「……あ、荒木羽理……さ、ん。お察しの通り、俺は……キミのことが好きだ……。だから、その……お、俺と……」
――付き合って欲しい!
そう言えば済むだけの話だ。
だが、テンパる余り、大葉はしどろもどろ――。
「きょ、今日の仕事後、一緒に買い物へ行かないか?」
と、何ともしまらないお誘いをしてしまった。
「えっ?」
「だっ、だからっ。その、ほらっ! け、化粧品とかっ。うちに置いとくやつ、いるだろ? だから……い、一緒にドラッグストアへ行こう! な!? そんなわけだから……ゆ、夕方は予定をあけておくように! いいな? ――お、俺からの伝達事項は以上だ!」
一気にまくし立てた挙句、まるで上司からの業務命令のように締めくくったら、羽理が条件反射のように「か、かしこまりました」と答えてくれて。
そのことにホッと胸を撫で下ろした大葉はそっと羽理から手を放すと、ベンチ下に転がったままの若松菱模様の小風呂敷と、ベンチの上に置き去りになっていたコンビニのビニール袋入りの自分の弁当箱を手に取った。
「あ、あの、部長……」
そんな大葉に羽理が背後から消え入りそうな声を投げ掛けてくるから。
「だ、ダメだぞ!」
(今更やめましたとかなしだからな!?)
心の中でそう付け加えつつ牽制したら、「でもっ、それ……ちゃんと洗って返しなさいって……さっき仁子が」と、小さい方の弁当箱を指さしてくる。
「あ、ああ……」
そのことにホッとして羽理に風呂敷包みを差し出した途端、お互いの指先がちょっぴり触れてしまって。
「きゃっ!」
「わっ!」
そんな風に思わず二人して過剰反応してしまったことが可笑しくなって、顔を見合わせて笑い合う。
ひとしきり笑った後で、息を整えるみたいに深呼吸をした大葉が、何の気なしに見上げた空はいつになく清々しい青空で。
空気も心なしか甘く感じられた――。
***
羽理との公園ランチを終えて帰社した屋久蓑大葉は、午後から作業着に着替えて社用車の軽トラに乗り込むと、車で一時間半ばかりの距離にある取引先農家へ、地元の夏祭りに開催予定のイベントの打ち合わせに赴いた。
土恵商事は、青果専門に商う商社だが、別に出来上がった農作物を全国各地へ流通させるのだけが業務内容の全てではない。
それこそ作る所から農作物のあれこれに携わることも少なくないし、提携先の農家も全国各地に散らばっているため、大葉たちが働く本社以外にも支店が各地域に点在している。
そんな感じなので、扱う農作物の種類も多岐に渡っているのだけれど。
大葉の取りまとめる部署――総務部は、開発部農作物開発課のように直接畑に出てどうこうということは余りない。
だが、イベントの企画などの音頭は総務部企画課の担当だから、現地へ赴くことが全くないわけではなかった。
今回みたいにイベントの話し合いのため農家を訪えば、部長とか平社員とか関係なく……それこそ何となくの流れで農作業を手伝いながら話をする、なんてことも少なくない。
特に沢山の夏野菜が収穫期を迎えるこの時期は、どこも人手が足りていないから作業を手伝いながらの話し合いというのはざらだ。
そんな身体を使いまくった出張の帰り道、折悪しく事故渋滞にはまって思いのほか帰りが遅くなってしまった大葉だ。
(くそ! 何で畑ってやつは町中にねぇんだよ!)
……だなんて、そりゃぁ土地を広く取れるのが田舎だからですよ!?とすぐさま農家様から冷ややかな目で見られそうなことを思いつつ。
普段なら少々残業になってもお構いなしの大葉が、今日に限ってこんな風にソワソワしているのは他でもない。
就業時間後に、やっと想いを打ち明けた相手――荒木羽理と、買い物の約束をしているからだ。
(ヤバイ。定時を五分も過ぎてるじゃねぇかっ!)
