「十五回、わしは鳴らしたんだがな、蓮」
……お爺様は私のストーカーですか。
丁子の着物を着た祖父、統吉の背中を見て、蓮は祖父の自宅の庭園を歩く。
まだ花は咲いていないが、一面に蓮の葉の広がる美しい池がある。
その中央には、白いドーム型の屋根の西洋風東屋、ガゼボ。
此処で風に吹かれながら、蓮の池を見るのが、祖父の楽しみのひとつだった。
ガゼボへと続く石畳の道を歩きながら、蓮は、昨夜、祖父からの電話に出なかったことで、説教を食らっていた。
「この蓮を見ると、わしはお前を思い出すんじゃ。
泥の中にあっても、それに染まらず、美しい花を咲かせるような娘に育って欲しいと願っていたのに」
突然、嘆く祖父に、
……なにやら、私が汚れているように聞こえるんだが、失敬だな、と思っていた。
「よりにもよって、稗田の息子と」
と統吉は溜息をつく。
「いけませんか?」
いけませんかってなんだ? と呆れたように祖父は振り返った。
「稗田とは企業として相性が悪すぎる」
そんなことを言い出す祖父に蓮は言った。
「別に合併してくれなんて言ってませんよ。
私がこの家を出て行けばすむだけの話です。
……いてっ」
いきなり、閉じた扇子で頭をはたかれた。
愛用の鉄扇でなくてよかった、と思っていると、
「お前のような立場の者が、軽々しくそんな言葉を口に出すな」
と言う。
申し訳ありません、とそこはさすがに頭を下げた。
秋津一族の誇りを持て、と子供の頃からしつけられてきたからだ。
「蓮、和博と結婚しろ」
「正気ですか?」
とつい、訊き返してしまう。
「まあ、あいつ自体は毒にも薬にもならんが」
いや、毒になりますよ、と思ったが、和博もまた、祖父にとっては、自分と同じ可愛い孫だ。
あまり言っては悪いかと思い、黙っていた。
「心配するな。
あれにお前の邪魔をするほどの能力はない。
蓮、お前が後を継げ。
そして、和博に子種をもらって、子供を産め」
「従兄弟ですし、血が近すぎる気がしますが」
「稗田の息子より、マシだ。
週末にも正式に発表しよう。
なに、結婚なんてそんなものだ。
最初はどうかなと思っていても、暮らしているうちに、上手く添うようになる」
そうですか?
っていうか、おじい様、恋愛結婚じゃなかったでしたっけ? と思う。
またこの人も、もっともらしく適当なことを言うなあ。
しかし、人の上に立つには、このくらいのはったりは必要だとも思っていた。
「ちょうどいい。
港も帰ってくるそうだから」
「は?」
「週末、ちょっと家に寄るらしい。
だから、必ず来なさい、蓮」
本当か?
まさか、私を呼ぶための罠じゃないだろうなる
そこへ統吉は畳み掛けるように言ってくる。
「わしももう長くないらしい」
「えっ?」
「港と話してよくわかった。
あれはもう戻っては来ない。
蓮、お前が正式に後継者となり、わしを安心させてくれ」
「おじい様」
「……和博じゃ不安じゃ」
まあ、それはわかります、と蓮は言った。
翌日、蓮は総務の給湯室に居た。
小さな冷凍室を開けていると、真知子がやってきた。
「あら、なにやってんの?」
「いえ……」
と言い、扉を閉める。
そこには、渚に買ってもらったアイスが入っていた。
真知子はそのまま、流しに腰を預け、石井の話を始めた。
「石井さんって、いい人よねー」
と真知子は言う。
まあそうかな。
手を引くの早かったし。
ヤバイ気配の読める人、なだけかもしれないが。
そのまま、真知子としばらく話した。
「また、ご飯でも食べに行かない?
いつが暇?」
私は、16日とか空いてるけど、と真知子はガンガン話を進めてくる。
普通、
『ご飯食べに行かない?』
『いいねえ』
とか言って別れて、また会って、
『そうだ。
何日にするー?』
とかゆっくり話が進むことが多いのだが、真知子は息つく暇もなく、話をつめてくる。
石井さんにもこの勢いで押していけばいいのに。
いや、あの人なら、逃げちゃうかな、と思いながらも、微笑ましげに見ていると、
「なによ、どうしたのよ?」
と訊いてくる。
「いえいえー。
16日は空いてますよ」
「じゃあ、16日ね」
と真知子はさっさと決めてしまう。
「わかりました。
また予定が入ったりしたら言いますよ」
と言うと、
「予定ってなに?
社長?
友だちより男を優先してると、嫌がられるわよ」
と言ってくる。
……相変わらず、ズバズバ言う人だ、と思っていた。
「蓮ちゃん、お使い行ってきてー」
葉子に言われ、はーい、と蓮は急ぎの郵便物を持って立ち上がる。
郵便局の帰り、あの駐車場脇の階段に座り、ぼんやり空を見た。
後ろに誰か立つ。
「なに考えてるんだ、蓮」
「いや、もこもこっと浮かんでるようで、意外に速く流れてるんだなー、雲って、と思って」
振り返ると、渚が立っていた。
「……一人で解決しようとするなよ、蓮。
お前は俺が守るから」
と言ってくる。
祖父の家に行ったあとから様子がおかしかったことに、やはり、気づいていたようだった。
「なんででしょう。
渚さんだと、くさいセリフ言っても、なにか違和感がないんですよね」
と笑うと、
「本心だからだろ」
と言う。
そうだな。
渚はなにも駆け引きとか考えない。
思ったまま、すべてを口から出している。
「此処で最初に会ったんだったな」
感慨深げに渚も空を見上げていた。
「此処でお前にプロポーズしたんだった」
「違いますよ。
なに記憶を捏造してるんですか。
いい骨盤してるから、今すぐ俺の子供を産めと言ってきたんじゃないですか」
「同じことだろう」
いや、全然違うぞ、女子的には……。
「あれ? 煙草吸いに来たんじゃないんですか?」
となにも持っていない渚の手に気づき、問うと、
「ああ、やめることにした」
と渚は言う。
「え、そうなんですか?」
「お前のためにも、元気で長生きしなきゃなーと思って。
それで……」
「それで?」
渚は、こちらを見下ろし、
「まあ、気が向いたら、俺の子供も産んでくれ」
と言う。
一年以内に必ず産めじゃなくなったな、と思って笑う。
自分に子供が出来たときのことを考えて、煙草をやめたんだろうな、とは思うが。
「今すぐ、いるんじゃなかったんですか?」
いやいや、と言いながら、渚は横に腰を下ろした。
「子供も可愛いだろうが。
やっぱり、しばらくはお前と二人で暮らしたいかな、と思って」
「……ありがとうございます」
蓮は微笑む。
渚と暮らす日々が、ぼんやり頭に浮かんだ。
だが、その映像は以前思い描いたときより、少し遠い。
「大丈夫だ、蓮」
蓮の肩に手を置き、その額に額をぶつけて、渚は言った。
「全部俺に任せておけ。
悪いようにはしない」
そうですか?
貴方の考えなしなところが、私は、とてもとても不安なんですが……。
はは、と笑いながらも、
「ありがとうゴザイマス……」
と一応、礼を言っておいた。
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