もう少しでクリスマス。
SNSのトレンドは、クリスマスに予定がない人。
いわゆるクリぼっち同士、クリスマスに予定がある人への妬みを込めた投稿だ。
「今年も1人だなぁ」
とため息を吐きつつ、当たり前のようにクリス
マスに妬みをぶつけて苦笑いするクリスマス周辺の過ごし方を、少しずつ愛し始めていた。
ハマっているアーティストの曲を歌いに、駅近のカラオケへ向かう。1人だから自分の歌いたい曲だけをずっと歌える。恥ずかしがらずに歌を楽しめる。隣の部屋から楽しそうにデュエットをする歌声が聞こえてくるけれど、僕が歌うのはあくまでも静かなポップスだ。歌のリズムの横揺れに励まされたり、歌詞にしみじみしたり、背中を突き落とされたりしながら声を枯らす。
欲張りな僕は一曲でも多く歌えるように、水を取りにギシギシと鳴るドアを開ける。おしゃれか微妙なフルーツティーや、過剰に種類の揃ったホワイトソーダーなど、ファミレスとお揃いのドリンクコーナーだなと思った。そんな中端に追いやられた氷水を注ぎ、歌いに戻ろうとした時、ある男が僕に突っ込んだ。
水がこっちにまで飛んできて冷たい。
「あ…!ごめんね!?大丈夫!?」
大丈夫じゃないですと冷淡に答える僕に、怯えもせず、「お詫びします」と強気に発した。
僕はただ歌いたかったから、自分のカラオケルームに早く戻りたかった。それだけでいいから、「大丈夫です」
と答えると、
「あ、じゃあカラオケ代奢るよ!」と言った。言ってから不安になる様子も無い男に、僕は興味が湧いた。
こんなに日本人の血が入っていない男がいるのか。と。
だから「じゃあ、お言葉に甘えて」と言ったんだ。
僕のカラオケルームに戻るまで、その男とは話をした。まず、その男は壮と言って、大学生らしい。彼もカラオケで歌うのが好きで、よくここのカラオケにも来るそうだ。好きなアーティストの話をすると、僕も知っているアーティストの名前が出てきた。明るい音楽で、こだわられている音楽だけど、音楽が気にならないくらい、歌詞が深い。まるでその好きなアーティストに似たような人間だと思った。
強気で、常人離れしたことを普通に発したりするのに、そんなのが気にならないくらい言葉に重みがある。会話に愛と炎が灯って、繊細で苦しそうな表情のクセが抜けていない顔。彼がどんな性格をしているのか分かりにくいけれど、深い。類は友を呼ぶという言葉は、彼の為にあるのだろうか。というほどだった。
ちなみに、そんな彼に僕の好きなアーティストを話すと、共感してくれた。そして、またもやちなみに、好きなアーティストの話や、カラオケで歌うのが好きという話をしただけで、彼は僕のカラオケルームについて来た。そして今隣にいるのだ。
あまり言いたくはないが、正直この男の隣で歌うのが恥ずかしい。歌わない結果になるように頑張って誤魔化すけれど、彼の強気には勝てない。だから切り替えて僕は歌の予約を入れた。急に静まり返る彼の隣で、当たり前に止まらずにイントロが始まる。あー最悪だ。と思いながら口を開けた。僕の中で一番得意で一番好きな十八番を歌っていた。ラスサビの前の大サビになって、「大丈夫だよ」と歌う。それを聞いた彼はさっきまで笑顔に泣き顔のクセが見えたくらいだったのに、分かりやすく泣き顔のような顔をした。僕の歌声と、僕の好きなこの歌で彼の強気な心を、あまりにも簡単に解いてしまったみたいだ。
恥ずかしいから、採点の場面はスキップした。喉が震えて声が出ない。出さなくちゃと焦り気味の彼を理解して、僕は口を開いた。
「もう一曲歌っていい?」うんうんと声が出そうなほど嬉しげに首を縦に振る彼は、最初よりも少し可愛く見えた。そして、日本人らしく見えた。
2曲目はあえてよく知らない曲を歌った。この曲わかんないんだよ、高いんだよ、難しいんだよ、ここぞとばかりに言い訳をこぼす僕を、情けないなという顔で見つめる彼を見た。それを見て僕は安心した。
「よーし俺も歌うぞ!!」と張り切った彼は、彼自身の十八番を気持ちよさそうに歌い切った。その歌詞にある、「もう少しで僕は僕を一つは愛せたのに」という言葉に詰まった魂に、僕は心を動かされた。
もう少しで僕は僕を一つは愛せるのに。本当にその通りなんだ。自分を好きになるために一つ一つ努力して、その途中で努力に裏切られたり報われなかったり何かを言われたりするけど、いつしか壁の目の前まで進んでいる。やっとここまで来たという時に、また大きな壁がやってくる。そうしてまた自分の事を愛せなくなってしまう。僕はそうだ。常日頃思っている。多分彼もそう思っているんだろう。気づいてはいないけど、そう思っているから無意識にそこの部分の歌詞に魂が入ってしまう。
そんな彼の力強い心のこもった歌声が好きだ。すごく好きだ。
「うまいね」たった一言で感じ取った大きな感情を伝えた。伝わるなんて一ミリも思っていない。だけど彼は違った。すごいねというたった一言で、ちゃんと僕が彼の歌を素晴らしいと思っていることを理解していた。
「分かってくれて嬉しいよ」とその男は言ったけど、僕が分かっている事をわかってくれたのは貴方なんだけどな、と思っていた。
人の才能というのもそうだ。その分野を磨いた者じゃないと、その分野で頂点に立つ者の良さが分からない。だから実際に歌をよく歌い、愛している僕だからあの男の歌のやばさ、すごさに気づいた。そして、人の気持ちを知ろうとするから彼は僕のすごさに気づいた。人の気持ちを知ろうと生きて来た僕には、その彼のすごさも朝飯前に分かるんだ。
だから、僕が他の誰かの良いところに気づいた時には、僕はその良いところが欲しくて頑張っている証拠だと思っている。こんな風にして、僕は自分の価値を測ろうとしている。
測ったところで、知っただけで何も変わらないのに。
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