「ああ!外れた!」
教室に下卑た笑い声が響き渡る。
「お前、コントロール悪すぎなんだよ!」
冗談ともとれる凄みを加えながら、マジともとれる声量で凌空が叫ぶと、クラスメイト達は一瞬おとなしくなった。
夕陽が差すオレンジ色の教室。
中央にひっくり返された机の脚には、男子生徒が縛り付けられている。
篠原翔葵(しのはらしょうき)は懇願するようにクラスメイトの顔を見つめながら、ヒューヒューと苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「狙うは100点」
凌空が言った瞬間、クラスメイトがもつ赤いマジックで頬に『100点』と書かれた篠ノ井はこちらを睨み上げた。
凌空はころころと転がった硬式ボールを拾い上げると、軽く宙に放ってパシッと取った。
「中学の頃、クソを投げるゴリラと呼ばれた俺に任せろ!」
凌空が言った途端、緊張のほぐれたクラスメイト達が沸いた。
「嘘つけ!」
「汚ねえー」
「やっちゃえ!市川―」
次々に野次が飛ぶ。
凌空はオーディエンスに応えてわざわざ左足を高く上げた。
その胡散臭いポーズに、クラスメイト達からヒイヒイと笑いが漏れる。
「…………」
篠原がこちらを見つめてくる。
凌空はニヤリと笑いかえすと、無駄に大きく振りかぶり、篠ノ井の顔めがけてボールを放った。
「やっぱり市川はすげーわ。3回投げて3回とも100点とはねー」
クラスメイトが笑いながら学生バックを肩にかけた。
「今からでも甲子園目指せばいいんじゃねえの?」
みんなそれぞれポケットからスマートフォンを出し、いじりながら歩き出す。
「……っておい。市川?」
凌空だけが項垂れて動かなくなった篠原をしゃがみこんで眺めていた。
「……行かねえの?」
皆がこちらを見下ろす。
凌空はゆっくりと彼らを振り返ると、口の端を上げた。
「俺、もうちょっとこいつと遊んでから行くわ」
クラスメイト達が一歩退いた。
「あー……そ?」
「じゃあ、俺たち行ってるわー」
「じゃあな、市川―」
皆そそくさと教室を出ていく。
「―――あれ、ヤバくね……?」
無人の廊下は自分たちが思っている以上に声が響く。
クラスメイト達の囁き声は、静まり返った教室まで十分届いた。
「しょうがねえだろ。ああいう目をしたら止められねえよ」
「ボコって殺すとかねえよな?そしたら俺たちもヤバくね?」
「しっ!とばっちり食ったらどうすんだよ!……行こうぜ」
足音は遠ざかっていった。
「……ふっ。懸命、懸命」
凌空は立ち上がると、篠原を机の脚に縛り付けている縄を解き始めた。
篠原は意識はあるものの、こちらを見上げることはなくただ力なく項垂れてされるがままになっている。
1年の時からクラスが同じだった篠原をこうしてクラスメイト数人で虐め始めたのは、2年に入ってからだ。
つまりまだ1ヶ月やそこら。
それでも凌空の記憶が正しければ、篠ノ井は3回眼鏡を壊しているし、2回学生鞄を買い直しているし、1回ブレザーの上着を新調している。
彼を苛め始めたきっかけは何だっただろうか。
確か本当にくだらないこと。
好きなAV女優が被ったとか、
自分のお気に入りのエロい英語教師に色目を使ったように見えたとか、
体育で自分より足が速くて女子に騒がれたとか、
思い出せないようなどうでもいいこと。
つまり、
「相手は誰でもよかった」ってやつだ。
生まれた環境が嫌いだった。
父の連れ子。
よくわからないけど真ん中の部屋から出てこない女。
ほとんど家に寄り付かない父親。
顔はいいのに、頭はバカな兄。
顔も頭も残念な姉。
そして―――
兄を溺愛し、姉を毛嫌いしている母。
17年間見てきて、母が兄を目の中に入れてもいたくないくらい、いやもしかしたらそれ以上に溺愛しているのは明らかだった。
そしてそれと同じくらい、まるで汚いものでも見るかのように、姉を毛嫌いしているのも明らかだった。
それは父親が違うせいだと気づいたのは、兄がこっそり、あの閉じ込められている女の正体と、うちの家族の関係を教えてくれたときにピンときた。
おそらく輝馬は、父の子ではない。
母は他で作った子供を利用して、父の経済力に縋ったんだ。
誰に確かめたわけでもない。確かめられるはずもない。
しかし輝馬は明らかに父には似ておらず、逆に紫音は父に似すぎていた。
じゃあ自分は?
自分は誰の子だ?
母は自分のことを兄ほど愛していない。
しかし姉ほど毛嫌いもしていない。
ーーどっちだ?
誰にも聞けない疑問は苛立ちを生み、その苛立ちは誰かを殴ることで解消するしかなかった。
凌空は縄をほどかれても動こうとしない篠原を見下ろしながら、ポケットから煙草とライターを取り出し、教室だというのにそれを1本咥えた。
酒、煙草に加えてスピードなんてやつも、高校に上がる前に全部覚えた。
しかし、自分のこのむせかえるような苛立ちを消化することはできなかった。
そんな日々の中でやっと見つけたのがコレだ。
両親が海外勤務であまり日本に戻ってこないため、家には毎日デイサービスに通っている認知症の祖母しかいない。
オモチャにするのには都合がよかった。
凌空は煙草を咥えたまま、カチャカチャとベルトを外した。
スラックスを下ろし、ボクサーパンツの中からまったく勃ち上がっていないソレを取り出すと、篠原の髪の毛を掴み上げた。
「………ッ」
篠ノ井がやっとこちらを見上げた。
「舐めて」
「………!!」
「舐めろよ」
篠ノ井の目が大きく見開かれる。
男の趣味はなかったが、この屈辱で歪む目を見てると少し硬くなるような気がした。
しかし―――。
「……死んでも嫌だ!」
篠原はこれ以上やったら噛みつかんばかりの気迫でこちらを睨み上げた。
(……へえ。あんなに派手にやられたのに、まだこんな目ができるんの)
凌空は目を見開いて上唇を嘗めた。
やはり男は頑丈でいい。
女よりずっと。