テラーノベル
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🌹はなみせ🍏
スタジオの隅で、スタッフが「大森さん、そろそろ再開を……」と声をかけてくる。普段なら「はいはい、今行くよ」と切り替えるところだけど、今の僕には、世界で一番優先すべきことがあった。
ポケットの中で震えたスマホの画面に「らん」の二文字。
飛びつくように通話ボタンを押し、耳に当てる。
「……あ、元貴さん。あの、家族と話してほしくて……」
らんちゃんの少し不安げな、でも覚悟の決まった声。
よし、きた。
「お父さんに代わってもらえる?」
電話の向こうで、カサカサという音のあと、低くて警戒心の塊のような男性の声がした。
「……もしもし。大森、さんですか」
正直、音楽の賞を獲る時や、何万人の前でステージに立つ時より緊張したかもしれない。でも、不思議と喉は鳴らなかった。僕は、一人の大人として、そして一人の……いや、それはまだ早いか。一人の「彼女の才能を見出した者」として、誠心誠意、言葉を尽くした。
「初めまして。大森です。彼女の感性は、今の僕たちに、そしてこれからの音楽界に絶対に必要なものです。生活のこと、安全のこと、僕が責任を持って守ります。絶対に、後悔はさせません」
僕の武器は歌だけじゃない。相手が何を不安に思い、どんな言葉を求めているか。その「機微」を読み取る力は、何年も歌詞を書き、人の心と向き合ってきた僕の得意分野だ。
最初は刺々しかったお父さんの声が、五分、十分と話すうちに、少しずつ柔らかくなっていくのがわかった。
「……そこまで、言ってくださるなら」
電話を切ったあと、スタジオの喧騒が遠くに聞こえるくらい、僕は集中していた。
数分後。
ピコン、と届いたらんちゃんからのメッセージ。
『許可が出ました! 私、東京に行きます!』
「……っ、よし!!!」
自分でも驚くほど大きな声が出て、その場で思い切りガッツポーズをした。
周りのスタッフが「えっ、新曲完成したの!?」と目を丸くしている。若井と涼ちゃんが呆れたように笑っているのが見える。
違う。新曲どころじゃない。
僕の人生に、最高に大切で、誰にも渡したくない「光」が、ようやく僕のテリトリーにやってくるんだ。
あの日、スタジオの椅子に座らせた時から始まった、僕の壮大な「囲い込み計画」。
それが今、現実のものになろうとしていた。
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