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バイト先を出ると、もう空はすっかり暗くなっていた。
時計を見ると、いつもより1時間も遅い。
店長に頼まれて品出しを手伝っていたら、あっという間に時間が過ぎていた。
急いで自転車をこぎながら、胸の奥で不安が膨らんでいく。
(早く帰らなきゃ……)
家にいる時間を減らせば、あの人の怒りから弟たちを守れると思っていた。
でも、今夜だけは、家にいないことが逆に怖かった。
玄関のドアを開けると、家の中は異様な静けさに包まれていた。
リビングの明かりはついているのに、人の気配がない。
靴を脱いで廊下を進むと、奥の部屋からかすかなうめき声が聞こえた。
心臓が嫌な音を立てて跳ねる。
僕は息を殺してドアを開けた。
そこには、床に倒れ込む滉斗と、立ちはだかる父親の姿があった。
滉斗の顔は赤く腫れ、唇から血がにじんでいる。
父親は酒臭い息を吐きながら、拳を振り上げていた。
僕は叫んだ
「やめて!」
父親の顔がこちらを向く。
目が血走っていて、まともな理屈なんて通じそうにない。
僕は滉斗の前に飛び出した。
「僕が悪いんだ、僕のせいだ!滉斗には手を出さないで!」
「お前もか……!」
ボコッ
拳が僕の腹にめり込む。
胃の奥がひっくり返るような痛み。
そのまま膝をついた僕の頬に、
バキッ
父親の拳が飛んできた。
視界が一瞬、白く霞む。
床に手をついて、必死で立ち上がろうとする。
滉斗が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら僕の名前を呼んだ。
「兄ちゃん……やめてよ……」
「大丈夫、絶対に守るから」
父親はさらに怒り狂い、僕の背中を蹴り上げた。
ドスッ
「ふざけんな、俺に逆らうのか!」
「僕が全部受けるから!滉斗には絶対に手を出さないで!」
父親はしばらく怒鳴り続けた後、息を切らしながら部屋を出ていった。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
静寂が戻った部屋で、僕は膝をついたまま動けなかった。
滉斗が僕の肩を掴み、泣きそうな声で言った。
「兄ちゃん、ごめん……僕、弱いから……」
「違う、滉斗は悪くない。全部、僕のせいだ」
僕は滉斗の頭を撫でた。
手が震えて止まらない。
守りたかったのに、守れなかった。
「……元貴は?」
「自分の部屋にいる。たぶん、まだ何も知らない」
その言葉に、少しだけほっとする。
元貴だけは、絶対にこの現実を知らないでほしい。
僕は濡れタオルで滉斗の傷をそっと拭った。
「痛い?」
「……大丈夫」
でも、声が震えている。
僕も、唇を噛みしめて涙をこらえた。
夜、二人で並んで座る。
滉斗がぽつりと呟いた。
「兄ちゃん、なんでこんなことに……」
僕は答えられなかった。
ただ、二人で静かに泣いた。
しばらくして、元貴が眠そうな顔で部屋に入ってきた。
僕たちは慌てて涙を拭い、笑顔を作った。
「なんでもないよ、元貴。もう夜遅いから、お布団に入ろう」
元貴は何も知らず、僕の手を握って微笑んだ。
「お兄ちゃん、だいすき!」
その言葉が、胸に沁みた。
夜中、滉斗が机に向かっているのを見つけた。
分厚い本を何冊も広げ、必死に何かを書き写している。
僕はそっと声をかけた。
「何してるの?」
「……兄ちゃんを助ける方法、探してる」
「法律のこと、調べてるんだ。僕がもっと強くなれば、兄ちゃんを守れるかもしれないから」
その言葉に、胸が熱くなった。
「ありがとう、滉斗。でも、無理はしないで」
「兄ちゃんこそ……」
二人で静かに笑い合った。
でも、心の奥には、消えない痛みが残っていた。
ベッドに入っても、眠れなかった。
天井を見つめながら、何度も自分を責めた。
(僕が家にいなかったせいで、滉斗が……)
どんなに頑張っても、守りきれない現実が、心を押し潰していく。
朝が来る。
元貴は元気に「おはよう!」と飛びついてくる。
滉斗は、昨日の傷を隠すようにマスクをしている。
僕は二人を見つめながら、心の中で何度も誓った。
(もう絶対に、二人を傷つけさせない)
でも、それがどれほど難しいことか、痛いほど知っている。
それでも、諦めるわけにはいかない。
僕が倒れたら、この家は終わる。
だから、何度でも立ち上がる。
元貴の無邪気な声が、僕たちの朝を照らしてくれる。
その背中を見送りながら、もう一度、強く心に誓った。
(絶対に、守る)