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「正直なところ君と再会できるとは夢にも思わなかった」と言ったショーダリーの視線はビゼにだけ注がれる。「何せ不吉な噂しか聞こえてこなかったからな。やれ、影をも呑みこむ底なし沼の森へと消えた。やれ、軍使とて戻らぬ霧の都へ招かれた。やれ、夜の末子たる暗き洞窟へと隠れた。噂は噂でしかなかった訳だが、とすれば君は鋸山の不吉な小人どもから魔導書を奪い取ったのか?」
それらの噂について一つ一つ尋ねたかったが、ユカリは我慢した。尋ねたところで教えてくれそうにはない。
「いやあ、どこから話したものかな」ビゼは自嘲的な笑みを浮かべる。「まあ、結果から言えば小人は魔導書を手放すことになったよ」
「素晴らしい」そう言ってショーダリーは歓迎するように両手を広げた。「つまり君は迷わずの魔導書と合わせて、二つもの魔導書を手に入れたわけだ。歴史に残る偉業だな。友人として誇らしい思いだ」
「いやあ、ちょっと違う」ビゼは苦笑する。「偉業には違いないが、僕は何もしていないに等しい」
「ああ、すまん」と言ってショーダリーはパディアの方を見やる。「もちろん、もしかしたらそうじゃないか、とは思ったんだが。つまりパディア女史と二人で達成した偉業ということだ。そうだろう? それでも大した違いはない。複数の魔導書を発見したといえば何らかの組織のことだった。それも長い歳月を経て、幾度もの遠征、幾千の犠牲を積み重ねた上だ、今まではな。しかし君たちのように少人数で二つの魔導書を発見したことなど、これまでに一度としてないはずだ。これから先もそう多くはないだろうな。君らの栄誉に陰るところはないだろう」
「いや、違う。そうじゃないんだショーダリー」ビゼは苛立ちを少しも感じさせない木漏れ日のような柔らかい声音で説く。「魔導書を発見したのは確かだが、あれは手に入れたと言える状況ではなかった。僕は魔導書に、かの偉大なる魔法の物品に、何というか弄ばれてしまってね。パディアとユカリさんが救い出してくれたんだ」
ショーダリーの眉がぴくりと動いたのをユカリは見逃さなかった。しかしショーダリーの目線はビゼとパディアの間だけを往復している。
「まあ、そういうこともあるだろう。冒険には多くの困難と失敗が付き物だ。でなければ冒険とは言えん。しかし君たちはそれらを乗り越え、無事に帰還したし、その手には世界最大の栄誉を引っ提げていたってわけだ。違うか?」
「うん、違うね」とビゼは言った。
ショーダリーは次の言葉がなかなか出せなかった。いい加減に苛ついてきているようで目つきが険しくなっている。そして乾いた布から水を絞り出すように話す。
「そろそろ、種明かししろ。勿体ぶるな。一体何だっていうんだ。小人の持っていた魔導書は手に入れたんだろ? そして今回ワーズメーズに長らく隠されていた魔導書を発見した。大発見だ。君は私の秘書にそう伝えていたと思うんだが」
「ああ、その通りだ。だけど誰が発見したのかは伝えていなかったと思う」ビゼがユカリを手で示して言う。「もう一度言うが、彼女はユカリさんだ。僕の恩人で、今言った二つの魔導書を手に入れたのは彼女だ」
そう言われてユカリは胸を張り、したり顔を抑え込もうと努力する。少々滲んでしまったが。ユカリはようやくショーダリーと目が合った。しかしその探るような視線は直ぐにビゼの方に戻る。
「多少背は高いが、まだ子供のように見える」とショーダリーは言った。
ビゼは頷き、答える。「うん。一般的に言って子供と言える年齢、十四歳だ。ワーズメーズやヘイヴィルでの参政権もない。でも彼女が魔導書を発見し、取得し、多くの魔法使いが納得できる正当性に基づいて魔導書を所有している」
ショーダリーの方は憮然たる面持ちを隠さない。
「つまり、大人顔負けの神童だと君は言いたいわけだな。ビゼ。稀に見る才能を持つ魔法使いである、と」
神童だなんて、とユカリは頬を染め、表情が緩む。
「いや、そういうわけでもない」とビゼが至極真面目に否定して、ユカリは真顔になった。「実際のところ、魔法使いとも言えないと思う」
そこまで言わなくてもいいんじゃないかな、とユカリは歯噛みする。
「じゃあ一体!」ショーダリーは思い切りユカリを睨みつけた。「何だっていうんだ、この子供は」
「狩人です。狩人として生きてきました」とユカリは正直に言った。この魔導書探求の旅を始めるまで自分を魔法使いと思ったことはなかった。どうやら今もそうだと見なされないらしい。「そして魔法少……」とまで言って口を噤む。
ビゼが探し求めていた守護者の魔導書と、この街で手に入れた迷わずの魔導書、この二つの魔導書以外については秘密にすることに決めたのだった。魔法少女のことも話せない。
「魔法は少しだけ出来ます」とユカリは誤魔化す。「義母が魔法使いだったので、色々と教わりました。土を肥やしたり、真っすぐに薪割りしたり」
