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砂原 紗藍
#再会
「華怜」
お、気が済んだかなって、身体をねじったらゆっくり剥がされた。
顔を下から見上げると、口がまだだらしなくにやけていた。
「俺、右の頬を引っ張るので、左の頬を引っ張って」
だらしない頬を摘まむと、耳が真っ赤になった。
どうして、私なんかにここまでだらしない顔になるのかな。
クールで黙っていたら女性なんて、よりどりみどりだろうに。
どうして私にここまで好意を寄せるかなあ。
「いたひ」
「生きている証拠だね」
「ふぶっ」
痛いくせに喜んでいるので、効果がないだろうなと抓るのをやめた。
「それでですね、華怜さん。ケーキがあるんですが」
「お腹空いたね。冷蔵庫に生焼けのハンバーグがフライパンごと入ってるけど、ケーキ食べよう」
いそいそとキッチンに向かうと、カウンターに置かれたケーキを見る。
その隙に、一矢くんはソファに倒れて悶えていた。
二人にしては大きい箱だと、中を覗くと七つも入ってる。
安堵したせいかお腹は空いたけど、ブラックコーヒーを飲むとしても食べられる量ではない。
「一矢くん、どのケーキが良い?」
「先に選んでいいよ」
「じゃあモンブラン」
光り輝く栗が、私に食べてと言っている。
「あ、苺じゃないの」
「え?」
モンブランの隣に、これでもかと苺が乗ったタルトが確かにアピールしている。
この中で一番豪華だ。
そうか、私が苺好きだと勘違いしたままなんだ。
「ふふ。一番好きだから今日は、一矢くんにあげる」
今日から私は好きな食べ物に苺と書くことにしよう。
「それでですね」
ソファから生還した一矢くんが、ドリップした珈琲を注ぎながら、今だ耳を赤らめて言う。
「もうちゃんとしていいよね?」
「ちゃんとって何を」
「引き出しに入ったままの婚姻届」
そうだった。
私たちが偽装だと知っているのは、母だけだ。
「俺ももう待てない。逃がさないために今からでも――いや、大安吉日にしよう」
「ぷぷ」
珈琲を置いた彼は、そのまま自分も座るとカレンダーをスライドして大安を探し出した。
真剣に探す彼の様子が面白可愛かったので、フォークに苺を刺して、口に押し付けると素直に食べた。
そうだね。私ももう、ここまで私を必要としてくれて、私を好きだと言ってくれる人なんていないと思う。
私にも一矢くんしかいないと思うんだ。
「華怜の気が変わらないうちに、いますぐ役所に行きたいぐらいだけど」
「変わらないよ」
携帯を覗き込んでいた一矢くんが私を見て、驚く。
彼の中ではまだ一方的に自分だけって気持ちがあるのだろうか。
矢印が彼からだけ向けられているはず、もうないのに。
「変わらないけど、早い方が私もいいな」
「ちょっと、両頬抓って」
クスクス笑いながら頬を引っ張ると「いたひような、いたふないひょうな」と痛みさえも分からなくなっていた。
「しっかりしてよ。私、恋愛初心者なんだから。リードしてよね」
「ふ。残念だったら。俺も華怜と両想いになったのは初めてだ」
当たり前のことをどや顔で言う。そこはリードするよって言ってほしかったな。
仕方ないので、一緒に手探りで進んでいこう。
次の木曜日に私たちは入籍をします。
大人なのに子供みたいな、じれったい遠回りをしました。
私は逃げてばかりだったので、今はもう騙されたことに少しだけ感謝している。
意地になってケーキを二つ食べた後、二人して胸焼けしたねって笑い合った。
私たちの物語は、矢印がようやく重なり合った、ここから始まっていく。
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