テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第二十五話 別れの頁、残る願い
朝食の匂いが、また衛宮邸に満ちていた。
味噌汁。
焼き魚。
炊きたての米。
そして、少しだけ形の良くなった卵焼き。
イリヤは皿の上の卵焼きを見て、真剣な顔で頷いた。
「今日は、かなりいい」
士郎も横から覗き込む。
「昨日より巻けてるな」
「でしょ?」
「ただ、ちょっと甘い」
「甘い方がいいって英雄王が言った」
居間の向こうで、ギルガメッシュが当然のように言った。
「我は正しい」
凛が呆れた顔をする。
「朝から主張が強い」
エルキドゥは楽しそうに笑っている。
ユイは卵焼きを小さく切って口に運び、少しだけ目を丸くした。
「昨日と違う」
イリヤが胸を張る。
「成長したからね」
ミライが即座に記録する。
「料理技能、前日比向上。甘味過多傾向あり」
「そこは記録しなくていい」
「追記可能」
「いや、追記しなくていい」
桜がくすっと笑う。
凛も、少しだけ肩の力を抜いていた。
鷺宮玄礼の願録聖堂は、ひとまず凛とメディア、そしてバゼットの監視下に置かれることになった。
願いを閉じ込める墓標ではなく、続きを書ける余白の書庫へ変えられたとはいえ、危険が消えたわけではない。
それでも、少なくとも今朝は穏やかだった。
神杯の黒い空はない。
願いの炉もない。
願いを冷たく閉じ込める聖堂も、もう暴走していない。
だから、誰もが少しだけ息をついていた。
だが。
最初に異変に気づいたのは、アルトリアだった。
彼女の指先が、朝の光の中で淡く透けた。
ほんの一瞬。
だが、士郎は見逃さなかった。
「セイバー」
アルトリアは自分の手を見て、静かに微笑んだ。
「始まりましたね」
居間の空気が止まった。
凛がすぐに宝石板を取り出す。
「霊基反応……やっぱり。サーヴァントたちの現界維持が薄くなってる」
イリヤが顔を上げる。
「消えちゃうの?」
メディアが表情を引き締める。
「すぐではないわ。でも、神杯の炉が止まり、願録聖堂も固定をやめたことで、無理に現界させていた力が抜け始めている」
アーチャーは壁にもたれたまま、淡々と言った。
「当然だ。戦争は終わった。役目を終えた霊基が帰るのは自然な流れだ」
凛がアーチャーを見る。
「そんな簡単に言わないでよ」
「簡単には言っていない」
アーチャーの声は静かだった。
「だが、避けられないことだ」
アルトリアも頷いた。
「神杯が残っていたから留まっていた者も多い。今は、それぞれの縁や契約が一時的に支えているだけです」
ランスロットは王の横で静かに頭を下げている。
ジャンヌは目を伏せ、祈るように旗へ触れた。
クー・フーリンは軽く肩をすくめる。
「ま、いつかはそうなるわな」
そう言いながらも、その声はいつもより少し低い。
ギルガメッシュは不快そうに眉をひそめた。
「帰還の理か。つまらん」
エルキドゥは自分の手を見た。
彼の指先も、わずかに光の粒になって揺れている。
「でも、終わった後に帰るのは、悪いことだけじゃないよ」
ギルガメッシュは答えなかった。
士郎は拳を握った。
分かっていた。
いつか来る。
そんなことは、ずっと分かっていた。
でも、分かっていることと、受け入れられることは違う。
イリヤは唇を噛み、ユイとミライは不安そうに周囲を見ていた。
ユイが小さく言う。
「残ってほしいって願ったら、だめ?」
その言葉に、誰もすぐには答えられなかった。
残ってほしい。
それは自然な願いだ。
大切な人に、まだここにいてほしい。
もう少し話したい。
次の朝も一緒にご飯を食べたい。
別れたくない。
その願いを、誰が責められるだろう。
けれど、その願いを叶えるために相手を縛れば、神杯や願録と同じになってしまう。
凛が宝石板を見て、顔色を変えた。
「まずい」
士郎が振り返る。
「何だ」
「願録聖堂が反応してる。今の“残ってほしい”って願いに反応した」
メディアも術式を展開し、表情を険しくする。
「願録の余白が、自動的に“別れたくない願い”を記録しようとしている。しかも、サーヴァントたちの霊基に接続しかけているわ」