真っすぐに薪割りする魔法が使えるというのは見栄だった。あまり得意ではない。
「俺をからかっているのか? ビゼ」と言ってショーダリーはビゼを睨む。
「いいや、少しも。全部本当のことだよ。義母に教えてもらった魔法というのは初耳だけど」
ショーダリーはとても深い溜息をついて背もたれにもたれかかり、白く塗られた天井を仰ぐ。
「まあ、いいだろう。そういうこともあるだろう。信じがたいことだが、そういうこともあるだろうと、この場では納得することにしよう。それで? 要件は会ってから話すとそう聞いたが。私は君が魔導書を発見したのだと思って君との面会を優先したんだ。しかしそうではなかった。そんな君は一体私に何を聞かせてくれるというんだ?」
「うん。とても言いにくいんだけど」
ショーダリーはビゼの沈黙を苛立ちで追い払う。
「いいから早く言え」
「いやあ、とても言いにくくてね。言う必要があるのかとても迷ったんだけど」
「いい加減にしろ。こっちも忙しいんだ。君でなければ、魔導書の発見者でもなければとっとと追い出すところだ。いや、発見者じゃあないのか。全く忌々しい。分かった。もう帰ってくれ」
「ショーダリーさん!」煮え切らないビゼは無視してユカリは立ち上がった。「ショーダリーさんの所持する魔導書を譲ってください」
ショーダリーは呆然として、パディアは呆気に取られていた。ビゼはおかしくなってしまったのか小さく笑っていた。ショーダリーは激しく笑った。
「魔導書が欲しいって? 大きく出たな。こりゃ神童だ。間違いない。全く子供と言うのは無邪気なものだ」と言ってショーダリーは探るようにビゼやパディアの方に視線を向けたが、二人はとても真剣な表情でショーダリーを見つめ返した。
くすくすとビゼは笑って答える。「いいや、彼女はただの子供だよ。むしろ僕やパディアがおかしな大人なんだ」
「おい! 何の冗談だ! ビゼ! じゃあ、この娘は本気で言ったのか? 聞き間違いでなければ、魔導書を寄越せと言ったのか?」
「いえ、譲ってくださいと言いました」とユカリは答える。
「ビゼ! お前が担いだんだな! この魔導書狂いめ! おかしいと思ったんだ。こんな子供が魔導書を発見したなどと。つまらん冗談に付き合わせやがって」
ショーダリーは怒鳴っていたが、そこには余裕もあるようにユカリには感じられた。
「いや、全部本当だよ」とビゼは苦笑しながら言った。「君の所持している魔導書が欲しい。それだけだ。君だって魔法使いなら完成した魔導書が見たくないか?」
「完成した魔導書? そりゃ見たいね。世界から貧困や疫病が無くなって欲しいし、全ての人間の心から悪が取り払われて欲しい。そうだろう? 誰だってそうだ。だがな。馬鹿げている。それだけだ。完成した魔導書だと? 下らない。本当にお前たちはこんなことを言うためにここに来たのか?」
「私たちは本気です」とユカリは食い下がる。「何か交換条件があるならば検討します。おっしゃってください」
「馬鹿め。私はこのワーズメーズを預かる身だ。おいそれと魔導書を譲ることなど出来ようものか。もういい!」と言ってショーダリーは手で払う。「出ていけ! 馬鹿々々しい」
ショーダリーはそれ以上話したくないというような態度だった。
ビゼとパディアも立ち上がり、三人は扉へと向かった。しかしショーダリーがユカリを呼び止める。
「おい! ユカリと言ったな。頼めば魔導書を、一つの国家を滅ぼしかねない力を譲ってくれると本気で思ったのか?」
「いいえ、でもまずは話だけでもするのが筋かと思って」とユカリは申し訳なさそうに呟く。
「筋!」とビゼが叫び、堪えきれずに大笑いした。
三人は屋敷の中を彷徨っていた。部屋の外には案内人がおらず、かといってショーダリーに何かを頼む気にもなれなかった。ユカリは魔導書を使おうと提案したが、ビゼは却下した。間違いなく目的地に着くがどこを歩かされるか分からない。公邸とはいえ、他人の家を下手に歩き回るわけにもいかない。結局歩き回るのに、違いがあるのだろうか、とユカリは首を捻ったが素直に従う。
玄関か使用人を探して歩き回る。長い廊下を進み、大広間を通り抜け、それらしき扉を開けたが見覚えのない部屋だった。部屋には見覚えがなかったが見覚えのある人形があった。
蔦に覆われた窓辺の飾り棚にクチバシちゃん人形が鎮座していた。蔦の隙間から差す僅かな光の下で絶妙に妖しい雰囲気を醸し出している。
「どうされましたか?」と後ろから声をかけてきたのはこの家を訪れた時に案内してくれた秘書の女性だ。
「すみません」とビゼが謝る。「帰るところだったのですが、お恥ずかしながら迷ってしまいました。呪いがなくても方向音痴では仕方ないですね」
「こちらこそ失礼致しました」と秘書が謝罪する。「ご予定よりもお早いご帰宅でしたのでご案内が遅れてしまいました」
ビゼが扉を閉めるまで、ユカリはクチバシちゃん人形から目を離せなかった。