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「――っ!」
大きく息を吸い込みながら、わたしはバッと上半身を起こした。
その瞬間、その場にいた全員の視線が私に向かう。
「……びっくりした。どうしたの? 大丈夫?」
心配そうな声で話しかけてきたのは、ミツキだった。
どくどくと早鐘を打つ胸を押えながら周囲を見回せば、同じテーブルには目を真丸くしているユキとカナタの姿があった。
家庭科室の窓際の席。いつもわたしたちが座るそのテーブルの上には、それぞれ作りかけの刺繍が置かれている。
ふと山田先生に目を向けてみれば、どうやら先生は刺繍の縫い方を教えている途中だったらしく、小さな刺繍枠と縫いかけの針を手にしたままで、
「大丈夫? 鐘撞さん。何かあったの?」
とやはり心配そうに口にした。
山田先生はそろそろ定年退職を前にした背の低い女性教諭で、私たちからするとおばあちゃんみたいな優しい先生だ。
わたしはそんな山田先生に、
「あ、すみませんっ。ちょっと眩暈がして」
「どうする? 保健室で休んでる?」
「あ、いえ、大丈夫です……」
けれどわたしの返答に反して、わたしの呼吸は乱れたままだし、額から頬にかけて大粒の汗がたらりと垂れた。
「――休んでなよ、アオイ。顔色悪いよ、何だったら、保健室まで一緒に行こうか?」
ユキに袖口を引っ張られて、わたしはもう一度周囲に目を向ける。
クラスメイトのほぼ全員がどこか眉間に皺を寄せていて、その視線が何だか痛くて。
「……うん、やっぱりそうする」
わたしは答えて、ユキに体を支えられながら、家庭科室をあとにした。
どこか足取りもおぼつかず、思った以上にあの夢はわたしに精神的なダメージを与えたらしかった。
それもこれも、すべては楸先輩の所為だ。
まさか、夢にまで現れて、わたしを脅すだなんて。
そう思った瞬間、再び楸先輩の言葉が脳裏をよぎる。
『もう二度と、ユウくんには近づかないでください』
『もし近づけば……そうですね――あなたを、呪い殺します』
ぶるり、とわたしの身体が震える。
「だ、大丈夫? 帰った方が良くない?」
ユキに心配されて、けれどわたしは首を横に振った。
「ううん、ダイジョブ、保健室で休んでれば、これくらい――」
そうは言いながらも、心の奥底では心配していた。
呪い殺す? わたしを? そんな魔法、わたしは知らない。
相手を呪うおまじないは確かにあるけど、それだって絶対的なものじゃないことをわたしは知っている。
魔法で人は呪い殺せない。それはわたしたち魔女――魔法使いの間では常識だ。
どういう理由かは知らないけれど、その手の魔法は、ほぼ必ず失敗する。
魔法使いが魔法を使える一番の理由は『楽しい気持ち』だとわたしはおばあちゃんから聞かされた。
だから、そういった人を傷つけるような魔法は、概ね必ず失敗するという話だ。
けれど――楸先輩なら、どうだろうか。
夢で見たあの様子を思い浮かべるだけで、わたしの身体は激しく震えた。
そこにあるのは言い知れぬ恐怖。虹色に光るあの瞳には、確かに普通の魔法使いには有り得ない、おぞましい何かを秘めているような気がしてならなかった。
そう、それは例えていうなら――悪魔。
まるで楸先輩の身体を悪魔が憑依してしまったかのような、或いは楸先輩そのものが実は悪魔自身なんじゃないかと思えるくらいの恐怖。
――そんなはずはない、悪魔なんてこの世にはいない。
いない、と思う、たぶん。
少なくとも、わたしは悪魔なんて見たことがない。
昔は悪魔と契約することによって人は魔女になると言われていたみたいだけれど、それは真実じゃない。
魔法を使えない人間が、「どうしてあいつらは魔法を使えるんだ」と考えた結果、こじつけられただけのただの幻想。
そんなもの、いるはずがない。
それなのに――どうしてわたしは、こんなに楸先輩を恐れているのか。
「ねぇ、ほんとに大丈夫? フラフラじゃん」
「あ、うん……ごめん」
わたしは何とか足を踏ん張って自分の力だけで歩こうと試みて、やがてようやく保健室の前に差し掛かった、その時だった。
――ガラガラガラ
保健室の扉が開いて、誰かがすっと廊下に出てきて、
「――ひっ!」
心臓が止まるかと思った。
息を吸い込んだまま、吐き出すこともできなくて、彼女の姿をじっと見つめる。
「……ひ、楸先輩」
わたしの代わりに、ユキが呟く。
楸先輩はふとわたしたちの方に顔を向けると、口元に笑みを浮かべて、
「あら、カネツキさん。大丈夫ですか?」
白々しい感じで、そう言った。
「辛そうですね。丁度いまなら保健室のベッドが空いてますよ? ゆっくり休んでいってください」
まるで自分の家であるかのように彼女は続ける。
そして長い髪を揺らしながら背を向けて、
「――約束、守ってくださいね?」
その言葉を耳にした瞬間、わたしの膝は、崩れて落ちた。