士郎の胸が冷たくなる。
「それって」
ミライが解析し、早口で言った。
「危険。願録聖堂の改変後機能が誤作動。別れたくない願望を“追記”として受け取り、英霊霊基に残留頁を生成しようとしています」
凛が歯を食いしばる。
「簡単に言うと?」
ミライは少し間を置いて答えた。
「皆の“残ってほしい”を使って、英霊たちをページとして残そうとしている」
居間が凍りついた。
燃やす炉ではない。
閉じ込める墓標でもない。
けれど、それは別の形の危険だった。
大切だから残したい。
その願いが、相手を記録へ変えてしまう。
アーチャーが目を細める。
「なるほど。今度は別れを拒む願いが暴走したか」
アルトリアは立ち上がった。
「止めましょう」
士郎も立つ。
「ああ」
イリヤが小さく言った。
「私も行く」
士郎は頷いた。
もう、止める理由はない。
別れたくない願いは、イリヤの中にもある。
士郎の中にもある。
凛の中にも、桜の中にも、きっと全員の中にある。
だから、全員で向き合わなければならない。
◆
願録聖堂は、昨日とは違う姿になっていた。
白い紙片が宙に漂う書庫。
そこまでは同じだった。
だが、今はその紙片の一部が淡い金色に光っている。
ページには文字が浮かんでいた。
まだ帰らないでほしい。
もう少し一緒にいたい。
別れたくない。
次の朝も名前を呼びたい。
それらは悪意ではない。
あまりにも人間らしい願いだった。
ユイはそのページを見て、胸を押さえた。
「温かい。でも、苦しい」
イリヤが頷く。
「うん」
ミライが解析する。
「残留頁、増殖中。対象、アルトリア、エミヤ、ジャンヌ、ランスロット、クー・フーリン、エルキドゥ、その他英霊霊基」
凛が宝石板を見る。
「このまま放置すると、サーヴァントたちが座へ戻る前に、願録の中に写し取られる。完全なコピーじゃないけど、本人の一部がページに固定されるわ」
メディアが低く言う。
「それは死より質が悪い場合もあるわね。帰ることも、変わることもできず、誰かの“残ってほしい”の中で止まる」
アーチャーは皮肉げに笑った。
「願いは厄介だな。温かいものほど、時に残酷になる」
士郎は何も言えなかった。
残ってほしい。
それは士郎自身も思っている。
アルトリアに。
アーチャーに。
ジャンヌに。
皆に。
まだ帰ってほしくない。
そう思ってしまう。
その願いが、彼らを縛るかもしれない。
白い紙片の奥に、鷺宮玄礼が立っていた。
彼は拘束の術式を受けたまま、この聖堂の管理補助をしている状態だった。
だが、今は明らかに困惑している。
「これは、私が意図したものではありません」
凛が鋭く言う。
「意図してなくても、あんたの術式でしょうが」
「否定はしません」
玄礼は紙片を見る。
「余白を持たせたことで、願いが変化できるようになった。しかし同時に、変わりたくない願いもまた書き込まれるようになった」
士郎は玄礼を見る。
「止める方法は?」
玄礼は沈黙した。
「一つは、残留頁を破棄すること」
ジャンヌが悲しげに紙片を見る。
「それは、別れたくない願いを切り捨てるということですね」
「はい」
イリヤが首を横に振る。
「それは嫌」
ユイも頷いた。
「消したくない」
玄礼は続ける。
「もう一つは、対象となる英霊自身が、その願いに返答を書くことです」
士郎が顔を上げる。
「返答?」
「はい。残ってほしいという願いに対し、帰る者自身が答える。残るのではなく、応える。それが成立すれば、ページは固定ではなく手紙へ変わる」
ミライが解析する。
「可能性あり。残留頁を送別頁へ変換すれば、霊基固定は解除可能」
凛が息を呑む。
「手紙……」
メディアが少しだけ目を細める。
「なるほど。別れたくない願いを消すのではなく、返事を与えるわけね」
アルトリアが静かに一歩前へ出た。
「ならば、私から」
士郎が思わず呼ぶ。
「セイバー」
アルトリアは振り返る。
「シロウ。大丈夫です」
その声は穏やかだった。
彼女の前に、一枚のページが浮かぶ。
そこには、士郎の願いが書かれていた。
アルトリアに、まだ帰ってほしくない。
士郎の胸が詰まる。
自分の願いだ。