――荒木が待ちくたびれて帰っちまったらどうしてくれるんだ!だなんて、頭の中でプンスカしている大葉だったけれど、きっと羽理がそれを聞いたら『いやいやいや! 五分やそこらで帰っちゃうとか……私、部長の中でどんだけ短気な設定なんですか!』と抗議していた事だろう。
暑い最中、成り行きでトマトの出荷作業を手伝ってしまった大葉は、全身に汗をかいていた。おまけに、何なら手指にはトマトの葉茎からする独特な青臭い臭気まで沁みついてしまっている。
(こんなことなら今日はアクアポニックスの視察にすべきだったな!)
ちょっと前から土恵商事が新規事業として参入したアクアポニックスは、「水産養殖」と「水耕栽培」を合わせた造語で、魚の飼育と植物の水耕栽培を同時に行うシステムのことだ。
それこそ開発部の領分だが、大葉の所属する総務部だって社内で何の事業が進行中なのかくらい知っておくことは必要だ。
開発部長の話によると、提携先の第一プラント内ではエビの養殖とワサビの水耕栽培が進行中らしい。
きっとそちらへ行けば、こんなに汗だくになることもなかったはずだ。
(ま、現実逃避だがな)
実際問題、時間的ゆとりがないのは今日出向いた先とコラボ予定のイベントの方だ。
アクアポニックス視察は、急いで行かなくても別に問題はないので、夢想するだけ無駄なのは大葉にも分かっていた。
***
土恵商事はその会社の特性から、ビル内にシャワールームを完備している。
社員らは皆、大抵作業して帰った後はシャワーで汚れを落として着替えることにしている者が多い。
大葉ももちろんそうだ。
羽理の前でくさいのは有り得ないと思うのと同時に、だがこれ以上遅くなるのは良くないんじゃないか?という思いが交錯して。
『迷ってるくらいなら、ちょっと遅くなるってメールしたらいいじゃないですか。時間がもったいないですよ?』
脳内でミニ羽理がそうささやいてくるのだけれど、いざスマートフォンを持ち上げて羽理の連絡先を呼び出したら、妙に緊張して手指が震えてしまう大葉だ。
(お、俺はいつからこんなヘタレになったんだ!)
そう自問自答したら、すぐさま『ずっとですよ?』とミニ羽理が律儀に答えてくれる。
(いや、そういうの、要らねぇから!)
と脳内で色々ミニ羽理に言い訳をしていたら、手に持ったままのスマートフォンがブブッと震えて驚いてしまう。
通知に誘われてメッセージアプリを開いてみれば、送信者には〝猫娘〟と表示されていて、『屋久蓑部長、まだ出張先ですよね? 夕方の待ち合わせ、どうしましょう? 後日にしますか?』と書かれていた。
(あ。登録者名……)
さすがに恋人になったのにこのままではよろしくないと思った大葉だったけれど、まさか自分が羽理の携帯の中で、未だ〝裸男〟のままになっているとは思ってもいないだろう。
そうして、もちろん、今最優先すべきはそこじゃない。
***
屋久蓑大葉こと〝裸男〟からメールの返信があって、羽理は画面を眺めて(部長、そんなに慌てるくらいならお電話をっ)と思った。
というのも、大葉から『今、シャワールーム前。サッと汗を流していくから悪いけど骨片のなかで待っていてくれ』と不可解なメールが送られてきたからだ。
(打った文章を読み返すのも無理でしたかっ!?)
