斑目の部下の人はちゃんと家に帰り、着替えて、倫太郎に借りた上着と壱花に借りた法被をハンガーにかけた。
クリーニングして返さねば、と思いながら、そのふたつを眺める。
服を脱いでパジャマを着ても、まだ高尾のかけた術が残っていて、小粋でラフな服を着た自分に見えていた。
こ、このまま出社できない。
どうしよう……。
まあ、とりあえず、斑目次長に言えばなんとか。
……今の部署に来て斑目次長の下についたとき、会長の孫だし。
押しは強いし、どうしようと思ったけど。
なんだかんだでいい人だ、斑目次長。
まあ、振り回されることも多いけど。
斑目、そして、倫太郎や壱花たちに感謝しながら、部下の人は眠りについた。
着替えている間も、寝ているときも、頭の上でなにかがふわふわ触れてくる感じがあったのがちょっと気になったが――。
朝、幸い、高尾のかけた術は切れていた。
今日はみなさんにお礼を言わねば、と思いながら、ビル街を歩いていると、突然、頭の上で、
「わんっ」
となにかが言った。
え? わん?
すると、頭の上から飛び降りたなにかが、目の前でくるりと回転すると白い犬になって、駆け出していった。
突然、ビル街の道を大きな白い犬が疾走しはじめたので、通勤途中の人々は慌てて避けている。
あの犬はっ、と思った部下は慌てて追いかけた。
「すみませんっ。
リードが外れましたっ。
大丈夫ですっ。
おとなしい犬ですっ」
と周りの人を怯えさせないよう、叫びながら。
いや、リードもなにも。
首には「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」と彫られた赤い数珠しかついていないのだが。
この犬、確か本体は式神だと言っていた。
人に襲いかかることはあるまい、と思いながら、追いかける。
犬は襲いかかったりはしなかったが、突然、わんわんわんっ、とある人物に叫びかかった。
「あっ」
と部下は叫ぶ。
犬が吠えかかっている男は自分のスーツを着ていた。
「銀行強盗ーっ」
いや、ほんとうに銀行強盗なのかは知らないが、状況的にそんな感じだった男に向かい、部下は叫ぶ。
そのとき、すぐ側でいきなり声がした。
「見つけたんですかっ?」
「お手柄だっ。
よくやったぞ、斑目の部下っ」
肩に式札を乗せた壱花と倫太郎、そして、冨樫がいつの間にか真横に立っていた。
いい天気なのに、三人は霧の中にでもいたかのように、服や髪がしっとりしている。
「銀行強盗だっ。
捕まえろっ」
倫太郎が男を指差し叫ぶと、男の周囲にいた人たちが慌てて彼を抑え込もうとした。
普通、強盗かもしれない男にいきなり飛びかかるのは怖いと思うのだが。
倫太郎のよく響く声には、つい、その声の命令に従ってしまうなにかがあった。
「よしっ、行けっ、式神ーっ」
と叫びながら、壱花が男に向かい、突進していく。
彼女についていたヒトガタの式神がふわりと舞って、男の目に張り付いた。
わあああああっ。
走って逃げようとしていた男はいきなり視界を塞がれ、転倒する。
急いで他の通行人たちと倫太郎が男を取り押さえた。
「お手柄ですねっ」
と壱花は倫太郎たちに微笑みかけたが、倫太郎は顔を上げ、壱花に言っていた。
「……お前、一緒に突っ込んでいくのなら、式神使う意味なくないか?」
部下の人から服を奪った強盗未遂犯は警察に連れていかれた。
「外に出たまま朝を迎えると、ベッドにも戻れず、妙なところを彷徨う羽目になるんだな」
帰って着替えなければ、と倫太郎がタクシーを捕まえようとしながら呟く。
「今回はいろいろあったので、イレギュラーな感じもしますけどね」
冨樫はそう言ったあとで、小首をかしげていた。
「でもあの霧のあやかし山。
あの強盗の人は、父の服のせいで迷い込んでいたんだし。
自分も父のことを考えていたせいで、迷い込んだんだと思うんですが。
なにもなしにいきなり、いきなり、あの山に現れた社長たちが怖いです……」
すっごいナチュラルに現れましたよね、と言う。
もはや、あなたがた、すでに、あやかしサイドにいるのでは? という口調だった。
「駄目だ、タクシーつかまらないな。
電話で呼ぶか」
「社長、あっちの通りの方がタクシーよく通りますよ」
などと話している二人のあとをついて歩いていた壱花は、ビルとビルの隙間の狭い場所に人がしゃがんでいることに気がついた。
ひっ。
生きた人間がしゃがんでる方が、あやかしが潜んでるより怖いっ、と見ないフリをしようとした壱花だったが。
その男の手に、目出し帽があるのに気がついた。
自首した男と、今、とっつかまった男と、おそろいの黒い目出し帽だ。
男がブツブツ言っているのが聞こえてくる。
「だから嫌だったのに……。
昔から、断れない性格なんだよな~っ。
……もう断る。
次からは断る。
あいつらになに言われても断る。
つまはじきにされても断る。
呑み会に誘われなくなっても断るっ。
自分の人生は自分で決めるんだっ」
「あのー」
壱花はその隙間を覗き込んで言った。
「お仲間の強盗の人たち、もう自首しましたよ」
一人は自首ではなかったのだが、そう言うと、男はなにかが吹っ切れたように、すっくと立ち上がった。
「そうなんだ?