隠しようもない。
アルトリアはその文字を見て、少しだけ目を細めた。
「ありがとうございます」
士郎は言葉が出ない。
アルトリアはページへ手を伸ばす。
文字が追記されていく。
私も、まだ話したいことがあります。
共に食卓を囲み、剣を取り、朝を迎えた時間を、嬉しく思います。
ですが、私はあなたの願いの中に留まるためにここにいるのではありません。
帰る日が来ても、この時間は消えません。
どうか、私を縛らず、私が選んだ剣を覚えていてください。
ページの光が変わった。
残留頁ではなく、送別頁へ。
士郎は唇を噛んだ。
「セイバー」
アルトリアは微笑む。
「まだ今すぐ帰るわけではありません。ですが、いつかのために、今答えておきたかった」
士郎は頷くしかなかった。
「……ああ」
◆
次に進んだのはアーチャーだった。
彼の前にページが浮かぶ。
凛の願い。
アーチャーに、また置いていかれたくない。
凛の顔が赤くなり、同時に泣きそうになる。
「ちょっと、勝手に……」
アーチャーはページを見て、静かに息を吐いた。
「まったく、厄介なマスターだ」
「うるさいわね」
アーチャーはページへ手を触れる。
文字が追記される。
遠坂凛。私はあなたに召喚されたサーヴァントだ。
契約がある限り、役目を果たす。
だが、私はあなたの後悔を増やすために去るのではない。
別れが来るとしても、それは敗北ではない。
あなたなら、私がいなくても前へ進める。
それでも必要な時は、記憶の中で叱ってやる。
凛は涙をこらえながら言った。
「最後の一文、余計」
「必要だ」
「ほんと、腹立つ」
アーチャーは少しだけ笑った。
「それでいい」
ページが送別頁へ変わる。
凛は俯いたまま、小さく言った。
「……ありがとう」
アーチャーは何も答えなかった。
けれど、その沈黙は冷たくなかった。
◆
ジャンヌの前には、祈りのページが浮かんだ。
ジャンヌに、祈り続けてほしい。
それは誰か一人の願いではなかった。
この戦いで彼女に救われた者たちの願いが混ざっていた。
ジャンヌは優しく微笑んだ。
そして、ページへ返答を書く。
祈りは、私一人のものではありません。
あなたが誰かを思う時、その祈りはすでに始まっています。
私は帰る日が来ても、あなたたちが祈れることを信じています。
ページが白く輝く。
ランスロットの前には、重いページが浮かんだ。
まだ王のそばにいてほしい。
それは彼自身の願いでもあった。
アルトリアのものではない。
だが、彼の中から生まれた残留願望がページになっていた。
ランスロットは苦しげに目を閉じる。
「私は……」
アルトリアが静かに言う。
「ランスロット卿」
彼は顔を上げる。
アルトリアは続けた。
「貴方の願いも、貴方のものです。恥じる必要はありません」
ランスロットは震える手でページに触れた。
私は王のそばにいたい。
しかし、そばにいることだけが忠義ではない。
王の赦しに縛られず、罪に沈まず、騎士として帰る。
再び剣を捧げられたこの時間を、私は忘れない。
ページが光る。
アルトリアは静かに頷いた。
「良い答えです」
ランスロットは深く頭を下げた。
◆
クー・フーリンのページは、妙に短かった。
まだ戦っていたい。
クー・フーリンはそれを見て笑った。
「分かりやすいな、俺」
バゼットが横で言う。
「あなたらしい」
クー・フーリンはページへ槍の穂先で軽く触れた。
戦いは終わるから面白い。
次に呼ばれた時、また槍を振るえばいい。
今は、いい戦だったと言って帰るだけだ。
ページが変わる。
バゼットは小さく息を吐いた。
「あなたはいつも簡単そうに言う」
「難しく言っても槍は速くならねぇからな」
バゼットの前にもページが浮かぶ。
決着を見届けたい。
彼女は少しだけ目を伏せ、追記した。
決着は一度で終わるものではない。
私はこれからも、自分の戦いを選ぶ。
誰かに奪われた結末ではなく、自分で歩く続きを。
そのページも、穏やかな光へ変わった。
◆
ギルガメッシュとエルキドゥの前には、二人分のページが現れた。
そこには、誰のものとも言い切れない願いがあった。
この二人の時間が、もう少し続いてほしい。
