入ってくる。
その距離が少しもどかしくて、そっと俺は莉乃を抱き寄せた。
「これは大丈夫だろ?」
なるべく優しい声音で尋ねれば、莉乃は「ん」とだけ小さく声を発し、俺の胸に頭を埋めた。
「今度、また続編、一緒に観たいな」
その莉乃の言葉に、少なくとも俺に心を許してくれていること、また一緒にいたいと言ってくれたことに安堵する。
「ゆっくり眠って。俺がついてる」
少しでも莉乃が安心できますように。
そんな思いを込めて額にキスを落とせば、莉乃は少し驚いた表情を浮かべたあと、「ありがとう」と微笑んだ。