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1. 手紙の始まり
昭和十九年、夏。
焼けつくような陽射しが照りつけるなか、千恵は庭先の向日葵に水をやっていた。
その花は、東京に出征する前の晃が植えていったものだった。
「お前が元気でいられるように、見張り番だ」そう笑って言ったのを、昨日のことのように覚えている。
晃は、千恵の幼なじみであり、婚約者だった。
初めて手を握ったのは、村の祭りの帰り道。あれから何年も経ち、二人は来年に結婚するはずだった――戦争が始まるまでは。
しかし、それから1年が経ち、晃からの便りはもう3ヶ月も届いていなかった。
「無事だといいけど…」
千恵は、濡れた手で制服の裾を握りしめた。風が吹き、向日葵が揺れた。
2. 軍服の影
ある日、村の駅に軍服姿の男が降り立った。
「晃……さん?」
千恵は思わず駆け出したが、顔が違った。見知らぬ兵士は驚いた様子で頭を下げた。
「すみません、違いました…」
「……いえ、大丈夫です」
見知らぬ兵士は少し間を置いて、懐から封筒を取り出した。
「この村に、“高橋千恵”という方はおられますか?」
「……私です」
「これを、お預かりしています」
そう言って渡された封筒には、見慣れた晃の字。震える手で受け取ると、兵士は深く一礼し、駅へと戻っていった。
家に戻り、千恵は封を切った。
3. 最後の手紙
> 千恵へ
これを読んでいるころ、俺はもうこの世にはいないかもしれない。
軍医には心臓が悪いと何度も言われたけど、黙っていた。弱虫だと思われたくなかったんだ。
最後の任務は満州での通信の整備だった。戦場の音より、君の笑い声の方が恋しい。
君のことを思い出すと、心があたたかくなる。
向日葵の咲くころ、きっと君は元気にしているだろう。
俺の代わりに、生きてくれ。誰かと幸せになってくれ。
それが一番の願いだ。
じゃあな。
君を、世界でいちばん愛している。
晃
手紙を読み終えた千恵の頬に、ひとすじの涙が伝った。
外では、向日葵が風に揺れていた。まるで彼が見守っているかのように。
4. 10年後の向日葵
昭和二十九年。
戦争が終わり、村も少しずつ活気を取り戻していた。
千恵は結婚はせず、一人で暮らしていた。
けれど、彼女の庭には、毎年欠かさず向日葵が咲いた。
ある日、近所の子どもが訊ねた。
「千恵さん、なんで毎年、あのお花植えるの?」
千恵はほほえんだ。
「見張り番なのよ。遠くにいる大切な人が、ちゃんと見ていてくれるようにって」
子どもは不思議そうに首をかしげたが、「きれいだね」と笑った。
千恵は空を見上げた。
雲の向こうに、晃の笑顔が見えた気がした。