ギルガメッシュはしばらく黙っていた。
エルキドゥも、そのページを静かに見つめている。
士郎は何も言わなかった。
この願いに、外から言葉を挟んではいけない気がした。
やがて、エルキドゥが手を伸ばした。
僕も、もう少し話したい。
でも、失った時間を無限に延ばすことは、今の時間を薄めることになる。
だから、今話せることを話す。
それで十分ではないけれど、それでも十分だと思いたい。
ギルガメッシュはページを見つめた。
それから、不機嫌そうに手を伸ばす。
我と友の時間を、貴様らの頁に収めるな。
だが、この一時を無価値とは言わぬ。
記録するならば、王が許した範囲でのみ記せ。
続きは、我と友だけが知る。
凛が小声で言う。
「やっぱり自己主張が強い」
エルキドゥは笑った。
ギルガメッシュは不機嫌そうにしながらも、どこか静かな顔をしていた。
ページは、眩しすぎない金色の光へ変わった。
◆
リチャード、イスカンダル、メドゥーサ、メディア。
それぞれの前にも、ページが浮かんだ。
リチャードは笑いながら書いた。
物語は終わっても語られる。ならば、別れもまた一章である。
イスカンダルは豪快に笑い、こう記した。
宴は終わる。だからこそ、次の宴を夢見る。
メディアは面倒そうにしながらも、静かに書いた。
私は誰かの道具ではない。帰るも残るも、私が決める。
メドゥーサのページには、桜の願いがあった。
ライダーさんに、そばにいてほしい。
桜はそれを見て、少しだけ顔を赤くした。
「すみません」
メドゥーサは穏やかに首を横に振る。
「謝ることではありません」
彼女はページへ手を触れた。
サクラ。私も貴女のそばにいたい。
ですが、私がいない時も、貴女の影は貴女を守ります。
私はそれを信じています。
今しばらくは、傍に。いつか離れる時も、貴女が歩けるように。
桜の目が潤む。
「はい」
ページが月光のように柔らかく光った。
◆
最後に、ユイとミライの前にもページが現れた。
ユイのページ。
ユイに、消えてほしくない。
それはイリヤの願いだった。
ユイはその文字を見て、戸惑う。
「私は、消える?」
イリヤが慌てて首を振る。
「消えてほしくないって思っただけ」
ユイはページを見つめる。
しばらくして、ゆっくり手を伸ばした。
私も、まだ消えたくない。
でも、誰かの願いに縛られて残るのは違う。
私はユイとして、明日も温かいものを知りたい。
イリヤは泣きそうに笑った。
「うん」
ミライのページ。
ミライの未来を見たい。
ミライは首を傾げる。
「未来は未定。観測不能」
イリヤが言う。
「だから見たいんだよ」
ミライは少し考えた。
そして、追記した。
私は未定でありたい。
しかし、未定であることは孤立ではない。
誰かと続きを書く未来を許容する。
ユイが小さく言った。
「一緒に書く?」
ミライは頷いた。
「一緒に書く」
二人のページも、送別ではなく、継続の頁として穏やかに光った。
◆
残留頁は、すべて姿を変えた。
消えたわけではない。
別れたくない願いは、確かに残っている。
だが、それは相手を縛る鎖ではなくなった。
返事を受け取った手紙になった。
送別の頁。
継続の頁。
祈りの頁。
願録聖堂は静かに光を落とした。
玄礼はその光景を見て、深く息を吐いた。
「別れたくない願いも、記録すべきではないと思っていました」
士郎は彼を見る。
「今は?」
玄礼は浮かぶページを見上げる。
「記録してもよい。ただし、返事を奪ってはいけない」
士郎は頷いた。
「そうだな」
玄礼は静かに目を閉じた。
「また一つ、余白に追記が必要ですね」
凛は腕を組む。
「その追記、ちゃんと監視下でやってもらうから」
「承知しています」
クー・フーリンが笑う。
「記録者も大変だな」
バゼットが冷静に言った。
「自業自得です」
「辛辣だな」
「事実です」
少しだけ笑いが起こった。
それは、別れの気配がある場所にしては不思議なほど温かかった。
◆
願録聖堂を出ると、夕方だった。
空は淡い橙色に染まっている。
サーヴァントたちの身体は、まだ消えてはいない。
だが、誰もが知っていた。
帰る日は近づいている。
それでも、今すぐではない。
