金髪が朝の光に揺れ、黒縁メガネのフレームがチラチラと反射する。
その後ろ姿は、どこか掴みどころがなく
まるで一陣の風みたいな軽やかさがあった。
俺は廊下に一人取り残され、ポカンと立ち尽くす。
なんだ、アイツ…。
心の中で呟きながら、俺はカバンを握り直した。
田丸のあの声、あの態度、なぜか頭から離れない。
どこかで見たような、聞いたような…
そんな感覚が、まるで靄のように俺の頭を覆っていた。
でも、講義の時間が迫っていることを思い出し、俺は慌ててエレベーターに駆け寄った。
田丸の背中は、すでにエレベーターのドアの向こうに消えていた。
◆◇◆◇
そんなある日
翌日、俺は文学部の仲間たちと合コンに参加していた。
居酒屋の喧騒の中、ビールやカクテルが飛び交い、笑い声と軽いノリが場を支配していた。
昔からこういう場は得意じゃないけど、大学デビューしてからは平気なフリをしてきた
今日も友達に誘われて断れず参加した形だ。
隣に座っていた田丸は、意外にも合コンに馴染んでいた。
金髪とメガネの派手な見た目に反して、話す内容は落ち着いていて、時折見せる笑顔には妙な魅力があった。
夜も更けて、合コンがお開きになると、田丸は少し酔っ払っていた。
ふらつく足取りで店の外に出た彼を、俺は仕方なく支えることにした。
「ほら、しっかりしろよ。タクシーで帰るぞ。」
俺は田丸の肩を貸しながら、タクシーに乗り込む。
隣人同士だし、放っておくわけにもいかない。
タクシーの後部座席で、田丸は窓に頭を預け、ぼんやりと外を眺めていた。
メガネのレンズに街のネオンが映り、時折ちらっと俺の方を見る。
その視線に、なんだか落ち着かない気分になった。
「…なあ、鍵どこ?」
マンションに着き、田丸の部屋の前で聞くと、田丸はポケットをまさぐりながら鍵を差し出した。
「ん…これ。…悪ぃけど奥まで運んでくれや。」
その声は少し掠れていて、酔いのせいかいつもより低く、柔らかく聞こえた。
俺は肩を貸したまま、田丸の部屋のドアを開け、中に入った。
初めて入る隣の部屋は、意外と整頓されているものの、どこか独特な雰囲気だった。
リビングの奥に進むと、田丸が「そこの部屋まで」と指差した寝室らしき部屋へ向かう。
部屋に入った瞬間、悟の目は自然と部屋の隅に置かれた機材に吸い寄せられた。
マイク、カメラ、照明器具…
そして、テーブルの上にはTENGAやローションが無造作に置かれている。
…なんじゃこの部屋。
配信でもしてんのか? と、俺は思わず心の中で呟いた。
すると、壁に飾られた一枚の盾が目に入った。
銀色に輝くその盾には
「チャンネル登録者10万人達成」の文字。
そして、その下に書かれた名前――
イデア【ASMR配信者】
心臓がドクンと跳ねた。
まさか…いや、でも…あのイデア?
ベッドにどさっと腰を下ろした田丸を見やる。
田丸は少し顔を赤らめ、酔った目で俺を見つめていた。
「なあ…その銀の盾って…お前、ほんとに…イデアって名前でASMR配信とかしてんの?」
喉をついて出た声は、驚きと興奮が混じったような、どこか震えたものだった。
田丸の表情が一瞬で変わった。
明らかに動揺している。
メガネの奥の目が大きく見開かれ、口元がピクッと動く。
「…は? な、なんで知ってんねん…?」
その声は、いつもより少し高く、明らかに焦っていた。
「え、お前、マジで あの イデアなの?」
俺は興味と驚きで、つい身を乗り出して聞く。
イデアのASMR動画は、悟の夜のルーティンの一部だった。
あの低く、耳をくすぐるような声に、何度癒されて眠りについたことか。
田丸は一瞬黙り、俺をじっと見つめた後に急に動き出した。
手首をガッと捕まれ、ベッドに押し倒された。
突然のことに、俺の頭は真っ白になる。
「えっ、は…っ!?」
慌てて声を上げると、田丸は俺の上に覆いかぶさるようにして顔を近づけた。
「俺のこと、バカにしよるんか?」
その声は低く、どこか怒気を孕んでいるように聞こえた。
だが、目にはどこか不安げな光が宿っていた。
「は?! ち、ちげぇよ! 俺…お前がイデアなら、マジで…大ファンだし!」
気恥ずかしさに顔を赤らめながら、必死に言葉を紡ぐ。
こんな状況で、こんな告白をするなんて、想像もしてなかった。
田丸の動きがピタリと止まる。
「…ファン、やって?」
その声は、さっきまでの鋭さが消え、どこか探るような、柔らかい響きに変わっていた。
田丸はゆっくりと俺の手首を離し、ベッドの上で俺の隣に腰を下ろした。
「…ほぉ。ほな、どんな風にファンなんや? 具体的に言ってみ。」
田丸の口元に、微かに笑みが浮かぶ。
メガネの奥の目は、まるで俺の心を覗き込むように細められている。
ゴクリと唾を飲み込んだ。
「そ、そうだよ…! あの、イデアの声、マジでヤバいっていうか…。俺、いつも寝る前に聞いてて…あの、耳元で囁くやつとか…マジでゾクゾクするっていうか…。」
言葉に詰まりながら、俺は必死に自分の気持ちを伝えようとする。
顔が熱くなるのが自分でも分かった。
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