じゃあ、僕も自首するよっ」
今、自分の人生は自分で決めるって言ってませんでしたっけ? とは思ったのだが。
自首すると言った男の顔は、ちょっとホッとしているようにも見えた。
三日後の夜、あやかし駄菓子屋で、倫太郎が愚痴っていた。
「最近、社長室に埃がたまってるんだが……」
「あの部屋、式神たちに掃除させるから、業者入れなくていいって言ったの、社長じゃないですか」
と冨樫が言う。
「……でもよく考えたら、あいつら小さいから、全然掃除終わらないんだよ」
ちっちゃな壱花も暇そうだったので、小さなホウキを与えてみたら、ヒトガタと一緒に掃除をしはじめた。
最初はみんな、微笑ましく眺めていたのだが。
この二人の掃除はなかなか進まず。
隅まで掃き終わるころには、すでに最初のところに埃がたまっていた。
「でも、お掃除ってそんなものですよね。
やってもやってもキリがないっていうか」
そう言う壱花に倫太郎がちょっと呆れたように言う。
「いや、お前、掃除してから言えよ」
「あっ、最近は片付いてるんですよ、私の部屋っ。
全然帰らないのでっ」
と壱花はあまり反論にならない反論をしてみた。
「おかげで宅配も受け取れないので、通販頼まなくなりました……」
しょんぼり言うと、高尾が笑って言う。
「もう壱花ちゃんの住所はここか、倫太郎の部屋にしたらいいんじゃない?」
「……ここに宅配便を届けられる業者の人は、きっと人間ではないですよね」
壱花がそう呟いたとき、倫太郎が一応、みんなの輪に入ってはいるが、何処か、ちんまり座っている部下の人に言った。
「それにしても、お手柄だったな、斑目の部下」
いい加減、名前、覚えろよという目で斑目が見ていたが。
そもそも斑目がこの部下の名前をみんなに紹介していないのだが――。
だが、なにも気にしない斑目は、
「おおそうだ」
と立ち上がり、レジの方に行った。
「そういえば、この間のクジ、まだ残ってたぞ。
お前、犯人捕まえたご褒美に一枚引け」
クジの箱を差し出された部下の人は、
「いえ、捕まえたのは、僕じゃなくて。
式神たちと、水無月社長や壱花さんたちです」
そう照れて言いながら、左右に狛犬のように座っている白い犬たちを撫でていた。
「まあ遠慮せずに、ほら。
景気付けに」
部下の人の顔色は、すっかり良くなっていたが。
壱花は思い出していた。
そもそもこの人、この式神たちがヒトガタでうろついているのを見て、幻覚を見たっ、と青くなっていたのでは――?
……いや、まあいいか、と思ったとき、斑目に急かされ、部下の人は箱に手を突っ込んだ。
「ありがとうございます」
と彼が取り出したクジを斑目が即座にバリッと開ける。
読み上げた。
「凶 なにかが起こる」
「凶、入れるか? 普通。
駄菓子のクジに」
と倫太郎が言い、
「中吉で強盗に服奪われたんだよね?
凶だったら、なにが起こるんだろうねえ」
と高尾は楽しそうに笑っていた。
斑目から凶のクジを渡されそうになった部下の人は、ひっ、と叫んで、受け取らない。
床に落ちたそれを壱花は拾い、
「だ、大丈夫ですよ。
ほら、悪いクジは木に結びつければいいって言うじゃないですか」
と言ったが、倫太郎が、
「何処に木があるんだ」
と余計なことを言う。
まあ、確かに。
だが、早くどうにかしてあげなければっと思った壱花は、そのクジを押しピンで、木の柱に止め、パンパン、と柏手を打った。
「よしっ」
と言う壱花に、冨樫が、
「いや、なにもよくない気が……」
と言い、
「どんだけ雑なんだ……」
と倫太郎が言う。
「いやいや、スピード感、大事だろ」
と斑目が言うのを聞きながら、壱花は、ふと思い出していた。
強盗の人たちが言っていた住宅街の駄菓子屋のことだ。
なにか不思議な感じだったんだけど。
今度探してみようかな?
そう思ったそのとき、斑目が、
「よし、倫太郎、引け」
と倫太郎にクジの箱を向ける。
「まあ、そんなに凶ないだろうからな」
そう呟いた倫太郎は迷わずクジをとると、バリッと開いた。
みんなが覗き込む。
「大凶だ」
「大凶ですね」
「……ほんとうに容赦ないですね、このクジ」
「っていうか、また『なにかが起こる』なんだけど。
作ってる途中でめんどくさくなったんじゃないの? これ」
と高尾が笑った。
倫太郎は急ぎ足で押しピンをとってくると、柱の高い位置に止め、手を叩きはじめた。
「あっ、私のこと雑だとか言っといてっ。
自分もやってるじゃないですかっ。
っていうか、何故に私が刺したクジの上にっ!?
行けっ、式神っ。
あのクジ落としてきてーっ」
そう叫びながら、壱花はまたヒトガタとともに、自らも突進していった――。
『安倍晴明の恩返し』完
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