メールを読んですぐは(骨片って何だろう?)と頭を悩ませた羽理だったけれど、それが自分の愛車のことかも知れないと思い至ってからすぐ、コッペンちゃんが恐竜の骨格標本みたいに骨になったところを想像してしまった。
カタカナにすべきコッペンが、誤変換で〝骨片〟になっているのが何ともシュールではないか。
まさかシャワーを浴びながら打ったわけではないと思うけれど、慌てた様子で画面をタップしている大葉の姿が思い浮かんでくるようで、羽理は思わずクスッと笑ってしまう。
ずっと、小難しい顔をして取っつきにくいと思っていた屋久蓑大葉は、話してみれば案外可愛いところのある人だった。
それに――。
髪を下ろしていると幼く見えるから、いつもよりガードが甘くなる気がして。
初っ端の出会いが風呂上りだったこともあって、羽理の中では、大葉に対して持っていたはずの〝近づきがたい上司〟という壁がいつの間にか取っ払われてしまっていた。
そう言えば、今日、大葉は髪の毛を下ろしていたことで、他の女子社員たちからも変な注目を集めていた気がする。
ランチに行った際、彼の数歩後ろを歩きながら感じた違和感に、(屋久蓑部長の癖に何か生意気です!)とか理不尽なことを思って。
「なぁに、羽理。百面相の練習?」
すかさずすぐ隣、帰り支度を始めた法忍仁子から突っ込まれてしまう。
羽理は「そ、そういうわけではっ」と誤魔化したのだけれど。
いつもならもっと突っ込んでくるはずの仁子が、今日はやけにアッサリと引き下がって、「……じゃ、羽理。申し訳ないけど私、今日は大事な用事があるから先に帰るわね? アンタもさっさと帰りなさいよ!?」とか言うから。
羽理はホッとしつつ、ひらひらと手を振って仁子が帰っていくのを「お疲れさま」と見送った。
さて、自分も荷物をまとめて帰ろうと、羽理が鞄を手にしたと同時。
「ねぇ荒木さん。今日のお昼、キミにだけご飯おごり損ねたじゃない? ……もしよかったら、夕飯でも一緒にどうかな? ほら、女性社員二人に差があるのは僕の中で何だかいけないことに思えちゃってさ……」
財務経理課長の倍相岳斗が近付いてきて、何とも魅力的な誘惑をしてくる。
「……お誘い凄く嬉しいんですけど、今日はこの後予定があるんです。すみません」
「もしかして……デート?」
ほわんと聞かれた羽理はその春風のような雰囲気に流されて、「実は屋久蓑部長とお買い物に行く約束をしてまして」と素直に答えそうになってから、ハッとして「えっと……………、お、お友達とお買い物の約束をっ」と答えた。
さすがに上司と二人きりで化粧品を買いに行くだなんて、会社の人にバレるのは良くないだろう。
***
(あれ? 何だろ、今の間……)
荒木羽理がこの課に配属されてきてからずっと。
人畜無害な上司を装いながら、虎視眈々と羽理との距離を少しずつ詰めてきた倍相岳斗は、どこか歯切れの悪い部下の物言いに違和感を覚える。
思わず『お友達って、男の人?』と問い掛けそうになって……そもそもデートか否かと探りを入れてしまったこと自体やり過ぎだったし、これ以上突っ込んで聞くのはパワハラやセクハラだと警戒されかねないとグッとこらえた。
折角いつも羽理にべったりくっ付いて離れない法忍仁子を、昼間一緒にランチへ行った際、「コレ、今日までなんだけどもしよかったら。あ、けど実は一枚しかないんだ。……荒木さんには内緒にして?」とにっこり微笑んでそそのかして、ケーキバイキングの無料チケットを渡して引き離しに成功したと言うのに。
まさか昼だけでなく、夕方にまで羽理からフラれるとは思ってもみなかった。
今までの羽理ならば、長い期間かけて培ってきた春風のような仮面の効果で、警戒心なくついて来ていたというのに。
(何かおかしい……)
ずっと羽理を……というより羽理だけを見てきた岳斗には分かる。
羽理の中で何かが変わり始めているのが。
(これは今までのやり方じゃ、マズイかも知れない)
何せ荒木羽理という女性は、少々のアプローチでは本意を汲んでくれない鈍い女性だから。
そのお陰で他の男たちからの好意にも全く気付かなかったから、――裏工作はともかくとして――表向きはのほほんと構えていられたのだけれど。
倍相岳斗はほわんとした笑顔で羽理と話しながら、そろそろ本気を出すべきかも知れない、と思った。
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