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「全額でございますね?」
香帆が「三千万円を下ろす」と伝えると、銀行員は2回確認した。
実家の〈建替え〉に使うと話すと、納得したようだ。
大手銀行では、この程度の現金は普通に動くのだろう。
銀行員はテキパキと作業を進めてくれた。
三千万円は『銀行の紙袋』に入れて渡された。
香帆は、現金三千万円をトートバッグに入れて外に出た。
一万円札の重さは〈約1g〉だから、三千万円は〈約3㎏〉だ。
厚さは〈約0.1mm〉だから、三千万円で〈約30㎝〉だ。
宅配便の受付をしている香帆には、小さな荷物といえる。
(でも、怖い)
大金を持って道を歩くと、想像以上に緊張する。
街中の人が、トートバッグを狙っているように見える。
早歩きも、ゆっくり歩きも不自然だ。
香帆は「自然に自然に」と注意しながら、指定されたファミリー・レストランに着いた。
「久しぶりですね」
「え……」
桜志郎は(まるで別人)に見えた。
顔は整って綺麗なままだが、目が冷たい。
『爽やかで優しい塾経営者』の面影は、まったく無かった。
現金の受け渡しは、あっけなく終わった。
三千万円が入った紙袋を、レストランのテーブルに置いただけだ。
桜志郎は紙袋の中をチラリと見て、自分の鞄に入れた。
現金を出して数えたりしない。大きさと重さでだいたい判る。
「じゃあ、何か食べていって下さい」
テーブルに千円札を1枚置いて、桜志郎は席を立った。
「あ、あの……」
「大丈夫。この件は終わりました。誰にも何も言いません」
ニヤリと笑った桜志郎は、今まで見たことのない下衆な表情だった。
(これが、この人の本性なんだ)
やっと気付いたが、遅すぎた。
香帆はファミリー・レストランで何も食べなかった。
スタッフに謝って、レジ前の『募金箱』に桜志郎の千円札を入れた。
そして家に帰って・・・・・・、泣いた。
夫を殺す計画を立てたけど、直前で止めた。
でも、間違って殺してしまった。
口止め料として、保険金を全額取られた。
あのお金は、颯真の[愛情の証]だったのに……。
殺そうとした軽率さ、殺してしまった愚かさ。
暗闇のまま数日が過ぎた。
〈忌引き〉と〈有給〉で20日間の休暇を申請したが、残すは3日だ。
4日後は出勤なのに、心の整理ができない。
こんな状態で働けるのか?
後悔して、後悔して、泣き続けた香帆だが、フト気付いた。
(そうよ、元はといえば……、颯真が浮気したからじゃない!!)
颯真が浮気をしたから、地獄の苦しみが始まった。
『保険金殺人』なんて誘惑に乗ってしまった。
(私も悪かったけど、悪かったけど、)
香帆は思いっきり叫んだ。
「颯真が悪いんだからねっっっ!!」
「なんで俺が悪いんや!」
「えっ!!!」
颯真がリビングのソファに座っている。
カフェで倒れたときと同じ服を着ていた。