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「姫様!剣呑でございます!今からでも引き返しましょう!」
洞窟の外で話す人間の声が、洞内に反響する。今聞こえたのは、老いて細くなったであろう、小男の声だ。
「いいえ、引き返しません。竜神様が人間を襲った所を見た者は、一人としていません。それに、これは国王が承認した事業。国家予算が下りた以上、ここで引く事は国民への裏切りです」
次に聞こえてきたのは。凛とした若い女の声。実に見高だが声は若々しく、少女と言ってよいほどに幼さを感じる。
「姫様、お言葉ですが………」
続いて聞こえたのは、いかにも威厳ありそうな男の低い声。
「姫様に御身に万が一の事があってはなりません。何も、王女自らが行かれる必要はありません。ここは私に免じて、ご帰還ください」
威厳のありそうな男が言い終わると、続いて若い男達の声がそうですそうですと続く。
どうやら、最初の小男は従者。残りは護衛役といったところか。そして威厳がありそうな声の主が、護衛達の頭分といった所だろう。
若い女の身分は姫、しかもそこらの貴族ではなく王女だと言う。ずいぶんと高貴な身分の者が来たなと、赤竜は思った。
かつての頃にやってきたのは、せいぜいが末端貴族まで。それ以上の身分の人間は、わざわざ山登りなんてしないし、病になっても医者にかかるだけだ。
その王家様がどういう訳で、王国自ら禁足地とした場所に踏み込んで来たか。
病を患っている様子ではない。
(我儘お姫様が、興味本位で従者と護衛を連れて見物に来た……という所かの?)
あるいは、美容目的か。そう思うと、実に馬鹿らしい気持ちになってきた。出来る事なら、従者と護衛の進言を受け入れて帰って欲しい。下手に関わるとろくなことが無いような気がする。
「いいえ、王国の未来が賭かっているのです。王家の者が直前赴くのが、礼儀というものでしょう」
王国の未来がどうとか、その辺りの話は掴めないが、どうやら護衛の必死の説得も虚しく、王女様は帰らない事を選んだようだ。
それから少しすると、彼らはとうとう洞窟に入ってきた。
護衛の中で、特に頼りなさそうな者が松明を掲げており、洞内の壁で火明かりが揺れている。先頭には、口髭を生やした、兜にチェーンメイルのいかつい男。先程の威厳のある声の持ち主だろう。
その後ろに、長い金髪を靡かせた、登山姿の少女。年の頃、十五、六と言った所だろうか。
その後ろに、山を登ってきたというのに背広姿の小男が続き、その更に後ろに若い護衛の男が三人。そのうち一人が、松明係をしている。
赤竜の巨体を前に、従者の男は腰を抜かして尻もちをつき、若い者達は露骨に腰を引かせてビクついている。
威厳のある男は、この竜が姫様に危害を加えるようなら、その首を斬り落としてくれんとばかりに殺気立っている。
そんな中、まるで臆さず、凛として前に歩みだしたのが、少女であった。
警戒心が無い。それも、ただの能天気ではなく、きちんと相手を理解した上で、警戒する必要が無いと判断した態度。
その勇気に、赤竜は少しだけ感心した。
「竜神様、お初にお目にかかります。私はラヴァリン王国の第三王女、シトリン・ドゥ・サフィニアと申します」
「何用だ?討伐でもしに来たか?」
赤竜は、故意に低いガラガラ声を出して、人間達を威圧した。洞窟内であるから、実よく響き、洞内そのものが揺れて、天井から湯気が雫となってパラパラと降ってきた。
もちろん、先程聞こえた会話から、彼らの目的が討伐ではない事は分かっている。しかし、竜神と崇めたかと思えば、人喰いの怪物扱いをする勝手な人間達に、皮肉の一つでも言わねば気が済まなかったのだ。
シトリンと名乗った娘は、パンツスタイルの登山姿ではあるが、スカートを摘むような手つきをしながら、流れるような仕草で美しいカーテシーをしてみせた。
赤竜には、人間社会の儀礼は分からないが、嫋やかながら芯の通った所作は、理屈抜きで美しいと思った。
「いえ、決してそのような事ではございません。我々はもう一度、竜神様の癒しの力に縋りたく、こうして推参した次第です」
シトリンは、恭しく礼をする。その一挙手一投足に品があり、よく教育された令嬢であることが察せられる。
「癒しの力か………。それを頼る人間が居なくなって、もうどれくらいに経つ事か……」
恐らく、実際に癒しを求めてここに来ていた人間は、一人残らず老いて死んだ事だろう。それほどの時間が経ったのだ。
その間、人間はこの山に登ってこないのだから、怪物扱いのままになっているのは確実だった。
「わしは人間達の間では、怪物扱いされておるのだろう?その怪物の力を借りたいとは、よほどの大事が出来したのだろう、疫病でも流行ったか?それとも、戦争でも始まったのか?そのわりには戦火を見ておらんが」
皮肉っぽく言うと、シトリンはふんわりと微笑む。こういう時、躾のなっていない人間なら、待ってました!とばかりに叫びながら、事情を説明するのだろう。
しかし、流石王家の者である。心持ち穏やかに呼吸をして、おもむろに事情を話し始めた。
「いえ、実を申しますと、我が国は財政難に喘いでおります。それで、竜神様には、我が国の観光名所になって頂きたいと____
「は?」
久方ぶりに人間が来ただけでも驚きだが、その頼みが『観光名所になって欲しい』という意味の分からなさだ。そのあまりに唐突な依頼に、赤竜はただ間抜けな声を漏らすより他に無かった。
「__こう、愚考仕りましてございます」
巨大な竜が、間抜けな声を漏らして、ポカーンとアホ面を晒した。
竜の生物学的分類は、トカゲに近い種類で、人類ほど表情筋は発達していないはずなのだが、それでも一目見て分かるアホ面である。
後に赤竜は、あの場所が暗い洞内で良かった、人間が夜目の利かぬ生き物で良かったと振り返ることとなった。