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祖母が亡くなっても毎日のルーティンは変わらない。
朝はひなを保育園に送り、その足で出社。作業服に着替え、現場へ向かう日々。
産後、職場復帰した際に、私はカスタマーへ異動になった。
カスタマーは土日祝が休みなのだ。ひなと普通に休日を過ごせるのはありがたい。
それにひなの突然の発熱時には、祖母や知美さんに頼めるとはいえ、やはり容態が気になる。
自分の采配で動けるカスタマーの業務なら緊急時に子供を優先できるので、子育て中の私には都合が良かった。
出産前は意地になって現場監督を続けていたが、今いちばん大切なのは自分の夢やプライドではなく、ひななのだ。ひなにとって最良の環境を私が提供しなければいけない。だから会社の配慮には感謝している。
現在の私の業務は、主にカスタマーセンターで承った修繕確認だ。
新築の住宅では修繕が必要といった案件はあまりないが、築10年を超えると、どこかしら修繕箇所が出てくる。現地に向かい修繕箇所を確認し、それぞれの業者へ連絡するのが主な仕事内容だ。
また子供達が独立し、リフォームを検討するお客様もいらっしゃる。
修繕にかかる費用と、リフォームの見積もりをにらめっこしながら、悩まれるお客様に寄り添うのも私の仕事。
大抵は一家の奥様とのお話になるので、女性である私は相談しやすいらしい。
忌引き明け、金曜日午前中のアポイントは築11年の平松邸。
家族構成はご主人、奥様、高校生の双子の女の子。
平松邸は姉妹が幼稚園の頃に建てられた。
訪問し、勧められるまま手作りのパウンドケーキをいただき、リフォームの相談を伺う。
正直なところ、この家はまだまだこのままの状態で住める。電気機器の入れ替えは必要になってくるが、建物自体は問題ない。
家を見ればわかるのだが、とても綺麗に、丁寧に生活されているのだ。
にもかかわらず奥様はかなりリフォームに乗り気だった。
子供達が大きくなり、もう少し洗練されたインテリアに入れ替えたい。それならいっそのことリフォームし、全く違う雰囲気の家に住みたいのだと。
有り体に言えば、飽きた、ということだ。経済的に余裕があり、住居にこだわるお客様にはよくあることだった。
もったいないとは思うけれど、お客様の意見を尊重し、お客様のご希望に寄り添うのが私の役割。
平松様のご希望を聞き取り、ラフで簡単な設計図と完成予想図をスケッチする。
「あら、まあ……和久井さん絵がお上手なのね。そうそう、まさにこんな感じよ!」
平松様が気に入ってくださったようだ。
設計図……久しぶりに書いたな。大学ではいっぱい書いたけど、入社して施工管理に配属されてからは自分で書くことはなくなった。
本当は設計に行きたかったけれど、配属先は選べないのよね。
最大手と名高い住宅メーカーに入れただけでも満足しなきゃね。
こんな風にお客様と距離が近いカスタマーの仕事も私は気に入っているんだし。
「では次回は設計士と一緒に伺いますね」
「あら、私はこのまま和久井さんに担当してもらってもいいんだけど」
「申し訳ありません。私はカスタマーなので、お客様と担当とのかけ橋的な役割しかできないんです」
「まあ、こんなに上手に図面が書けるのに? たしかお名刺に二級建築士って書いてあったわよね?」
「は、はい……ですが決まりでして……」
私だってできることならこのままリフォームを担当してみたい。
でも大きな会社の中で勝手なことは許されない。
「残念だわ」
「すみません。でも……そう言っていただけると嬉しいです」
平松様のお気持ちだけ受け取って、次回は設計士と共に訪問することを約束し、平松邸を後にした。
パウンドケーキを二切れと、コーヒー、ダージリンティ、アールグレイといただき、私のお腹ははち切れそうだ。
お昼ご飯は食べられそうにない。でも私のために焼いたというパウンドケーキを断ることなんてできなかったのだ。
会社に戻るため、車を走らせていると、そこが藤嗣寺の近くだということに気づいた。
祖母が亡くなる直前に花まつりで訪れたお寺だった。
「ここ、久しぶりだわ……」
藤嗣寺にはうんと小さい頃に何度か祖母と訪れていた。
優しそうな住職がいらして飴玉を頂いたっけ。ポンポンと頭を撫でられたのを覚えている。
あの人が祖母の初恋の人だったのかしら……。
あまりにも幼くて、祖母との関係性まで見ていなかった。
お昼は食べないつもりだし、せっかく通りかかったのだから少しお参りをさせてもらおうかしら。
そうして私は、何かに導かれるかのように藤嗣寺に引き寄せられていった。