ヴィドール領でのフェーデの生活は順調だった。
「今更よその領地の支配権を手放せというのか、そのようなことができるわけが」
「ちがいます。管理しきれていないから、管理は原則として各領地に任せようと言っているのです。その上で税だけ納めさせればいいでしょ?」
は? 何もせずに金だけ納めろと言って、通るわけが……!
「しますよ。各領地が何か問題を起こしたら、大きな顔をして叱責すればいい。領民に要求する税と何がちがうの? そんなに気になるなら税を減らせばいい。ガヌロンに管理されるより、ずっといいと喜んで飛び跳ねるわよ」
ガヌロンは閉口した。
だが、反論のしようもない。
各領地としても、経営下手なガヌロンにいちいち指図されて無駄金を浪費するより。何もしないでいてくれた方がいいと思っているだろうとはガヌロンも気づいている。
さらにそこに減税が加われば、総合的に得だ。やらない手はない。
「父さんはヒロイックになろうとしすぎなのよ」
ついこの間まで虐待していた娘に叱責される。
怒りを覚えなくもなかったが、ここでフェーデに拒絶されたら領地の回復は見込めない。
結局、ヴィドール領は自分で治めることになるのだ。
ここで失敗したら面目は丸つぶれだろう。
フェーデは書類の束を片付けながら、冷たく言い放った。
「全部自分の手でどうにかしようとしないで、もっとひとに頼りなさい。いいわね」
その冷たさはどこか心地がいい。
人が安らぐには適切な距離と関係性が必要で、必ずしもそこに愛はいらない。
ガヌロンを救ったのは愛ではなく、他者からの理解だった。
フェーデは自分がされたことを忘れていない。
傷つけられ、比較された日々に恨みもある。
一方でガヌロンは自分がやったことを後悔をしていない。
悪事を繰り返したガヌロンは今更贖罪に生きることなどできない。
そんなことをすれば、これまで行ったすべての罪がガヌロンを押しつぶしてしまうからだ。
だから、フェーデはガヌロンを許さず。
ガヌロンも自分自身を許さない。
罪を抱き続け、多くの人間に恨まれて死ぬ。
それがガヌロンが選んだ生き方だった。
「いつか背中を刺されても泣き言を言わないことね」
「ふん、その時は華麗に躱してやるとも」
こんな調子である。
たぶん、ろくな死に方はしないだろう。
だが、父とはこのようなひとなのだ。
フェーデがガヌロンに協力した理由は複数あるが、一番大きな理由は今一度、家族のことを知りたくなったからだ。
実を言えば、フェーデが不在城に残りアベルと共に生きるすべがないではなかった。
フェーデがアンナの名を奪い、アンナとして生きれば年齢の問題は回避できるし。アベルともすぐに結婚できるから、停戦条約も守ることができる。
ただ傲慢な父のように正しさを捨て、目先の利を取りさえすればいいのだ。
その結果、本物のアンナは記録上この世に存在しなくなるだろうし。ヴィドール家は領地経営に失敗し破綻。路頭に迷うことになるだろう。恨みをもつ領民達に殺されるかもしれない。
それは観客達がざまあみろと笑う、ハッピーエンドなのかもしれなかった。
だが、このフェーデはそれを選ばなかった。
自分を見捨て続けたアンナを犠牲にすることを選ばなかった。
ガヌロンがこれを知ったら、それは弱さで愚かさだと笑うだろう。
事実そうなのかもしれない。
ただ、そのルートの未来はもう見えた。
自分だけが幸せになることは、もうできるのだ。
今世ではタイミングを外したのでもう無理だけど、次の人生からは自分で選べる。
ならもう、そんなことはどうでもいいことだ。
死の先、その先の人生のことを考えるともう少し情報が欲しい。
フェーデの心の底には、あのカーテンコールが焼き付いている。
ありえない未来でも、起こりえないことであっても。
まるで一枚の肖像画のような家族の姿に憧れている。
そこにはどうかアベルにもいてもらいたい。
おそらく、このルートではもう無理なのだろう。
そもそもクリアできる問題なのかもわからない。
それでも、やれることはやっておきたかった。
フェーデは食堂に戻された夕食の食べ残しをいくつか皿に盛って、地下へと進む。
長く続いた虐待の過去が胸を蝕ばんだが、痛みを凍らせることで凌いだ。
かつて自分が閉じ込められたその場所に。
今は継母がいる。
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