だから、今を過ごせる。
士郎はアルトリアの隣を歩いた。
「セイバー」
「はい」
「さっきの返事、ありがとう」
アルトリアは微笑む。
「こちらこそ。願ってくれて、嬉しかった」
士郎は少し驚いた。
「縛る願いだったかもしれないのに」
「それでも、そこにあった気持ちは本物です」
アルトリアは夕焼けを見る。
「大切なのは、その願いをどう扱うか。あなたたちは、それを学んだのでしょう」
士郎は頷いた。
「ああ」
凛とアーチャーは少し後ろを歩いている。
凛はまだ何か言いたそうだった。
アーチャーはそれに気づきながら、何も急かさない。
桜とメドゥーサは並んで歩いている。
イリヤはユイとミライの手を握っている。
ギルガメッシュとエルキドゥは、少し離れて空を見上げていた。
皆、それぞれの別れを少しずつ受け取り始めていた。
悲しくないわけではない。
寂しくないわけでもない。
けれど、それを理由に相手を閉じ込めない。
別れたくない願いも、ちゃんと願いとして認めたうえで、相手の返事を受け取る。
それが、今日の答えだった。
◆
衛宮邸へ戻ると、イリヤは真っ先に台所へ向かった。
士郎が驚く。
「また卵焼きか?」
「今日は違う」
「何作るんだ?」
イリヤは少し考えて言った。
「手紙みたいなご飯」
士郎は首を傾げる。
「何だそれ」
イリヤは笑った。
「食べたら、ありがとうって伝わるやつ」
ユイが真剣に頷く。
「温かい返事」
ミライも記録する。
「料理、感謝伝達媒体」
凛が呆れながらも笑った。
「また変な定義が増えたわね」
桜は優しく言った。
「でも、いいと思います」
士郎は少しだけ考えて、エプロンを手に取った。
「じゃあ、今日はみんなで作るか」
イリヤの顔が明るくなる。
「うん!」
アルトリアも静かに立ち上がる。
「私も手伝います」
ランスロットが驚く。
「王よ、料理を?」
アルトリアは少し真面目な顔で言った。
「学ぶことに遅すぎるということはありません」
士郎は苦笑した。
「じゃあ、まず野菜切るところからな」
ギルガメッシュが居間から言う。
「甘い卵焼きも用意せよ」
凛が叫ぶ。
「注文しない!」
エルキドゥは笑っていた。
その夜、衛宮邸の台所はいつも以上に混雑した。
失敗もした。
野菜の形は不揃いだった。
卵焼きはまた少し焦げた。
それでも、食卓には温かい料理が並んだ。
別れたくない願い。
ありがとうという返事。
まだ今はここにいるという時間。
それら全部が、湯気の中に混ざっていた。
◆
深夜。
願録聖堂の奥で、送別頁が静かに光っていた。
ページは閉じられていない。
いつか別れの日が来た時、また追記されるだろう。
涙の跡が残るかもしれない。
笑顔の言葉が書かれるかもしれない。
何も書けない日もあるかもしれない。
それでも、余白はある。
別れは願いを終わらせるものではない。
別れた後も、残るものがある。
記録されるもの。
記憶されるもの。
忘れられても、どこかで眠るもの。
神杯戦争、第二十五夜。
サーヴァントたちの帰還が近づき、残ってほしいという願いが願録聖堂を揺らした。
だが、その願いは鎖ではなく、返事を受け取る手紙へ変わった。
大切な人に残ってほしい。
その願いは悪ではない。
けれど、大切だからこそ、相手の帰る道も認めなければならない。
士郎たちは、また一つ願いの扱い方を学んだ。
そして朝は、少しずつ別れへ近づいていく。
第二十六話へ続く。
コメント
1件
いやー、もうこの話は涙腺崩壊するところだったわ…。「残ってほしい」って願いが、相手を縛る鎖になっちゃうかもしれないっていう展開がすごく切なかった。でも各サーヴァントが自分の言葉で返事を書いて、それが手紙みたいな送別頁になるっていうアイデアがめっちゃ良かった。特にアルトリアと士郎のやり取りは心に沁みたし、アーチャーが凛に「記憶の中で叱ってやる」って書いたところ、最高に彼らしいと思った。 それにイリヤが「手紙みたいなご飯」って言ってみんなで料理するシーン、ああいう何気ない日常こそが宝物なんだよな…。聖杯さん、この温かさと切なさのバランス、本当にうますぎる🔥
1,281
560
7