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#ワンナイトラブ
おまる
「さあ、今夜は無礼講よ!」
美佐子さんが高らかに宣言し、クリスタルグラスが触れ合う快い音が個室に響いた。
場所は、美佐子さん行きつけの隠れ家のような名店。
重厚なインテリアと控えめな照明が、特別な夜を演出している。
「美佐子さん、本当にありがとうございます。こんな素敵な場所に……」
「お礼を言うのは私の方よ、結衣さん。……今日はたっぷり飲みなさいな」
美佐子さんは上機嫌で、ヴィンテージの赤ワインを自ら注いでくれた。
徹さんは苦笑しながらも、どこかリラックスした表情でグラスを傾けている。
柏木との因縁に終止符を打ち
美佐子さんという最強の味方を得たことで、彼もようやく肩の荷が下りたのだろう。
宴が中盤に差し掛かり、ワインの酔いが回ってきた頃。
美佐子さんの瞳が、いたずらっぽく光った。
「ねえ、結衣さん。今の高橋くんは、仕事もできて冷徹で、完璧な王子様みたいに見えるでしょ? でもね、入社したての頃の彼は、そりゃあもう……酷かったのよ」
「えっ、徹さんがですか?」
思わぬ話題に、私は身を乗り出した。
隣で徹さんが「ちょ、美佐子さん、その話は……」と制止しようとするが、美佐子さんは止まらない。
「いいじゃない、もう時効よ。……あのね、新人研修の時。彼、あるプロジェクトのリーダーを任されたんだけど、気負いすぎちゃってね。……徹夜続きで朦朧とした挙句、大事なプレゼンの真っ最中に、クライアントのことを『じい様』って呼んだのよ」
「……っ!!」
私は飲んでいた水を吹き出しそうになった。
あの、常に冷静沈着で、隙のない徹さんが。
「しかもね、慌てて言い直そうとして、今度は『母さん』って言っちゃったの。会場中が凍りついたわ。当の彼は顔を真っ赤にして、そのままロボットみたいな動きで退場していったんだから」
「……美佐子さん。もう、勘弁してください」
徹さんは顔を覆い、深い溜息をついた。
耳の先まで真っ赤になっている。
こんなに動揺している彼を見るのは初めてで、私は愛おしさが爆発しそうだった。
「他にもあるわよ。入社式の帰り、緊張の糸が切れたのか、反対方向の電車に乗って隣の県まで行っちゃったり。しかも、それを誰にも言えなくて、次の日『調査のために遠方まで行ってきました』なんて、真っ赤な嘘をついて……」
「ふふ、あははは! 徹さん、可愛すぎます!」
「…結衣、笑いすぎでしょ。……あれは、若さゆえの過ちなんだから」
徹さんは拗ねたように唇を尖らせると、私のグラスにワインを継ぎ足した。
でも、その目は少しも怒っていない。
むしろ、過去の自分を笑い合える今の関係を、彼自身も楽しんでいるようだった。
「……でもね」
美佐子さんが、ふと真面目な顔をして私を見た。
「あの頃から、この子の『真っ直ぐさ』だけは変わらないわ。…自分のミスを隠そうとして嘘をついたのはあの時一度きり。それからは、誰よりも誠実に、地道に努力してきた。だから、今の彼があるのよ」
美佐子さんの言葉に、胸が熱くなる。
徹さんは照れくさそうに視線を逸らしたが、テーブルの下で、そっと私の手を握りしめてきた。
「結衣……俺の格好悪いところ、全部知られてしまったね」
「ふふ……もっと、徹さんのことが大好きになりましたけどね」
私が耳元で囁くと、徹さんは私の手をさらに強く握り返した。
美佐子さんはそれを見て「はいはい、ごちそうさま」と笑いながら、新しいボトルを開けた。
かつての敵が語る、愛すべき過去。
夜は更けても、三人の笑い声は絶えることなく続いていった。
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