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るるくらげ
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#再会
冷凍のオムライスを電子レンジで温め、真っ赤なハート型の皿に盛り付けた。レンジの「チン」という音が鳴った瞬間、ふわっと卵の香りが広がって、一瞬だけ本物の手作りみたいに錯覚するけど、すぐに現実に戻る。緑のパセリをパラパラと散らして、ケチャップのボトルを振って、トレーにはスプーンとフォークを丁寧に並べる。
メイド服の袖口から漂うキャンディみたいな甘い香りが、自分の匂いなのか制服の匂いなのか、もうわからなくなってる。
スゥと息を吸って、営業スマイルを貼り付ける。鏡に映った自分の顔が、いつもより少し疲れて見えるけど、お客様の前ではそんなこと見せられない。厨房の扉を押して、ご主人様のテーブルへ。メイド服のリボンが歩くたびにふわふわ揺れて、まるで自分が人形みたいに感じる。
「ご主人様♡ お待たせしましたぁ、今から弥生のきゅんきゅんパワーを入れちゃいます♡」
声を出した瞬間、喉の奥が少し乾く。でも、笑顔は崩さない。崩したら、きっとあとで家で「お前、店で変な顔してんじゃねえよ」ってモラちゃんに言われるから。
「弥生ちゃん、今日も可愛いね」
ご主人様は優しい声でそう言ってくれる。目尻が下がって、穏やかな笑顔。こういう瞬間だけ、心が少し軽くなる。「可愛い」って言われるのが、嘘でも本気でも、一瞬だけ「弥生」として見てもらえてる気がして。
「じゃあ、ハートを書いちゃいますね! きゅんきゅん♡」
私はケチャップのボトルを手に取って、オムライスの上にハートを描き始める。ぐるぐるっと渦を巻いて、ピンクのハート型を完成させる。指先が少し震えて、線がちょっと歪むけど、お客様は「わぁ、かわいい!」って拍手してくれる。その拍手が、今日の私の給料の一部になるんだって思うと、歪んだハートも愛おしくなる。そして私はご主人様と一緒に「きゅんきゅん♡」と指でハート型を作って、胸の前で左右に揺らす。ご主人様も真似してくれて、二人でハートを揺らす。周りのテーブルからも「きゅんきゅん♡」の声が聞こえてきて、店内が一瞬、甘いピンクの泡に包まれるみたい。
でも、私の胸の奥では、別の感情が渦巻いてる。この「きゅんきゅん」は、魔法じゃない。ただの仕事。お客様を喜ばせて、チップをもらって、資金を貯めるための、淡々とした儀式。家に帰ったら、モラちゃんに「おい、今日のシフトどうだった」って聞かれて、「お客様にきゅんきゅんしたよ」って言ったら、きっと「ふざけんな」って睨まれるんだろうな。ハートを揺らす手が、少しだけ重い。でも、笑顔は崩さない。崩したら、夢が遠のく。あと少し。このハート型の皿に、本物の温かさを乗せられる日まで、あと少しだけ、この「きゅんきゅん♡」を続けよう。
ご主人様がスプーンを手に取って、「いただきまーす♡」って言ってくれる。私は「ごゆっくりどうぞ♡」って頭を下げて、トレーを抱えて厨房に戻る。
背中で感じるモラちゃんの視線が、優しいものか、監視みたいなものか、もう区別がつかなくなってる。でも、今日も1つ、ハートを描けた。それが、私の小さな積み重ね。
その時、ピンク色のドアがカランと軽やかに鳴って、メイド喫茶とはまるで無縁なスーツ姿の男性が入ってきた。
見るからに上質な生地で仕立てられたダークネイビーのスーツ。ネクタイは深いワインレッドで、控えめな光沢がブランド品特有の主張を放ってる。髪は長髪を後ろに掻き上げてまとめ、ハラリと一筋の前髪が額にかかって、その影が目元を少し隠してる。整った顔立ちなのに、どこか近寄りがたい空気をまとってる。
店内のふんわりとした甘い空気が、一瞬でピリッと張り詰めた。赤いハートやピンクのくまがぶら下がってる天井が違和感を醸し出している。同僚たちのキャピキャピした声が、少し遠くに聞こえるようになった。ビジネス街の一角に、突然エレベーターが開いたみたいな瞬間だった。
私はトレーを抱えたまま、思わず足を止めた。営業スマイルを貼り付けた顔が、微かに引きつる。この人、絶対に「ご主人様」って呼ぶタイプじゃない。呼んだら、冷ややかな視線で一瞥されて終わりそう。
でも、仕事だ。
メイド喫茶のルールは、どんなお客様でも「おかえりなさいませ♡」から始まる。
彼は店内を見回して、一番奥の、いつもモラちゃんが座る暗いテーブルじゃなく、窓際の明るい席を選んだ。モラちゃんは怪訝そうな顔でその男性を見ていた。窓から差し込む午後の光が、スーツの肩に当たって、シルクみたいに輝く。座る前にコートを脱いで、椅子の背に丁寧にかける仕草が、なんだかプロフェッショナルで。メニューを手に取る手つきも、迷いがない。
「君、君にお願いしたい」
おもむろに指をさされた。
「……私、ですか?」
私は深呼吸して、近づく。リボンが揺れて、キャンディの香りが自分でも少し甘すぎる気がする。
「お帰りなさいませ、ご主人様♡ 弥生がお給仕いたしますね♪」
声を出した瞬間、彼の視線が私に上がった。一瞬、時間が止まる。目が合う。冷たくも熱くもない、ただ静かに観察するような目。「ご主人様」って言葉が、急に場違いに響いて、自分で言ってて恥ずかしくなる。
「……コーヒー、ブラックで。砂糖もミルクもなし」
低い、落ち着いた声。予想通り、甘い呼びかけには一切乗ってこない。でも、怒ってるわけでもない。ただ、淡々と注文を告げるだけ。
「かしこまりました、ご主人様♡ 少々お待ちくださいませね♪」
私は頭を下げて厨房へ戻る。背中で感じる視線が、モラちゃんのねっとりしたものとは全然違う。重たくて、でもどこか澄んでて。心臓が、少しだけ速く鳴ってる。
インスタントコーヒーを、くまちゃんカップじゃなく、一番シンプルな白いカップに注ぐ。この人には、くまの顔なんて似合わない気がしたから。トレーに乗せて運ぶ間、頭の中で変な想像が浮かぶ。
この人は、何しに来たんだろう。
迷い込んで?
それとも、誰かを探しに?
まさか、私のことを……なんて、馬鹿げてる。
テーブルにカップを置くと、彼は小さく「ありがとう」とだけ言った。「ありがとう」って、普通に。「ご主人様♡」とか「きゅんきゅん♡」とか、一切求めない声。
その一言が、今日の疲れた胸に、ほんの少しだけ染みた。甘くない、ただの黒いコーヒーみたいに。私はまた厨房に戻って、背中を向ける。でも、視界の端で、彼がカップに口をつける姿がちらっと見えて、なぜか、胸の奥がざわつく。
この人、きっと二度と来ないだろう。でも、もしまた来たら……。いや、そんなこと考えてる自分が、情けなくて。私はトレーを握りしめて、次のご主人様のオムライスを温め始める。
でも、心のどこかで、このスーツの男性が、ピンクのドアをもう一度開ける日を、少しだけ待ってる自分がいることに気づいてしまった。